大丈夫ですこの、程度
同じ特異個体だからかアレオスのローブは毒液を防いだが、ブランの肌はそういう訳にもいかなかったらしい。
チッ! フローロ、来るぞ!
泡雫球の表面がぐにゃりと歪み、無数の触手が槍のように放たれる。ブランが傷の痛みを堪えながらそれを捌き、Olはアレオスの脚を使ってそれをかわす。
フローロ、お前たちは引け!
Olはどうするつもりですか!?
俺はアレを封じる
何も倒す必要はないのだ。動きは遅いようだし、壁で閉じ込めてしまえばいい。だがそれには一つ問題があった。
泡雫球は通路を完全に埋めてしまっているので、その向こう側がどうなっているか確認することが出来ない。壁に穴を開けて通り道を作ってもいいが、向こう側が行き止まりだった場合は最悪だ。故にまず、多少なりとも泡雫球の身体に穴を開けて向こう側を確認する必要があった。
フローロ、ブランとそこに入れ。冒険者ギルドへの転移陣だ。今すぐ戻ればそいつなら死ぬことはなかろう
床に魔法陣を描きつつ、Olは泡雫球をアレオスの炎で牽制する。
存外聞き分けのいい声とともに転移陣が作動する音が鳴り、さてどうしたものかとOlは思案した。
封じるってどうやるんですか?
まずあいつの体に穴を開けて待て。なぜお前が残っている!?
横から不意に掛けられた声に答えかけ、Olはフローロの姿に驚く。
それはもう、妻ですから
振り向けば転移陣とブランの姿は消えている。どうやら陣にブランだけ放り込んできたらしい。
Olのそのすごい火なら、多分穴を空けられますよね?
邪魔なあの泡がなければな
そうやり取りする間にも泡雫球は泡を吐き出し、先程爆発して減った分を補充している。
ならこうしたらどうでしょう?
フローロはそう言って自在棍を構えると、それを巨大に広げ、泡を弾きながら泡雫球の本体まで続くトンネルを作り上げた。
そこまで大きく出来るのか!
いえ結構キツいので出来れば急いでお願いします!
Olはトンネルをくぐって泡雫球の目前まで向かい、その身体に炎を浴びせかける。苦し紛れに突き出される触手をかわし、アレオスの爪が泡雫球の体を切り裂くと、その向こう側が透けて見えた。
泡雫球の背後は行き止まりだ。つまりは後ろを閉じる必要は無い。
よし!フローロ、このトンネルを引っ込めろ!壁を閉じる邪魔だ!
一瞬、このまま炎で溶かし尽くしてしまった方が早いのではないかと考えるが、泡に誘爆されても面倒だ。それに何をしてくるか分からない相手は、さっさと封印してしまった方が得策だと考えた。
閉じろ!
Olは地面に手を付き、全力で母なる壁を操る。それが完全に閉じる寸前、泡雫球が蠢く。
最後の攻撃か、と備えるOl。
次の瞬間、Olは術の制御も攻撃のことも忘れ、目の前の光景に見入っていた。
スピ、ナ?
泡雫球の取った、見知った姿に。
Olっ!
フローロが自在棍でOlを突き飛ばし、寸前まで彼のいた場所を泡雫球の触手が貫く。そしてそれはそのまま伸びて、回避しようと身を捩るフローロの肩口を貫いた。
くっ!フローロ!
Olは慌てて壁を閉じ、泡雫球を閉じ込める。そして急ぎフローロに駆け寄ると、彼女の身体を抱きかかえた。
大丈夫です、ほんのかすり傷なので
いやまずいな。毒だ
フローロの顔色はどんどん悪くなっていく。Olは手早く解毒の呪文を唱えたが、どれも効果がない。
この世界の解毒スキルではないから、という訳でもない。解毒スキルの解析は済ませているが、あれは要するに対象者の毒耐性を増加させて毒の影響を減らすものだった。それに類する術をかけても、焼け石に水だった。
Olわたし、
喋るな。毒の回りが早くなる
一つだけ、毒を取り除く方法はある。だが、時間が足りない。
時間。天啓のように、Olはある方法を思いつく。フローロを助ける唯一の方法。迷っている時間はなかった。Olは手早く座標を計算すると、フローロを抱きかかえ転移する。
そこは、フォリオの隠し部屋だった。氷柱のような姿の結界が鎮座している。Olはその結界の中に、フローロを放り込んだ。
入れるのは簡単だ。単に結界の中の座標に転移させればいい。
そして、Olは自在棍を手に取ると、それをちょうど結界の内と外の境目を横断するように入れた。
外から自在棍を操作する。Olの魔力操作の精度であれば、その先端を髪の毛よりも細い刃に整形することも可能であった。
その刃で僅かにフローロの肩口を切り開き、そこに残った毒を取り除く。解毒ができないのであれば、物理的に取り除くまでであった。
それは砂漠にばらまいた色つきの砂を一粒一粒拾い集めるような、途方もない作業だった。
時の止まった氷柱結界と自分を更に時滞結界で包み、集中して毒を取り除いていく。何度も何度もフローロの身体に捜査をかけ、毒の場所を割り出し、体を切り開いて毒を取り除き、傷口を治癒して閉じる。
気が遠くなるほどの時間をかけて、Olはとうとう毒が魔術に反応しなくなるまで取り除く。
あとは、フローロを結界から出して容態を確認するしかない。もし魔術でも見つけられないほど身体の奥底に毒が残っていれば、フローロは死ぬ。
外から入れるのは簡単だ。しかし取り出すには、結界を破壊する必要がある。その方法自体は、既に手に入れていた。
道具袋改
皮袋にレイユから買い付けたスキルをかけて、結界に被せる。それは通常の道具袋の効果に加え、中の物が劣化しなくなるという効果を備えたスキルであった。暖かい料理を暖かいままにしておくくらいの意味しかないが、それは確かに時を止めるスキルだ。
そして結界というものは概して、全く同じ効果を持つ結界を重ねると効果が上書きされる。
つまりは、氷柱の結界は道具袋に上書きされ消えるということだ。
フローロ!
直ぐに道具袋からフローロを取りだしてその脈を確認する。だが、彼女の脈拍はどんどんと弱くなっていった。
毒が、残っていたのだ。
道具袋改の時間停止効果は生き物には影響を及ぼさない。フローロを入れても中で死ぬだけだ。Olは思いつく限りの回復魔術をかけながら、何か打つ手がないか必死に頭を回転させた。
それでは駄目ですよ
その時、鈴が鳴るような声がOlの耳朶を打った。氷柱の結界の中にはそういえばもう一人、閉じ込められている者がいたのだと思い出す。
その閉じ込められていたもう一人美しいエメラルドグリーンの髪を持った女は、敵意の欠片も感じさせぬ優しい手つきでフローロの傷口を撫でる。