何かをするために工藤父と最強のフリー警護人のアグリッピーナさんと一緒に、車で出掛けたはずだ
そして、オレたちは、その何かと無関係なことを証明するために
アリバイとして国営放送局を呼んで、お昼のニュースにオレたちを出した
その時間には、オレたちがパン工房に居たと言う事実を確定させるために
オレは、音楽室の壁にある時計を見る
今の時間は午後2時35分
2時間30分の間に、ミナホ姉さんは予定の行動を全て終わらせてこの高校に戻って来たのか
そんなことよりあなたたち、今の演奏、素晴らしかったと思わない
ミナホ姉さんは、話題をピアノの前に居る松下真樹、美樹姉妹に戻す
ちょっと、緊張し過ぎていたみたいだったけれどまあ、まだ若いんだから良しとしておくわ次からは、もう少し、演奏を聴いて下さる方たちのことも意識するようになさい
そんなアドバイスを姉妹にする
あなたたちは、自分の内面にばかり集中してしまっていたけれどあなたたちが、そんなに張り詰めた心で演奏したら、観衆はリラックスして楽しめないわあなたたちにとっての音楽は演奏は人生を懸けた大切なモノなんでしょうけれどそれを聴く人にとっては、文字通り音を楽しむエンターテインメントなんだということを忘れないで
松下姉妹は、ミナホ姉さんの持つ重い雰囲気に呑まれてしまう それは、合唱部の人たちも同じだった みんな、弓槻御名穂という元・教師のことは知っていてもこんなに近い距離で真っ直ぐに向き合って話すのは、これが初めてなのだから
さて合唱部部長の大崎さんさっき、ピアノの使用は1曲だけってこの子たちと約束していたみたいだけれど
ミナホ姉さんの冷たい眼が大崎部長を見る
こんなに素敵な演奏だったんですものあたしはもう1曲ぐらい聴きたいんだけれど、構わないわよね
大崎部長は
ど、どうぞもう1曲ぐらいでしたら
ミナホ姉さんのプレッシャーを正面から受けて押しきられる
な、何を演奏致しましょうか
松下さんのお姉さんの真樹さんが、緊張した表情でミナホ姉さんに尋ねるが
ああ、次はねあなたたち姉妹の演奏じゃないのよ松下真樹さん、あなたには残っていただくけれど妹さんの美樹さんは、もういいわ今の演奏で、充分、才能は判ったから
ミナホ姉さんの視線が、オレたちの方へ向かう
高畑茉莉花さん
ミナホ姉さんに名前を呼ばれて、茉莉花はビクッと身体を震わせた
あなた松下真樹さんと一緒にピアノを弾きなさい
茉莉花と松下さんの姉が、一緒に弾く
連弾ということですか
松下真樹さんが、ミナホ姉さんに尋ねる
そういうことよ曲はそうね、モーツァルトの連弾ソナタならどれでもいいわ松下真樹さんが第1奏者で、茉莉花さんが第2奏者で弾いてちょうだい
わ、わたしはわたしの演奏では、真樹さんの足を引っ張るだけです
茉莉花は、そう言うが
松下さんたちの人生が掛かっているのよだから、足を引っ張らないように演奏なさい
ミナホ姉さんは、断固として2人の共演を求める
高畑さん
松下真樹さんは、茉莉花を見る
わたしと連弾して下さいどんな結果になっても、わたしは受けとめますから
松下さん
見つめ合う真樹さんと茉莉花を黒革ジャンの五十嵐イズミが、憎々しげな顔で見つめている 松下真樹さんと茉莉花が一緒にピアノを弾くのがそんなに嫌なのか
K.381の第1楽章でいいかしら
はい、それなら
真樹さんの提案に、茉莉花がうなずく 2人は並んで、ピアノの前に座った
じゃあ、始めてちょうだい
ミナホ姉さんの声に、2人は演奏を開始しようとするが オレは茉莉花たちを止める
2人とも、呼吸が合ってないよ呼吸を合わせて
松下真樹さんはという表情になったが、オレやエリカたちといつもセックスしている茉莉花にはオレの言葉の意味が通じた
松下さんわたしを見て下さいそして呼吸を合わせて下さい
茉莉花がゆっくりと大きく呼吸してみせる
まずは大きく、すぅーはぁぁすぅーはぁぁ
松下さんは茉莉花の言う通りに、呼吸を合わせた
それから少し早くしますすぅぅ、はぁぁすぅぅ、はぁぁ
すぅぅ、はぁぁすぅぅ、はぁぁ
うん、合って来た 呼吸の量とスピードがぴったり合えば、心臓の鼓動さえシンクロしていく
もう一度、ゆっくりすぅーはぁぁすぅーはぁぁ
すぅーはぁぁすぅーはぁぁ
緊張して青白かった松下真樹さんの顔に、少し赤らむ さっきの妹さんとの合奏の時よりも、身体の全体の固さが和らいだ もう大丈夫だ
では参りましょう、松下さん
はい高畑さん
そして2人の少女によるピアノ連弾が始まる さっきの姉妹の合奏によるクロイツェル・ソナタの時の悲愴感や苦しそうな激しさは、全く感じなかった 松下真樹さんと茉莉花のモーツァルトはとにかく明るく、軽やかで、華やかだった まるで鎖に繋がれていた子犬が、春の草原に放たれたような 真樹さんのピアノは、さっきは妹の美樹さんのバイオリンとはまるで1つの音楽機械から音が出ているように完璧に溶け合っていたけど 茉莉花との連弾はちゃんと1つのピアノから、奏者2人の音が発せられていて合っている あっという間に3分半ほどの演奏は終わった
素晴らしいわ
合唱部の女生徒が、演奏が終わるとすぐに拍手してくれた
うん、あたし、これ好き
さっきのヴァイオリン・ソナタはただただ圧倒されちゃったって感じだったけれど、今度のモーツァルトは気持ち良い
女生徒たちは、明るい顔で口々に感想を述べた 五十嵐イズミはどんよりと暗い表情を浮かべている 演奏後の余韻からゆっくりと覚めた、ピアノの前の松下真樹さんは すぐ隣に座っている茉莉花を見てこう叫んだ
高畑さん、わたしの人生には、あなたが必要だわ
わたしずっとずっと、あなたとピアノが弾きたいっ
涙で潤んだ眼で松下真樹さんは言う
わたしもです松下さん
茉莉花の眼にも、涙が浮かんでいた
わたしもあなたと一緒に居たいっ
黒革ジャンの五十嵐イズミが喚く 彼女の眼にも、悔しさの涙が浮かんでいた
そんなのダメよそんなのあたしはあたしはどうなるのよ
茉莉花松下真樹さん五十嵐イズミ 3人とも、同じ音楽家のある高校の1年生 茉莉花と真樹さんは、ピアノ科で 五十嵐イズミは、声楽科 茉莉花は真樹さんと妹をオレに紹介しに来た しかもただの紹介でなく姉妹の演奏を聴いて欲しいと言っていた 一方、五十嵐イズミは勝手に付いて来た 1人だけ制服の上に革ジャンで、下手くそな濃い化粧という姿で この3人はどういう関係なんだ ミナホ姉さんの重い声が、音楽室の中を支配する