コヨミちゃんも付いて来たことに驚いている
ま、いいんじゃないのあんたも、ずっとあの家の中に居るんじゃ、息が詰まるだろうし昼間のお屋敷は、すっかり金髪のお姫様の天下だものね
アニエスのことか
今は、マルゴさんが渡米中だし
渚は店が、克子姉はオレとパン屋の仕事がある
ミナホ姉さんも、基本的にはお屋敷の中に居るけれど黒い森のことや、香月セキュリティ・サービスの情報分析とか、色々と仕事を抱えている
だから、お屋敷の中は月子とマナが、アニエス、ヨミ、ルナ、コヨミちゃん、真緒ちゃんの面倒を見てくれているという状態になっている
真緒ちゃんは、日によって渚と一緒に、花屋の方へ行くこともあるけれど
しかし、そうなると
アニエスが、子供たちの大将みたいになってしまう
ルナは大人しいし、コヨミちゃんはまだオレたちとの生活に慣れていなくて心を閉ざしたままだし
少し、外の世界の空気を吸った方が良いと思ったのよ喜代原さんが一緒なら、コヨミちゃんは安心だろうし
愛のお母さんとコヨミちゃんはいつも、屋敷の中で一緒に居る
2人とも、オレたちとの生活に戸惑っているし
お互いの求めているもの
愛のお母さんは自分の娘の代わりに庇護する相手
コヨミちゃんは母親代わりになってくれる母性
心の欠落を満たせそうな相手が、すぐ近くに居たから
いや、もちろん2人が過度に接触し、依存し合う関係にならないように
克子姉たちが、常に監視しているし絶対に、2人きりにはさせていないけれど
喜代原さんのお宅への訪問にも連れて行くつもりよ
コヨミちゃんが居れば、愛のお母さんが精神崩壊しないという分析をミナホ姉さんは下した
自分が守ってあげないといけないと感じている子がいる限りは心は折れにくくなる
だからボクも来たんですその方がコヨミちゃんが寂しくないだろうと思って
ルナは、自分はあくまでもコヨミちゃんの遊び相手だという顔をしている
というか編入試験の模擬テスト、ボクとコヨミちゃんは合格点が取れたんですけれど、アニエスちゃんはダメだったんです
だから、アニエスちゃんはお屋敷でお勉強なのよ今日は
はい、月子お姉様とヨミお姉様にお願いしてきました
そうよねアニエスちゃん、ルナちゃんが大好きだから家の中だと、いつもルナちゃんの後を追っ掛けて、大騒ぎですものね
ルナはたまにはアニエスと離れたいという気分で、こっちへ来たという設定にしたんだな
よっしゃ戦闘準備だぁ
寧が気合いを入れてオレがオーブンから出したパンのパッドを抱えて、売り場の方へ行く
克子姉、この3種ちょっと味をみて
ちょっと、思い付いていつもとやり方を変えてみたんだけど、上手くいかなかったんだ
オレは、そう説明しながらも克子姉の答えを待たずに、次の作業に取りかかる
昼休みの開店まで、もう時間が無い
とにかく、全てのパンをオーブンから取り出して
その予熱が残っているうちに昼休みの半ば過ぎに売り出す、第2弾のパンを焼かないといけないんだ
オーブン内を軽く掃除してすでに焼けばいいだけになっているパン生地の入ったパッドを持って来て順番に、オーブンに並べていく
それ、ボク手伝おうか
ルナは興味があるらしいけれど
ごめん、どれを先に焼くとか、どれをどのオーブンで焼くしか決まりがあるんだよ
高温で焼いてから、低温で焼き込むパンもあれば同じ温度でじっくりと焼くパンもある
焼き上がりまでの時間もまちまちだ
それぞれ、別のオーブンであらかじめ決めた予定通りに、焼き分けなきゃいけない
今日は見ているだけにしてねそのうち、ルナちゃんにも教えてあげるから
克子姉は、オレが失敗したパンを食べながらそう言う
そうねこの3種類は今日は、50円安く売りましょう
克子姉は、そう判断する
いや、失敗なら売るのは止めようよ
いつも売っているものが、今日は50円安くなってたら、みんな変だと思うだろうし
このパンは値下げすることになったんだと勘違いされても困る
パンの定価は、原価と儲けを元に散々考えた結果決めたんだから
何で今日は安いんだってお客様に聞かれたら、ちょっと、吉田くんが失敗しちゃったからなのよって答えるわよいいわね
あなたに判って欲しいことは、2つあるわ1つ目は作ったものは売らなきゃならないのよあたしたちはパン屋なんだから
失敗したからって廃棄していたら生活ができなくなる
もう1つはねあたしたちは、いつも同じパンを同じ品質《クオリティ》で売る義務があるのよ
同じ質
このパンの味を楽しみにしている人だって、いるかもしれないわだから無闇に品質を落とすかもしれないような試みは、しちゃいけないのよ本番のパンではね
だから2度と、こういうことはしちゃダメよ試作なら、売らないパンでしなさい
ああわざと50円安くして失敗作として売るのは、オレに対する戒めなんだな
うん判ったみんなには、そう言ってオレが失敗したんだから
ええ、恥ずかしい思いをしなさいそして2度と同じ間違いは繰り返さないプロになるのならね
恥ずかしい思いをしないと上達はしない
だから、これでいい
発想は悪くないわよでも、今、試してみることじゃなかったわねそれだけのことよ
克子姉の顔は笑っているが眼は厳しい
そうだねごめん
現場で思いつきだけで、変更しちゃダメなんだ
あなた、大分パン作りに慣れてきたでしょこうやって、自分の作ったパンを売ることにもそういう時だからこそついつい、こういうことをしてしまうのよ
オレは、日々の作業に変化を付けたいとか、偉そうに考えていたけれど
簡単に変えちゃいけないこともある
人に売るものなんだから
あたしも昔お嬢様に叱られたことがあるわ
そうだ克子姉も、パン屋をやるのは今が初めてのはずだ
全ての商売全ての仕事の基本よ慣れてきたと思ったら、自分の心を戒めないといけないのよ自分らしくとか自分ならこうするとかそういうのは、もう少し先になってからよ
克子姉は高級娼婦時代の経験を基に、話しているのか
克子姉も今のオレみたいに
仕事に慣れ始めたところで、自分の色を出そうと思いつきで何をやって、失敗した
あるいは、失敗する前にミナホ姉さんに、叱られた
そういうことが、あったんだな
あなたはまだ、パン作りの入り口に立ったばかりなんだからねこういうことは、もっと色々なパン作りの技法をマスターしてからにしなさい
それにあなたが今回思い付いたように方法を使っているパンは、もうあるのよ
自分以外に、こういうのを思い付いた人がいなかったとか思うわけ