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大きな絵を下から見上げる

そう下から見上げると、教科書の小さな写真では太すぎると思った馬の首が、しっくりとしているんだ遠近法のトリックなんだよ作者は、最初からその絵がどの距離のどんな角度から観られるか計算して描いているってこと大きさもねこういうのは、やっぱり実物を観ないと判らないもんだなって、あたしは感心したんだよ

写真で小さくされたのでは、判らないことだってあるのか

もう、マルちゃんそもそもさ、本物の絵と写真じゃ発色が違うでしょ

寧さんもやって来る

ヨッちゃん実物の油絵って、本当にキラキラしていて綺麗なんだよっ

そうねどれだけ印刷技術が発達しても、本物の色は再現できないかもね

ミナホ姉さんも、そう言う

それにさ本物には、画家の筆の跡がしっかり残っているんだよ本当に、人間が手で作ったっていうのがよく判るの人間てスゴイなって思うよ筆のスッとした点や線で、色んなものを表現しているんだから

寧さんも、眼をキラキラさせて話す

あたしは絵だけでなく、吉田くんを写真の展覧会に連れて行きたいな

本当の一流の写真家が撮って、焼いた写真は深みが全然違うからあれこそ、印刷だと魅力が半減するよ本物のオリジナル・プリントを観ないと価値が判らないと思うね

とにかくまずは、彼を超一流の物に触れさせましょう本物の凄さを体感させて一流、二流の差を理解するのは、その先ね

そうだね半端な物を先に観ると、眼が曇るからね

あのどうして、マルゴさんも寧さんも、そんなに美術とかに詳しいんですか

マルゴさんが笑う

そんなの決まっているだろあたしと寧は、ミナホの教育を受けたんだから

恭子さんの趣味も入っているけどねあの人も、一流のものを観て審美眼を磨けって、うるさいから

まだ会ったことはないけれど恭子さんという人も、多彩な趣味を持っているんだ

物の価値を見抜く力が身に付けば人の価値も判ってくるわ

ミナホ姉さんが、言う

例えばあなたが今着ている背広どうしてそれが高級品なんだと思う

これはマルゴさんに、布の生地がビンテージだって教えてもらいましたけれど

確かそんなことを聞いた

じゃあ、どうしてその生地がビンテージなんだと思う

それはえっと

今じゃあ、もうその生地を織る様な機械は、残っていないんだよ

今は、もっと合理的な織機を使っているからその生地はね、織るのにかなりの手間の掛かるんだよ

物の価値を知ろうと思ったら最初に、どれだけの手間が掛かっているかを想像して一流の職人さんが手間と時間を掛けて作った物は、絶対に高価だよ

次にその作品に、天才や熟練の職人でしか思い付かないアイデアが入っているのかどうかを感じてひらめきってやつだよ

あくまでも、手間と時間が掛かってるって方に重点を置きなさいひらめきに注目するのは、その後よ

ひらめきとか斬新なアイデアは、目立つけれど手間と時間を掛けて作ったものには、適わないわ何百回も、別のアイデアを試みて失敗を取り除いて、経験を積み上げて作った物なんだから

現代アートがつまんないのって、そういうことだよねパッと思いついたアイデアだけで、チャッチャと作品を発表しちゃうから時間を掛けて練り上げた重みが感じられないんだものっ

寧さんの意見はオレには、よく判らない

例えばここにボールペンが一本あるわ

ミナホ姉さんがペンを取り出す

こんな物だって製作するためには、誰かが何十枚も設計図を描いているのよ

設計図

長さは何ミリにしようかとかインクはどんな調合の物を、どれくらい入れるかとかねボールペン1本を世に出すためにだって、たくさんの図面が描かれ何本も試作されていくの

物を作るって、簡単なことじゃないんだ

そうやって製品化されて、売り出されても購買者たちから、使いやすさや見た目の美しさで、また選別されるわ受け入れられなかった物は、淘汰されるそして、どんなデザインが好まれるかというデータが残って次の製品に生かされていく

そうやって時間を掛けて、多くの人の手で洗練されていくのよそうやって作り上げられた物は、やっぱり美しいと思わない

物を見る度に想像なさい一つの物が作られるまでに、どれだけの時間と人の労力が掛かっているかを

オレは、周囲を見廻す

劇場の建物ロビーのソファ天井の照明器具カーペット受付の机椅子

みんな、誰かが時間を掛けて考えて作り上げた物だ

そう考えると人間の世界って凄いな

世の中の物は、みんなそうやって作り出されているのよまずは、そういう人間たちの努力と時間の積み重ねを感じなさい芸術家だって本来は、基本的な技術を身に付けるまでに何年も掛かるし、師匠や兄弟子と交流することで先達のトライ&エラーを引き継いでいくんだけれどね

まあ、今は誰かの弟子とかにならなくても、簡単にデビューできる時代だし長い時間を掛けて修練しなくても、作品っぽい物を作れる環境も整っているからね

ミナホ姉さんとマルゴさんが、顔を見合わせる

確かに若い内にしか出て来ないひらめきっていうのもあるんだろうけれど技術や経験の裏打ちの無いまんま、ひらめきだけで作品を作っていってもね

そんなことばっかりしていて、結局まともな経験値を身に付けないまま、オジサンになっちゃったアーティストもいるじゃない

マルゴさんの言葉に、寧さんが吐き捨てるように言った

そんなに怒る必要は無いよそういうアーティストは、ちゃんと消えて行くから

消えてないわよエラソーにしているじゃないっ

そりゃ美術業界なんて狭い世界だからね特に日本はムラの中の理屈で、威張っている人ってのは、そりゃあいるよ

そんなの頭に来るじゃないっ

でもあたしには、そういう中身の伴わないアーティストが、死ぬまでずっと今の地位を保っているとは、とても思えないよ美術史上には、何の足跡も残さないで消えて行くだろうね19世紀に、印象派を馬鹿にしていたアカデミーの画家たちが、現在ではすっかり忘れ去られているようにね

それはそうなんでしょうけれど

マルゴさんと寧さんの会話に、ミナホ姉さんが割り込む

寧現代アートの批判は、それぐらいにしておきなさい吉田くんが、困っちゃってるじゃない

あっ、ごめーん、ヨッちゃんには興味が無い話だよね

うんアートなんて、よく判らない

ていうか、何でみんな、こんなに詳しいんだよ

話を戻すわ吉田くん、もうすぐ開場時間になるわそうしたら、この劇場には一流の名家と呼ばれる家柄の人たちがたくさん来るわね

良い機会だから、よく観察なさいそして比較するの品格をね