そんな、男爵家出身の才媛なのに、飛竜狩りに派遣されたり、異邦人に仕えさせられたりと、扱いが雑なのが気になるところだが―それだけ領主側がコウを重視しているというポーズなのか、それともヒルダの実家での立場がそんなに良くないのか。
いずれにせよ、ヒルダの立場から見ると、コウはかなりの優良物件だと思う。
ふと、対局中のチェス盤に視線を落とすと、―ケイは決して優れたチェスプレイヤーではないが―かなり白熱した戦局であるように思われた。というか、おそらくヒルダ側が押している。
コウに忖度することなく、いい勝負をしても大丈夫、そんなことでヘソを曲げられることはない、とヒルダが安心して指せる程度には、信頼関係があるわけだ。
(―割とお似合いなのでは……?)
行儀よくお茶を口にしながら、そんなことを考えるケイ。
『ところで、僕に用事でもあったのかい? 少し焦ってるようにも見えたけど。長々と喋っておいてなんだけどさ』
改めて日本語で、そして話題もさっぱりと切り替えて、コウが話しかけてきた。
いくら言葉を聞き取られる心配がないとはいえ、本人を前に、センシティブな会話ができるほど豪胆ではない。ケイも、コウも……。
『ああ、それなんですが……実は先ほど、宰相閣下に呼び出されまして』
『誰に呼び出されたって?』
『宰相閣下です』
『さいしょうかっか……?』
コウが首を傾げている。日本語が流暢なので忘れがちだが、彼は英国育ちで英語がメインなので、日常的に使わない日本語は通じないことがある。
『Chancellorです。Chancellor His Excellency』
『えっ、あっ、さいしょうってその宰相か!』
コウはびっくりしているし、その隣でかしこまっていたヒルダも、突然の理解可能な思わぬ単語に驚いている。
『ほえーなんでまた?』
『それがなんか……新しい役目を俺に与えるとかで……Archducal Huntsman? とかいうのに任命されたんですが、意味がよくわからなくて』
コウに書類を差し出しながら、ケイ。
ざっと目を通したコウは、 あー と声を上げた。
『確かにそういうことが書いてある。Archducal Huntsmanは、日本語で言うなら……そうだな……、なんて言えばいいか』
あっという間に読み終わって、自然に隣のヒルダにも紙面を見せながら、考え込むコウ。ヒルダも書類を一瞥して、 わあ、おめでとうございますケイさん などと言ってきた。
『Archdukeが、この国の王様、つまり大公って意味なんだ。Archducalは『大公の』という形容詞で、キングに対してのロイヤルみたいな単語なんだけど』
ここが公国じゃなくて王国だったら、ロイヤルハンツマンだったというわけだ。
『ああ、なんとなくわかりました。王様お抱えの狩人的な』
『そうそう。なんかなー、これを言い表すのに、何かいい感じの日本語があった気がするんだけど。王に近いエスコートみたいな単語で……ちか……ごえい……ああそうだ、近衛だ! 近衛狩人ってとこかな』
『このえかりうど』
強そう。
ヒルダさん、この役職について何か知ってる?
英語に切り替えて、コウが尋ねる。
はい。確か、公王陛下直轄の森や狩猟場において、管理維持を任される役人だったと記憶しています。特例的に、この飛竜討伐軍において、それと同等の権限を与える旨が記されていますね
ははぁ、なるほど……それで、権限とはどんなものが?
申し訳ありません、具体的な法規までは。ただ、聞きかじった話ですが、公王陛下主催の狩猟会で、警備のため近衛狩人が100人ほどの兵士を率いたことがあるそうで、裁量は軍の百人長と同等ではないかと。狩猟に関することに限る、と条件はつくでしょうが
しかし、なんだってケイくんが任命されたんだい?
それがですね……
ケイが伝書鴉の安全確保のため、障害となるものを片っ端から狩るよう要請されたことを説明すると、ふたりとも なるほど と感心していた。
『つまり、軍団長とか高位の貴族とかに絡まれない限り、通信の保全をタテに干渉を突っぱねられるだけの権限を付与しつつ、それでいて軍への指揮権は持たないという絶妙な采配だねこれは』
『ははぁ、そんな意図が……つまり、勝手に狩りしてていいよ、というお墨付き以外の何物でもないってことですかね』
『身も蓋もない言い方をするなら、そうだね』
コウに太鼓判を押されて、ケイはようやく安心したように座席に身を預けた。
『良かった。これでホッとしましたよ、自分が何になったのかわかんなくて……』
『言葉がわからなかったらそうだろうね。僕だって急に宰相に呼び出されて、お前を近衛狩人に任命する! とか言われたらビビるもん』
おどけたコウの言葉に苦笑しつつ、お茶を一口。今更のように、旅の道中でありながら、香り高い高級なお茶であることに気づいた。
味わう余裕もありませんでした。おいしいです
それはよかったです
ヒルダもくすくすと笑っている。
さて、それじゃあ、自分はそろそろ失礼します。せっかく任命されたんで、役目を果たさないと。コウさん、改めてありがとうございました
いやいや、お役に立ててよかったよ。あんまり根を詰めないようにね……といっても、きみは狩り好きだから、むしろ楽しめるかな?
はは、実は猛禽を一羽狩るごとにボーナスがつくんですよ
ケイがニヤリと笑って指で輪っかを作って見せると、コウもヒルダもからからと笑っていた。
そりゃあいい。じゃあ、頑張っておいで
はい。ヒルダさんも、美味しいお茶をありがとうございました
いえいえ。精霊様の御加護がありますように
そんなわけで、ケイは馬車をあとにした。
チラッと振り返れば、中でコウとヒルダが何事か話しているのが見える。
ケイが去ったというのに、ヒルダは隣りに座ったまま。
『……お似合いだと思うんだよなぁ』
ふふっと笑いながら小さく呟いて、ケイはコキコキと首を鳴らしながら、元いた義勇隊に戻ることにする。
ひとまず、マンデルをはじめ仲間たちに事の顛末を伝えてから、『近衛狩人』としての任務を果たしにいくことにしよう。
……銀貨のボーナスも、欲しいことだし。
107. 一狩
寒空の下、ウサギが一羽―
草原の只中で、耳をピクピクさせながら草をはんでいる。
周囲を警戒しているつもりなのだろう。だがそのウサギは、自らがどれほど危機的状況にあるかを、まるで理解していなかった。
ウサギから、三十歩ほどの距離。
サスケにまたがるケイの姿があった。
ウサギも、ケイの存在は認知していた。 だけどこれくらいの距離があれば大丈夫だろう、人間は鈍いし とでも思っているようだった。その手の”竜鱗通し”が何なのかを、ウサギは理解できない。そこにつがえられた矢の意味も。