ぽやややんとリラックスしてた方が、周りの様子がよく判るんですよねーだからもっとヘラヘラしてないとダメだって、よく叱られました
ああ、イーディがいつもヘラヘラ笑っているのも、美智が常に無表情なのも同じことなんだ 試合なら、対戦相手はあらかじめ決まっているが 実戦では、横から何が飛び出して来るか判らない だから、眼の前に見えている敵だけでなく戦闘中にも、常に周囲を警戒し続けている その様子がヘラヘラしているように見えているのか
あなたの家の槍術だって最初は、戦国時代あたりの戦場での実戦経験から生まれたんでしょうからそういうことも、かつては判ってたはずなんですけどねー
木下さんは栗宮さんに言う
でも、江戸時代の270年間は長かったですから家伝の武術として伝統化していくうちに、実戦武術としての大切なことが色々と消えてっちゃったんでしょうね多分、そういうことなんだと思います
栗宮さんは、ジッと木下さんを見ている
特にあなたの流派は、家のご当主が代々受け継いできたわけですよねそうなると卑怯なことはダメだとか、華麗な技でないと名家の当主に相応しくないとかどんどん、使えない武術の方に変化しちゃうんですよ
実戦じゃ卑怯もへったくれを無いですからねー泥臭くても、生き残らないと意味が無いわけですから
そ、そんなこと判っていますわ
判ってないですよあなたの技を見れば判りますあなたの家の槍術はあなたの家の中だけで、三百年ぐらいグツグツ煮込まれて来たんですよねだから、有る意味においては美しく洗練されているんでしょうけれど、実戦武術としての力は失っているんじゃないですかはいやっ
木下さんが、また栗宮さんに打ち込む
ほいやほいやほいやっ
栗宮さんは、また防戦一方だ
ほらわたしの攻撃が受けづらいですわね何でか判りますかーあなたの家の技は和服を着た敵と闘うことしか想定してないから、死角がいっぱいあるんですよこことか、こことか
木下さんの槍が、栗宮さんを追い詰めていく
それに、昔の槍は重かったですしこういう軽いカーボン製のよくしなる槍ならどんなアクションができるかとか、考えて無いですよね想定して実践する力が、全然弱いんですよそういう想像力を身に付ける稽古をしてきてないみたいですから
木下さんは槍の柄の一番下を握ってブワンブワンと槍を蛇のようにしならせて、栗宮さんに襲い掛かる
こんな風にも使えまーすま、わたしたちはプロですから、中国武術や、銃剣術や、マーシャルアーツで編み出された近代的な棒術なんかのテクニックも、みんな身に付けてますし応用ができまーすでも、あなたの槍術は昔のまんま、江戸時代に日本にあった他の武術のことまでしか、研究対応できていないですよねー
木下さんは闘いながら、栗宮さんを諭していく
だから、勝てないんですよねーわたしには、ほいやっ
木下さんは、ゴム製の穂先でビシッと栗宮さんの手を打つ 栗宮さんは、槍を落としてしまった コロロンと、カーボン製の練習用槍が中庭の地面に転がる
手のそこのところを叩くと、どんなに握力のある人でも手を開いちゃうんですよそういうものなんです
木下さんは、そう言うと
でまだやりますか
わ、わたくしはまだ負けていませんわ
栗宮さんは、慌てて落とした槍を拾おうとするが手が痺れていて、拾い上げられない
そこまでにした方が良いと思うわ
みすずが中庭へ出る
栗宮さん、あなた自分と木下さんをよく見比べてごらんなさい
あなたは全身、汗びっしょりで、服装も乱れているわ
みすずの言う通り栗宮さんは白袴の道着が大きく着崩れていた 顔も汗の玉が、月明かりに光っている
だけど、木下さんは汗1つかいていらっしゃらないわ
木下さんの方は涼しい顔で立っている
それはそうですよわたし、汗かくほど動いてないじゃないですか
木下さんは、カーボン槍をビュンビュンしならせて言う 栗宮さんは改めて、自分と木下さんを見比べて
わたくしの負けのようですわね
負けを認める
でも、これは栗宮流槍術が負けたのではありませんわあくまでも、わたくし個人が未熟だったからです
いや、同じことですよ
木下さんは、平然とそう言う
今、栗宮流槍術を受け継いでいるのは世界中を探しても、あなたたち2人だけじゃないですか
栗宮流槍術は栗宮素子さんと御厨くるみさんしか、やっていない
ですからあなたの負けは、栗宮流槍術の負けですそこのところを間違えてはいけないですよ
場の空気を読むとか、一切、しない人だった 栗宮さんは、屈辱に打ちのめされている
木下さんはアホ可愛くて好きです
しかし台風はどうにかならないのでしょうか
1322.槍よさらば / もう一つの敗北
槍は、人類最古の武器の1つなんですよね
もちろん、最初は長い棒の先に石器をくくりつけただけのものですけれど鋭利な金属の刃が付けられるようになったのは、人間の歴史が記録されるようになった後ですけれど有名なのは、古代ギリシャの長槍と大きな盾で武装した兵が方密集して陣を形成して、前方に槍ぶすまを展開して闘うファランクスよそれが、アレキサンダー大王のマケドニア軍では、さらに槍の長さを増してサリッサという槍になりました
レイちゃんは、そこまで言うとハイジを見る
ハイジちゃんは、ヨーロッパのアカデミーで詳しく講義を受けているんじゃないの
昔の戦争は、今のように無線機で指示を出すようなことはできませんから司令官の命令を、どうやって全軍に伝えるかはとても重要でした槍を持った集団を戦闘部隊としてまとめて活用すれば、多人数を1つの意志の元で動かすことができますしかし、それには充分に訓練された兵士が大量に必要となりますからヨーロッパでは、古代から中世になって、それぞれの諸侯が自分の領地を経営する封建社会になると、槍を持った兵による密集陣は廃れてしまいました
騎士と傭兵の時代になるものね
しかし、15世紀にスイスがハプスブルク家の支配から独立する時に市民兵たちが、パイクという長槍を持って密集陣を作ることで騎兵に打ち勝ちました
それで槍の時代が復活するのよ
そうです銃が戦争に使われるようになった後でも、初期の銃は連射するのにとても時間が掛かりましたから銃兵の護衛と近接戦闘のために槍兵は欠かせませんでした16世紀にはスペイン軍が銃を持った兵と槍を持った兵を組み合わせて陣を作るテルシオという戦術を確立しますその後も、槍は17世紀になるまでヨーロッパの戦場では主戦力として使われます