Olの鋭い視線の先でソフィアは衣服を全て脱ぎ捨て、下着も取り去って一糸纏わぬ姿になった。
ユニスが憐憫に眉を寄せ、目を伏せる。ソフィアの傷はそれほど惨たらしいものだった。
火傷は額から顔の左半分を多い、首から左腕、左乳房から腰までを満遍なく覆っていた。
こんな傷を受けてよく死ななかったものだ、とOlは感心しさえした。
そのような裸身を晒しているにも関わらず、ソフィアは全く表情を変えず、身体を隠す素振りも見せなかった。微動だにせず立っている姿を見ると、趣味の悪い人形を見ているかのような錯覚を覚えた。
しかし、それが彼女の本質でない事をOlは見抜いていた。
美しいな
Olが呟くと、僅かにソフィアの頬が震える。
確かに、ソフィアは右半身に限ればこの上ないほど美しかった。長く艶やかな黒い髪に、黒曜石の様な切れ長の瞳。肌の白さは陶磁器の様に艶やかで、手足はほっそりと長く、しかし出るべきところはその存在感をしっかりと主張している。精巧な人形を思わせる美しさだ。
そして、まるでその美しさは全て醜い左半身の為にあるかのようだった。髪は生えることなく頭皮は月の表面の様にボコボコとした肌を露出させ、瞼は焼け落ち窪んだ眼窩がぎょろりと目を覗かせる。頬は薄い皮膚の裏に筋肉の線を覗かせ、唇は裏返り血を吸ったヒルの様にぶよぶよとしていた。
肌は赤黒く焼け滑らかな場所はどこにもなく、老いさらばえた牛の膝の様に筋張っていた。左胸の先端にあるべきものはなく、僅かに名残らしき色素の沈着が見て取れるだけで、まるで煮えたぎるマグマを固めたようなボコボコとした傷痕を晒していた。
面積としては、傷痕の方がそうでない箇所の方よりよほど狭い。しかし、この傷こそが彼女の本質であると、美しさは醜さを際立たせる為だけにあるのだと主張しているかのようであった。
その傷はどのようについたものだ?
ユニスが不安げにOlを見る。何故そのような事を聞くのか、と抗議する意思がその瞳に映っていた。
幼い頃、焼けた油を被りました
それに対して、ソフィアの瞳は揺らぎもしない。
それは何故だ?
盗賊に襲われぬ為に、自分で被りました
ユニスが驚きに目を見開いた。
お前と同年代の娘が殆どいないのは、その盗賊のせいか
はい。少しでも見目の良い娘は盗賊に捕まり、犯され、殺されました。村に残ったのは醜い娘と、それよりも醜い私だけです
Olは薄く笑みを浮かべる。ソフィアは相変わらず表情を変えなかったが、その奥にある感情は言葉の端々に溢れ出て来ていた。
あの村はお前の犠牲で、もう盗賊に襲われる事はない。村を狙う不届き者は、ガーゴイルが皆殺しにするであろう
はい
無感情に、ソフィアはこくりと頷いた。心底どうでも良い、といった風情だ。実際どうでも良いことなのだろう。
マリーベルという娘は知っているな? お前の前に生贄としてきた、4,5歳の金髪の娘だ
それは恐らく真名でしょう。村では単にマリーと呼ばれています
ソフィアが初めて、僅かに言い澱む。ユニスは単に、ソフィアがマリーの真名を知らなかったからだと考えたが、Olは別の感想を抱いた。
あれはまだ幼いが、生贄に選ばれるだけあって美しいな。肌は絹のようで、髪は太陽の光を刈り取ってきたかのようだ。もう10年もすれば、誰もが手に入れたいと思うような美女に育つだろう
はい
誰もがあの娘を愛しく思うだろう。雨は避け、日の光は柔らかに降り注ぎ、大地は暖かく抱きとめる。病も獣もあの娘を傷つける事は敵わず、もっとも飢えた盗賊さえあの娘を慈しみ育てるだろう
Olほどの魔術師が唱えるそれは、もはや予言だ。そしてそれは同時に、呪いでもある。
マリーベルはこれから、Olの庇護の下すくすくと育つ事だろう。
羨ましいか?
唐突にOlはソフィアの目を覗き込んだ。その問いに、初めてソフィアは言葉に詰まる。
お前は呪われた子、忌み嫌われた子だ。誰もがお前を避け、遠ざける。飢えた盗賊でさえ、だ。お前の踏んだ大地からは稲は芽吹かず、土は冷え霜に覆われて固まり、風は止み太陽は雲に覆われる。世界がお前を憎んでいるからだ。醜いお前を、闇に棲む恐ろしい獣を、恐れているからだ
ソフィアはOlの瞳をじっと見つめ返す。しかし、その目には先ほどまでとは違い、しっかり感情の色を宿していた。
村の人間はお前を恐れただろう。それはお前の姿が醜いからではない。身を守る為に焼けた油を被る娘が恐ろしかったからだ。身体の半分を焼かれながらも生き延びるお前が恐ろしかったからだ。人の姿をしながら、人ではないお前が恐ろしかったからだ
ソフィアは初めて、表情を歪めた。人形の様に端整で、悪夢の様に醜い顔が、ぐにゃりと歪む。
憎いんだろう?
それは怒りでも、悲しみでも、憤りでもなく
ええ、憎い。何もかもが
深い、深い笑みだった。
第7話穢れ無き乙女を生け贄に受け取りましょう-5
ユニスには今目の前にいる女性が、ただの村娘である事が信じられなかった。
腕にも脚にも、ろくに筋肉はついていない。立ち居振る舞いも、実戦はおろか訓練すら受けていないただの一般人のそれだ。魔力は感じない。ユニスはリルほど魔力に敏感な訳ではないが、それでも相手が魔術師であるかどうかぐらいの判断は出来る。
つまり、ユニスの知識も経験も、目の前の女性が全く戦闘手段を持っていないと結論付けていた。その気になれば一刀の元に斬り捨てられるだろう。戦いが起こりすらしない、ユニスにとっては動かぬ杭を斬り捨てるも同じだ。
にもかかわらず、ユニスの心はソフィアに恐怖を抱いていた。外見ではない。何か果てしのない、説明できない感覚が、彼女が危険であると全力で警鐘を鳴らしていた。
Olに会う前の自分であれば、剣を抜き放ち斬りかかっていたかも知れない。しかし、その場合地面に横たわる死体は一つではないだろう。倒せない事はないだろうが、自分もただではすまない。英雄を持ってしてそんな予感を抱かせる力が、ソフィアの笑顔にはあった。
ユニス、部屋に戻っていろ
ユニスは心配そうにOlを見る。しかし、その目は問題ないと語っていた。ユニスは素直に頷き、部屋を出て行く。彼女は、ソフィアに感じる圧力と同じ種類のものを感じた事がある。
その持ち主が、他ならぬOlだったからだ。
美しいな
ユニスが部屋を出て行った後、もう一度Olはその言葉を口にした。
Ol様にあらせられては、ご慧眼、感服いたします
その言葉を皮肉だと取ったのだろう。ソフィアも慇懃に皮肉で返す。
俺が美しいといったのはソフィア、お前のその心根だ。全てを憎む真っ黒な憎悪だ。人を憎み、世界を憎み、自分自身をも呪っている。それは魔術師として稀有な才能だ。お前には、俺より優れた魔術師になる素質がある。ただの村娘にしておくのは惜しい