何!?
氷を払い除けて見れば、そこには何人ものザナの姿があった。
知らせよ、風よ
そしてマリーの軽やかな声とともに、更にザナの姿は増えていく。ウセルマートは先程の蒸気で視界を塞がれた時に、幻影に成り代わったのだと悟る。
だからどうしたというのだ!
ウセルマートは炎を放射して幻影を打ち払おうとするが、その度にザナの氷が邪魔をする。ダメージは全く通らないが、視界はどうしても遮られる。氷の放たれる瞬間にザナの位置を特定して反撃しようとしても、氷術の速度があまりに早すぎてどちらから放たれているかすらわからない。
ならば纏めて葬ってくれると爆炎の術を放とうとしても、火炎球を生み出すほんの僅かな隙にホスセリの放つ手裏剣が火炎球を破裂させてしまう。
生じよ、土よ
手裏剣とて無限にはあるまいと消耗を狙うウセルマートの目論見は、乾性剣アリディタスと冷性剣グラシエスを打ち鳴らして無から手裏剣を作り出すマリーの姿の前に崩れ去った。
いくら膨大な霊力を持つウセルマートと言えど、小さな鉄片を作り出すだけのマリーに対し、相手を全滅させられるだけの火炎球と常時展開する炎鎧で耐久勝負に持ち込むのは分が悪い。
そうしたとて、貴様らに勝つすべはない!余には傷一つ付けられぬのだからな!
どれだけウセルマートの攻撃を無効化しようと、相手には攻撃の手段がない。たとえ勝てなかったとしても、負けることだけは絶対にない。
空きました、お姉様!
ウセルマートはそう、思い込んでいた。間近に迫ったザナの、丸太のような氷塊を纏った拳が、彼の脇腹を抉って思い切り吹き飛ばすまでは。
ふー。すっきりした!
壁に激突し床に叩きつけられるウセルマートの姿をみて、ザナはこれ以上ないほどの笑顔を見せた。
いぇーい!
そこにマリーが駆け寄って両手を叩き合わせ、ホスセリとイェルダーヴも巻き込んで勝利を喜び合う。
何故だ余の炎熱の鎧は、無敵のはず
その光景を遠くにみながら、ウセルマートは殴られた脇腹を擦る。そして、炎鎧の一部に穴が空いていることに気づいた。
何度か打ち払ったイェルダーヴの小さな炎。出力は比べるもおこがましいが、しかし性質自体はウセルマートの使う神火と同じ種類の炎。それが何重にも積み重なって、炎鎧を打ち消し穴を空けていたのだ。
ウセルマート。お前の炎術は確かに大したものだ。威力だけはな。だがザナのような速度はないからホスセリならば撃ち落とせる。マリー程の応用力もないから封殺されれば手が出ん。そしてその威力も、持久力に優れたイェルダーヴの炎を重ね合わせれば打ち破ることができる
壁際に崩れ落ちるウセルマートを見下ろして、Olはそう言い放つ。
お前が弱いと切り捨てたものの強さがわかったか?
良かろう。彼奴らにも多少は骨があるとは認めてやろう。だがそれも所詮四人がかりでの事だ。余が最強であることには変わりない。先程言った探索行のあるじ、余が取るのであれば受けてやろう
今の戦いも指示は俺が出していたのだがな
ここまで完膚なきまでに負けておいてなお居丈高なウセルマートの物言いを、Olは呆れ半分、感心半分で聞き流す。
まあ良い。そこまで言うなら、次は俺と戦ってみろ。無論一対一でだ
Olの戦闘能力ははっきり言って下の下だ。そう認識していたウセルマートは、目を剥いた。
まさか貴様が、余よりも強いというつもりか
ああ。その通りだ
自信満々に頷くOl。
お前など、この指二本で十分だ
それどころか人差し指と親指を立ててみせる彼に、ウセルマートは激高した。
ふざけおって!加減はせぬぞ!
ウセルマートは全身に炎を纏い、無数の火炎球を作り上げる。纏う炎は先程までの防御のための鎧ではなく、攻撃のための衣だ。たとえ火炎球を全て撃ち落としたとしても、膨れ上がる炎の衣を広げて部屋を覆い尽くし焼き尽くす。先程はザナの氷術による邪魔のせいで出来なかった大技だ。
喰らえっ!
ウセルマートがそれを放たんとしたその瞬間、Olはパチンと指を鳴らした。途端、ウセルマートの立っていた床が消失し、彼は落とし穴にすっぽりと入り込む。即座にガチャンと蓋が閉まって、彼は石の中に閉じ込められた。
何だ!?何が起こった!?
身動きすら取れない狭い穴の中で、ウセルマートは混乱に陥る。そこへ、大量の水が流れ込んできた。
水攻めなどというものが、余に効くと思うてか!
水はウセルマートの纏う炎鎧に阻まれ、瞬時に蒸発する。しかしどれほど蒸発させても、水はどんどん流れ込んでくる。
ぬうおおあ、暑い!何だこれは!?
ウセルマート自身は炎鎧の熱の影響を受けず、炎の熱でさえも完全に遮断する。しかし、空気だけは別だ。空気まで遮断してしまってはすぐに窒息してしまう。そして狭い空間で大量に蒸発させた水分とともにあれば、ウセルマートの不快指数はあっという間に上限を突破した。
暑い!暑い!暑い!魔王、開けよ!何だこの暑さは!?
それは灼熱の砂漠に生まれ育った砂の王が経験したことのない、地獄のような暑さだった。肌をじっとりと濡らす水蒸気の不快さと、肺の焼けるような暑さ。それが同時に襲いかかってくるのだ。
開けよ!ぐおおおお!わかった!余の負けでいい!開けよ!
炎鎧で周囲の壁を焼き溶かして逃れようとしても、更に周囲の気温は上がって不快さが増していくのみ。
勝負はついたと言っているだろうが!聞こえているのか、魔王!?開けろ、開けてくれ!頼む!
何も見えず、水音以外何も聞こえず、ただただ気温と湿度が上がっていく恐怖。
お願いだ、開けてくれ余が余が、悪かったこの通りだ
謝ってもOlの反応はなく、膨大な水蒸気は圧力となってウセルマートを襲い始める。もしや、聞いてすらいないのではないか。そんな恐れが、ウセルマートの心を支配した。
そうして、一体何時間が経っただろうか。
謝る、ごめんなさい、開けてくださいお願いします
ウセルマートが啜り泣きながら懇願していると、突然蓋が開いた。
その、開放感。落とし穴の中に立ち込めた濃密な水蒸気がむわっと飛び出して、代わりに新鮮で冷たい空気が流れ込んでくる。空気というものをいや、何かをこれほど美味いと感じたことは、生まれて初めてであった。
だがウセルマートの身体は虚脱しきり、穴を這い登ることも出来ない。そこへ、手が差し伸べられた。
そら、掴まれ
文字通りにその手に取り縋ると、ウセルマートの身体はひょいと持ち上げられて、勢い余ってOlの懐へと転がり込む。
ああ助かった恩に着る
全身びっしょりと汗をかき疲れ果てた姿で、ウセルマートはそう呟いて気を失った。