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 ゆっくりと舞う花びらを見て、

 秒速五センチだ、

 とふと思った。踏切の警報が鳴り始め、それは春の大気に染まり懐かしさを帯びてあたりに響く。

 目の前からひとりの女性が歩いてきていた。白いミュールがコンクリートを踏むコツコツという気持ちの良い音が、踏切の警報音の隙間に差し込まれていく。そして踏切の中央でふたりはすれ違う。

 その瞬間、彼の心でかすかな光が瞬く。

 そのまま別々の方向に歩き続けながら、今振り返れば──、きっとあの人も振り返ると、強く思った。なんの根拠もなく、でも確信に満ちて。

 そして踏切を渡りきったところで彼はゆっくりと振り返り、彼女を見る。彼女もこちらをゆっくりと振り返る。そして目が合う。

 心と記憶が激しくざわめいた瞬間、小田急線の急行がふたりの視界をふさいだ。

 この電車が過ぎた後で、と彼は思う。彼女は、そこにいるだろうか?

 ──どちらでもいい。もし彼女があの人だったとして、それだけでもう十分に奇跡だと、彼は思う。

 この電車が通り過ぎたら前に進もうと、彼は心を決めた。

あとがき

 本書『秒速5センチメートル』は、僕が監督したアニメーション映画『秒速5センチメートル』が原作になっている。つまり自作を自分でノベライズしたわけだが、映画をご覧いただいていなくても楽しんでお読みいただけるように留意した。原作映画を未見の方も安心してお手にお取りください……とは言いつつも、映画と小説で相互補完的になっている箇所や、映画とは意図的に違えた箇所などもあり、映画の後で小説を、あるいは小説の後で映画をご覧いただければ、より楽しんでもらえるのではないかと思う。

 映画のほうの『秒速5センチメートル』は二〇〇七年三月に渋谷シネマライズで初公開された。僕がこの小説を書きはじめたのもちょうど同じ時期からで、その後約四ヶ月間、全国各地の映画館を舞台挨拶に巡るいっぽうで、部屋の中では小説を書いていた。本書の元となったその小説は雑誌『ダ・ヴィンチ』に毎月掲載されていたので、映画館ではお客さんから映画の感想と小説の感想を同時に聞くということもあり、僕にとっては嬉しい時期だった。

 映像で表現できることと、文章で表現できることは違う。表現としては映像(と音楽)の方が手っ取り早いことも多いけれど、映像なんかは必要としない心情、というものもある。本書を執筆する作業は、そういうことを考えさせてくれる刺激的な経験でもあった。これから先もきっと、僕は映像を作ったりそれが物足りなくて文章を書いたり、あるいはその逆をしたり、はたまた文章的な映像を作ったりということを、繰り返していくのだと思う。

 本書を読んでくださった方、ほんとうにありがとうございました。

二〇〇七年八月 新海 誠

初出‥『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)2007年5月号~2007年10月号

著者

新海 誠(しんかい・まこと)

1973年長野県生まれ。映画監督・映像作家。ゲーム会社に勤める傍ら、自主制作アニメーション『ほしのこえ』を02年に発表し、数々の賞を受賞。04年『雲のむこう、約束の場所』を公開し、毎日映画コンクール・アニメーション映画賞を受賞。07年『秒速5センチメートル』を公開し、全国拡大公開され異例のロングラン上映を記録。本作DVDも好調なセールスを記録している。

小説・秒速5センチメートル

著者名……新海 誠

発行者……横里 隆

発行所……株式会社メディアファクトリー

     http://www.mediafactory.co.jp/

2012年3月31日  電子書籍版 ver.1.0.1

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©2007 Makoto Shinkai