いいえわたくしにも判りません
美智も知らない人物となると何者なんだ
んあたし、知ってるわよ
雪乃が、軽く答えた
知っているのか
何で、雪乃が
で誰なんだ
雪乃は、ケロッとした顔で答えた
金子信男さんよ
雪乃はそう言う
へえそうなんだ
そうよ金子信男さん
金子信男
マジで、誰なんだ
どこの金子さんなんだ
オレがそう尋ねると雪乃は
大叔父様の側近よ新聞社の役員の金子さん
雪乃の大叔父というのは、白坂家当主・白坂守次氏だ
つまり白坂家に仕えている人間か
側近の順位で言うとねええっと、20番目より下くらいね金子さんは、平取りだから
平取り
ただの取締役専務とか常務とか肩書きが付いていないのよ
それってどんな立場なんだ
会社組織の中での偉い順とかオレには、よく判らない
まあ、役員なんだから一応、経営陣の一人なんだけれど金子さんは、元々は社会部の記者から叩き上げで出世した人で、長いこと中国支社の支社長をしていた人よ去年ぐらいに、ようやく本社に呼び戻されて役員に昇格したって話よ
中国って海外に居たのか
何か国際派には、全然見えないけれど
違うわよ広島よ
広島
中国地方広島にずっと居た人よ
ああそれで、訛っているんだ
お前そんな人のこと、よく知っているな
パーティーの時に、うちのパパが馬鹿にしていたから覚えていたのよ
白坂創介が馬鹿にしていた
中国支社長なら、現地でイバっていられたけれどあの年で平取りじゃあ、誰からも相手にされなくて本社でペコペコしてるしかないって見た目では出世なんだけれど、実際には今期限りで退職させられることが決まっているから、リストラなんだって
そういう立場の人なんだ
でその平取りでリストラ候補の金子さんが、何しに来たんだよ
そんなの、あたしが判るわけが無いでしょ
さすが、雪乃だ
白坂家の関係者の力関係については、よく知っているくせに
今、この現場で何が起きているのかについては興味が無いらしい
おそらく香月様に交渉に来たのでしょう
美智が、言った
でも金子さんは、そんな権限は持っていないはずよ
このままでは香月様と白坂守次氏の直接対決になってしまいそうなので、現状に危機感を感じたのでしょう自らの保身のために、香月様に近付いて来たのだと思います
どういうことだ美智
例えば白坂守次氏に関する秘匿情報を、香月様にお知らせするとかいずれにせよ、香月様に取り入ろうとなさっているのだと思います
つまり裏切り
白坂守次のグループは、そこまで追い詰められているのか
あたしゃあねぇあんたさんに、どうしてもお話ししたいことがあるんですわっなあに、五分で構いませんわっいいや2分でいい30秒でもわたしの真摯な言葉にどうか耳を傾けて下さいませんかねぇ
興奮した男が、必死で閣下に叫ぶ
しかし香月様は、お聞き届けにはならないでしょう
美智は、言った
取締役会の下位の人間が知っている情報なんて、大したものではないでしょうしこの裏切り行為そのものが、白坂守次氏の策かもしれません
わざと裏切り者を送り込んできた
偽情報を掴まされる可能性が高いということか
そもそも香月様は、こういう不躾な行為がお嫌いです
香月閣下は男を無視したまま、警護役に手で合図する
スッと空中を撫でるように払う
追い払えのサインだ
失礼ですが、お客様
女性警護人の関さんが、スッと立ち上がって金子信男に近付く
関さんの身のこなしは、優雅でエレガントだった
穏やかな笑みを端正な顔に浮かべている
あらかじめ、美智に警護人と教えて貰っていなかったら香月閣下専属の秘書かコンパニオンだとしか思えないほどの超美人だ
そんな関さんが優雅に微笑む
申し訳ございませんお話でしたら、あちらでわたくしがお聞き致しますわっ
それじゃあ、ダメなんじゃよぉぉぉっあんたじゃのうて、あたしゃあ香月重孝さんと、二人っきりで差しで話したいんじゃっ姉ちゃん、お願いだからぁ、取り次いでくれんかのぉっ
ヒステリックに叫ぶ、金子信男
男の様子が、急におかしくなる
むぎっ
あら、どうなさったんです
関さんが、ニッコリと微笑むと
金子信男は突然、口から泡を噴いて、その場に卒倒した
まあ、大変ですわっ救護の方を早くっ
すでに、香月セキュリティ・サービスの制服組が近くまで来ていた
警備員によって、すぐに担ぎ出される金子信男
驚きましたわぁっまあ、あの方、とても興奮なさっていたようでしたしお酒もたくさん飲まれていたみたいでしたからねぇ
劇場の外に運ばれる男を見送りながら関さんが、言い訳じみたことを言う
美智、今のは
はい関さんが、一瞬であの老人のボディに3発拳を打ち込んでいます
美智がそう告げる
これだけの観衆に注目されている中で
誰にも気付かれることなく、関さんは金子信男をノック・アウトした
関さんは、香月セキュリティ・サービスの中では、最も優雅な技の持ち主ですから右腕で観衆の視線をブラインドして、左の拳で流れるように急所を3カ所打ち抜きました
怖ぇぇ
関さん、マジ怖い
金子信男が場外へ連れ出されると同時に香月閣下が、スッと立ち上がる
みなさん申し訳ありませんなあにこんなことは、私の日常生活では、よくあることですどうか、ご心配なさらないで下さい
穏やかに威厳のある声で、閣下は言った
それから、突然起こった事件に舞台の上で怯えている、踊りを終えたばかりの少女たちに向かって
おかしな人の乱入で、君たちの踊りの余韻を壊してしまって、申し訳無いね真下香苗さん大畑麻里乃さんでも、私はちゃんと君たちの踊りを覚えていますよ良い踊りでしたよく、お稽古をしていますね
閣下はパンフレットを確認することなく、少女たちの名前をフルネームで呼んだ
偉大なる香月閣下から直接、名前を呼ばれて少女たちの顔が微笑む
また来年の発表会を楽しみにしていますよこれからも、研鑽を続けて下さい
舞台上の少女たちが、閣下に礼をする
その瞬間場内に拍手が起こった
閣下も拍手する
場内の観客たちの拍手は閣下のスピーチに対するものだったのに
閣下も拍手に加わることで少女たちの踊りに対する賞賛の拍手にすり替えられる
拍手の続く中閣下は、スッと席に座った
舞台から黒衣が現れて、少女たちに袖に引っ込むようにサインを出す
もう一度、観客席にペコッと頭を下げて少女たちが退場する
舞台の進行が、元に戻る
まるで金子信男の乱入など、無かったみたいに