ケイの第六感に反応なし、か。となると魔術師の仕業じゃないな
アンドレイが顎に手を当てて、ふむむ、と唸り声を上げる。
“第六感”―聴覚と触覚を融合し、新たに創られた、文字通り第六の感覚。
実際のところ、どうしてもこのシステムに馴染むことが出来ず、機能をオフにしてしまうプレイヤーも少なくない。
だが、ひとたび順応さえすれば、これほど頼りになる感覚はない、とケイは思う。
弓を扱い、遠距離からの射撃戦に主眼を置くケイは、殺気を感知する技能と、攻撃時に精神を平静に保ち、逆に殺気を隠す技能に長けている。公式で設定されているわけではないが、プレイヤーたちは前者を”受動感気(パッシブセンス)”、後者を”隠密殺気(ステルスセンス)“と呼ぶ。
ケイの場合、特に”受動(パッシブ)“が神がかった領域にあり、ほんの僅かな殺気であっても感知が可能だ。例え背後からの不意打ちであっても、大概の攻撃は事前に対処できる。その代わり殺気に敏感すぎるため、刺激的な混戦は苦手としているが―
兎も角、そんなケイであっても、この霧からは『殺気』が感じられない。
……まあ、“妖精”以外の契約精霊で、幻覚系の魔術があるなら話は別だ。仮に、脅威度も敵性意思もゼロ設定の魔術があったら、俺でも感知は出来ないぞ
矢筒から矢を抜き取りながら、ケイ。
お前は何か感じないか? アンドレイ
Nope(なんにも). 知ってるだろ、オレは”受動(パッシブ)“は苦手なんだよ。第一お前に分からないモンが、オレに分かるわけがない
しゃらりと、背の鞘からサーベルを抜き放ち、アンドレイが肩をすくめる。
サーベルによる白兵戦のほか、撹乱や奇襲なども得意とする”NINJA”ことアンドレイは、意図的に強烈な殺気を放ち相手を威圧する”能動発気(アクティブセンス)“と、殺気を抑える”隠密殺気(ステルスセンス)”、その両方を極めた近接格闘の達人だ。
対極に位置する二つの技能、“能動(アクティブ)“と”隠密(ステルス)“が変幻自在に入り乱れ、そこに軽業(アクロバット)のような変態機動が加わるのがアンドレイの戦闘スタイル。
敵を翻弄し、リズムを切り崩し、場の空気を支配する。
が、自らイニシアティブを握っていくこの戦闘スタイルゆえ、アンドレイは”受動(パッシブ)“を使う機会がほとんどない。その殺気を感知する能力は、お粗末なレベルに留まっていた。
あくまで”上級プレイヤーにしては”という但し書きはつくが、少なくとも、ケイと比べられるレベルではない。
けど、この霧があからさまに怪しいのは分かるぜ、流石にな
全くだ。どうしたものか
少なくともケイの知る限り、ウルヴァーンヴァレーに霧が立ち込める、という現象はこれまで起きた試しがない。天気が悪かった日も含めてだ。
しかし DEMONDAL は、イベントやアイテム、モンスターの追加など小ネタ的なアップデートが予告なしで行われることがある。
この霧も、おそらく新たに追加された『何か』であると考えられた。
……迂回するのが、一番リスクは少ないな
でもココ通らなかったら三十分は食うぜ?
アンドレイがわざとらしく、素っ頓狂な声を上げる。
ウルヴァーンヴァレーを通れないとなると、ここからは崖を迂回し、険しい山道を登る以外に村へアクセスする方法はない。
んじゃ突っ込むか?
ケイ……なんでお前、そう極端なんだ
冒険してなんぼだろ? それに、そういうお前も乗り気じゃないか?
ふっ、まあな。殆どのポーションを失ったオレに、もはや怖いものなどない!
えっへん、と自虐的に胸を張るアンドレイ、しかし小首を傾げて、
でもいいのか? 万が一があったら、その弓……
勿論、失くしたくはないが、予備の素材はあるしな。それに何かヤバいことがあったら、次はお前を置いて逃げるさ
この野郎っ
アンドレイがおどけてサーベルを振り上げた。笑みを浮かべたケイは、それから逃れるように馬を走らせる。
さて、ちょっくら行ってみようか相棒
おうよ
笑いながら、二人はそのまま霧の中へと入っていった。
2. 霧の中
見渡す限りの、乳白色の世界。
濃いな……
常歩でゆっくりと馬を進ませながら、ケイはいつでも矢を放てるように弓を構え、周囲に神経を張り巡らせる。
頭上から降り注ぐ陽光のおかげで明るくはあるものの、視界はぼんやりと霞み、見晴らしは非常に悪い。
五メートルほど先から急激に見えづらくなり、十メートル先に至っては殆ど何も見えなかった。乳白色のヴェールからぬっと姿を現す木々の影に、先ほどからケイはぎょっとさせられてばかりいる。
霧を構成する粒子の一粒一粒が、つぶさに見えるような錯覚。
ぼやけた視界のせいで、頭の中までぼんやりしていくような。
そんな、不快な感覚があった。
アンドレイ、着いてきてるか
おう。たまに見失うけどな
……はぐれるなよ?
気をつけるさ。流石に面倒だ
本当に大丈夫か、とケイはすぐ後ろに追随するアンドレイに目をやる。ぱっかぱっかと揺れる馬上、アンドレイはサーベルでぽんぽんと肩を叩きながら、興味深げに周囲を見回していた。
すげえな、この霧。現実(リアル)でもこんなのお目にかかったことねえよ
……お前の御国は、霧はよく出るのか?
あー、……いや。霧はあんまし、どっちかっつーと雪だな
ロシアだよな?
ああ、シベリアだ
シベリアか……寒そうだ
冬は軽く-30℃はいくぜ
そいつは勘弁だな、寒いのは苦手だ
一旦、会話が途切れる。
……やはり魔術か? 自然現象にしては、濃すぎる気がする
そうだなー。けどMob(モンスター)が魔術使っても、敵性意思は発生するだろ? そしたら、お前の第六感(シックスセンス)で感知できるはずだ
となると、脅威度がゼロ設定の、未発見の魔術か……? いや、俺たちの魔術耐性を考えると、この濃さで脅威度ゼロは無いだろう
“幻覚”じゃなくて、実際に霧を発生させてる、って可能性もあるぜ?
……だとしたら、かなり上位の精霊だな。契約できれば儲けモノだが……二人で戦うのは、ぞっとしないな
……攻撃的(アクティブ)Mobじゃないことを祈るぜ
アンドレイがお手上げのポーズを取る。
が、突然、ぎょっとしたように顔を強張らせ、左手で腰の投げナイフを引き抜いた。
……
どうした、アンドレイ
一瞬、アンドレイが発した鋭い殺気を感知し、馬の歩みを止めたケイは弓を構えつつ尋ねる。
投げナイフを左手に、アンドレイは困惑したような顔で、ぽつりと答えた。