―High-POT(ハイポーション)がおじゃんだ! ほとんど……ほとんど全部だぞ! せっかく安く買えたのにっ! しかも”ウルヴァーン”まであと少しもないってのにっ! あんまりだっ、こんなの、あんまりだっ! これじゃ……これじゃ、大赤字じゃないか……
言っているうちにどんどんテンションが下がっていき、しまいには よよよ と泣き崩れて再び膝をつくアンドレイ。
対する黒目の青年は、そんな彼を憐みの目で見ながらも、やれやれと小さく頭を振る。
……だから『欲張るな』と言ったんだ。買占めて転売なんざ、あこぎなことを考えるからこうなる
だって、だってさぁ!
せめて、馬が重量オーバーにさえなってなけりゃ、逃げ切れた。違うか?
ぬぐっ……
青年の指摘に、アンドレイが言葉を詰まらせる。
馬の重量オーバーはやめておけ、という忠告を押し切って、無理やり大量のポーションを載せたのは、他ならぬ彼自身だったからだ。
……っていうか、お前が最初っから弓で射かけとけば、追剥(コイツら)も引いたかもしれないじゃないか! なんでもっと早く攻撃してくれなかったんだよ!
己の不利を悟ったアンドレイが立ち上がり、大仰な身振り手振りを交えて論点をずらそうとする。しかし、
おいおい、お前を『護衛』として雇ったのは誰だ?
ぬっ
考えてもみろ、『依頼主』が『護衛』を守るなんて愉快な話があるか?
ぐっ
第一、置いていかれなかっただけでも感謝して欲しいもんだ。お前を置いていけば、俺はノーリスクで悠々と逃げ切れたんだからな
ぐぬぬっ
手痛く反撃を食らって、悔しそうな顔で呻く。
どうにか言い返そうと口を開くも、反論の余地は無いと悟ったのか、そのままがくりと膝をついた。
まったく、護衛頼んだのはこちらとはいえ、何度置いていこうと思ったことか。ただでさえこっちは『貴重品』持ってるってのに……
独り言のように呟きながら、青年がぽんぽんと、膝の上の弓を叩いて見せる。
くっ……くそっ、ケイ、お前のせいだ! お前が護衛なんて頼むから! 珍しく頼みごとされたと思って、引き受けたのが間違いだった! 断っておけばポーションになんて手ぇ出さずに済んだのに! 畜生っ! 畜生っ……!!
吐き捨てるように言ってのけ、再びテンションが下降したアンドレイは、骨が抜けたかのように脱力。
どさりと力なく倒れ伏して、いじいじと地面を指先でいじくり始めた。
八つ当たりもいいところだ。『ケイ』と呼ばれた黒目の青年は、ため息一つ。
視界の遥か彼方、うっすらと見える雄大な山脈を眺めながら、
『知らんがな……』
漏れ出た呟きは、日本語だった。
1. ケイ
情報科学に革命が起き、情報処理技術が劇的に躍進したのが、おおよそ二十年前。
そして生体科学が発展し、仮想現実、すなわちVR技術が実用化されたのが十年前。
現在、世界には、VR技術を応用した様々なコンテンツが溢れかえっている。
北欧系のデベロッパに開発されたVRMMORPG DEMONDAL も、そんなコンテンツのひとつだ。
“中世ファンタジー風、リアル系MMORPG”―
そう銘打たれたこのゲームは、世界最高峰の物理エンジンを実装しており、全フィールド対人戦無制限(FreePvP)、死亡時に全ての所持品(肉体を含む)をその場にドロップ、プレイヤーの挙動を自動化する類のアビリティの排除、プレイヤー名やHPバーなどほぼ全てのゲーム的要素の不可視化、などなど、なかなかに尖った仕様で知られている。
開発会社いわく、『我々は極限にまで、ファンタジックなリアリティを追求した』。
DEMONDAL は、ゲーム的要素の強い他のVRゲームとは一線を画し、最早VR生活シミュレータといって差し支えないほどのリアルさを誇っている。
ゲーム内でメニュー画面を開くと、 ログアウト GMコール 現実世界の時刻 の三つしか表示されない、と聞けば、そのリアル志向ぶりがよくわかるだろう。
が、そんなリアル系VRゲームの先鋭たる DEMONDAL だが、悲しいかな、『極限にまで追求されたリアリティは万人受けしない』という真理の、典型的な見本でもある。
他のゲームとは違う、システムのシビアさ―特に、戦闘・生産を問わず、自動化されたアビリティの類が存在しないことが、一般人にとって大きな障害となっていた。
ゲーム内での全ての行動が現実並みに地味、かつ、その難易度が高く、他のゲームに比べてハードルが突き抜けて高いのだ。
DEMONDAL のアクティブなプレイヤー人口は、多く見積もっても二万人強。
他のVRネットゲームのタイトルが、最低でも五万人以上のアクティブ人口を持つことを考えると、その少なさがよく分かるだろう。
しかしその分、シビアでリアルな『世界』を求める猛者、変人、廃人が、高い敷居などものともせずに世界中から集まっている。
世界で最も濃い(・・)VRMMO。
それが、 DEMONDAL だ。
乃川圭一《のがわけいいち》― DEMONDAL の世界では主に『ケイ』の名前で知られる彼も、そんなクソッタレな世界を愛する廃ゲーマーの一人だ。
……それにしても、さっきの連中。かなり気合の入った追剥(・・)だったな
弓を片手に馬を走らせながら、ケイは後ろに追随するアンドレイに声をかける。
追剥たちを撃退してから、既に十分が経過しようとしていた。周囲の景色は、短草の茂る丘陵地帯から、木々が散見される疎林地帯へと変わってきている。
ケイたちの本拠地、“ウルヴァーン”の村が近づいてきた証拠だ。
あと二十分も走れば着くだろう。
そうだな……。ありゃ多分、追剥RP(ロールプレイ)用の別キャラだろうな
まだPOT(ポーション)大量喪失の衝撃が抜けきれないのか、やや沈んだ口調で首肯するアンドレイ。
そんな彼とは対照的に、矢傷をPOTで完治させた彼の乗騎は、大量のお荷物から解放されて足取りも軽やかだ。
ため息をひとつついたアンドレイは、陰鬱な気分を振り払うように頭を振り、言葉を続ける。
少なくともあの連携は、新規(ニュービー)じゃあねえ。かなり訓練しないと、ああはいかないぜ
ああ、なかなかいいチームワークだった。アレでアーチャーの腕が良かったら、危なかっただろうな
ま、リーダーが死んだあとは、ただの烏合の衆だったけどよ
そこまで言ったアンドレイは、マフラーの下、ふと怪訝な顔で首を傾げた。
……でも、オレのことは知ってたのに、お前のことは知らなかったな? 別ゲーの連中か?
“NINJA”スタイルの第一人者、かつ DEMONDAL 有数のサーベル使いとして抜群の知名度を誇るアンドレイ。
彼ほどではないが、実はケイも、ゲーム内ではそこそこ有名なプレイヤーだ。