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『僕もねえ、まさか彼女がついてくるとは思ってなかったよ』

コウも戸惑いがちに答えた。

『大丈夫なんですか? こんな行軍についてくるなんて、何というか、その……』

『妙齢の美人メイド、おっさん魔術師、狭い馬車で二人きり。何も起こらないはずがなく……ってな感じかい?』

おどけたようにお手上げのポーズを取ってみせるコウだったが、がっくりと肩を落として溜息をつく。

『実際ねえ。領主様が彼女を寄越してきたのは、そ(・)う(・)い(・)う(・)意(・)図(・)があってのことだと思うよ。自分で言うのもなんだけどさ、僕ってほら、最前線に配置される可能性が高いから……』

『うわー、やっぱそうなんですか……』

コウは氷の魔術師であり、“飛竜(ワイバーン)“のブレス―火炎放射への数少ない対抗策でもある。攻城兵器や前線指揮官を守るため、攻撃部隊の中心に据えられるのは、まず間違いない。

言うまでもなく危険な役割だ。訓練を受けている戦士でもなし、いつ臆病風に吹かれて逃げ出してもおかしくない。そして、いわゆる由緒正しき家々出身の魔術師とは違い、流れ者であるコウには社会的に縛るものがない。

―なら、縛っちゃえ。

つまり、そういうことだろう。ヒルダは上級使用人で、本人は授爵こそしていないものの男爵家出身だったはず。

飛竜討伐軍に派遣され、しかも流れ者の異邦の男性に仕えさせられている時点で、けっこう酷い扱いだが―そんじょそこらの一般人ではない。お手つきにしてもいいから頑張ってね、という領主側の無言の圧力を感じた。

『まあ……正直なところ、彼女がいてくれて助かってるのは事実だ』

コウは極めて渋い顔で認める。

『何せ、こんな馬車に缶詰じゃロクな娯楽がなくってね……』

『……えっ、まさか……』

『……ああいや違う違う、そういう意味じゃない!』

やはり自分はお邪魔虫だったのでは―とビビるケイに、一拍置いて、語弊を招く言い方であったこと気づいてコウが慌てて手を振った。

『そうじゃなくて! 話し相手とか、遊技盤(チェス)の相手とか、そういうことだよ!』

バッ、と折りたたみテーブルの上の、遊びかけの盤面を指差すコウ。どうやら一局指している途中だったらしい。

『彼女とは健全な関係だから! まだ手は出してないから!』

『ま(・)だ(・)……?』

『あっ、いや、その……』

コウは深く溜息をついて、座席に沈み込んだ。

『……ケイくん、こんな密室でさ。向こうがその気だったら、男ができる抵抗なんてたかが知れてるよ……』

『まあ、もちろん、気持ちはわかりますが……あっ、自分は、決して非難してるわけじゃないんで、悪しからず。むしろ仕方ないっつーか』

『そう言ってもらえると助かる。既婚者という点も心強いね』

『いやー言うて自分は恋愛結婚ですんで……相手も国籍こそ違えど同郷ですし』

『ン……まあそうなんだけどさ……』

頬杖をついたコウは、おもむろに盤面の女王(クイーン)の駒をつまみ、コツンと魔術師(ビショップ)を小突いた。

どうやら磁石が仕込んであるらしく、グラッと揺れるものの、倒れまではしない。まあ、移動中に馬車が揺れることを鑑みれば、これぐらい強度がなければ遊べたものではないだろうが。

『単純な色仕掛けなら、どうにか耐えられるんだけどね。四六時中一緒で同情を引くような言動を取られると、僕はそういうのに弱いんだ……時間の問題だよ……』

『アレな聞き方になりますけど、寝るときも一緒なんです?』

『拒否したら彼女だけ外で野宿』

ケイのあけすけな質問に、肩を竦めてみせるコウ。

ああ、……とケイは唇を引き結んだ。コウはそういうのに弱いタイプだ―

『……正直なところ、事実関係は抜きにしても、床を共にしちゃった時点で丘田さんの嫁入り先は限定されるでしょうし……責任を取った方が楽になれるのでは』

ケイの容赦ない意見に、コウは両手で顔を覆った。

『そうだよね……そうなるよねぇ……』

そのとき、神妙な顔をしながらも、ケイは思う。ケイとアイリーンもことあるごとにアレコレ言われたものだが、確かに、他人のこういう話題は楽しい……! コウには気の毒だが。

影の魔道具でアイリーンと通信するとき、話のネタができた。

『ちなみに、肝心の丘田さんはどんな感じで……?』

『……言い渡されたお役目とはいえ、実は、前々からお慕いしていました……みたいなことを囁きかけてくる。でもさ、こんな外人のおっさんに、良家の娘さんが恋するなんて、そんな恋愛小説でもあるまいし……僕に少しでも気に入られようと、心にもないこと言ってるんだろうなぁ、と考えたら気の毒で気の毒で』

『あ~……』

いずれにせよ、その台詞は遺憾なく効力を発揮しているわけだ……。コウの陥落はそう遠くないな、とケイは思った。コウを狙っているであろう、もうひとりの同郷、豹耳娘(イリス)には気の毒だが。

お待たせしました、お茶をお持ちしました

と、金属製のポットとカップを手に、ヒルダが戻ってきた。

ありがとう、ヒルダさん。いつもすまないね

コウが座り直しながら、何事もなかったように穏やかな笑みを浮かべる。ヒルダも自然に微笑み返し、お茶の用意をしながら、コウの隣に楚々と腰掛けた。

いえいえ。ケイさんも、どうぞ

ありがとうございます

お茶を受け取りながら、(なんかもう長年連れ添った夫婦みたいな距離感だな)とケイは呑気なことを思った。

『こんな外人のおっさんに』とコウは卑下していたが、……まあヒルダが恋(・)し(・)て(・)いるかは別にしても、傍から見る分には、案外まんざらでもないんじゃないか、という気がした。

コウは言うまでもなく、この世界ではトップクラスの魔術師だ。しかも希少な氷の精霊との契約者。冷蔵庫は作る先から飛ぶように売れていくし、その他、高度な魔道具だって何でもござれ。出自なんて関係なく、才覚だけで新たに家を興せるレベルの男だ。

しかも、こう見えてかなりの杖術の使い手でもあるので、ゲーム由来の肉体はほどよく鍛えられている。ゲーム内では熟練プレイヤーから初心者まで容赦なく殴り殺す無法者だったが、現実では思いやりのある紳士で、女性にも優しい。

翻ってヒルダ。女性にしては背が高く、割とがっしりめの体格をしている。顔立ちは凛々しいタイプの美人、それでいてその所作は柔らかく上品だ。聞けば、海原語(エスパニャ)と高原語(フランセ)を話せ、雪原語(ルスキ)さえも学んでいるとか。意志の強そうなキリッとした瞳は、彼女の豊かな教養と知性を覗わせた。