フン。尊き祖先の考えを推し量るなど、不遜の極み。下賤な魔王が考えそうなことよ
それはダンジョンを作るにせよ進むにせよ重要なことだ、とOlは思う。しかしラーメスはその考えを吐き捨てた。
ラーちゃん的には、ご先祖様の方が偉い感じなんだ
余は万物の王。地上の支配者と言ったであろう
マリーの素朴な問いに、ラーメスは答える。
この世の果ては治めてはおらぬ
意外と謙虚なんだなあ、とマリーは思う。Olはこの世の果ても普通に手にしたいと思ってそうだ。いや、実際しようとしているのかも知れない。なにせ天の神を相手に戦っているのだから。
──そこに家族を害するものがあるなら、Olは容赦しない。
そら、ついたぞ。あの壁だ
しばらく進んだ後に、ラーメスは行き止まりの壁画を指差す。
四つのボタンがあるだろう。そのうち、太陽の紋章を押せ
彼女の言う通り、壁画の意匠に隠れて押し込めるボタンが四つ並んでいた。瞳、太陽、甲虫、そして月を図案化したものらしい。
ザナ達の方も太陽でいいのか?
うむ。同時に押すのだぞ
Olは呪印を通しザナを操って彼女の口でそれを伝え、太陽のボタンを押す。
──途端、背後の壁がせり出して、反射的にOlはマリーを突き飛ばした。
Olさま!
おっと。動くでないぞ、マリーちゃん。消し炭になりたくなければな
閉じ込められたOlを救わんと剣を引き抜くマリーに、ラーメスは炎の塊を浮かべて警告する。
ラーちゃんどうして?
どうして?どうしてだと?本気で言っておるのか?ここまで虚仮にされて、余が黙って従っているとでも思っていたのか!?
ラーメスは怒鳴り、獰猛な猛獣が牙を見せつけるときのように顔を歪めた。
さあ、魔王よ。助けて欲しくば誓え。余に全てを譲り渡し、服従するとな!
出来ぬ、と言ったらどうする
壁の向こうから、Olは答える。
知れたこと。この場で焼き尽くしてくれる
ラーメスは炎を掲げ、憎々しげに言った。
さてマリーちゃんよ。余にかけたような呪いをOlにかけろ。全てを譲るというその誓いを強制する呪いだ
え、でもここ魔術使えないし
しらばっくれるな。呪いとは術ではない。もっと根源的なものであろう。誓いさえあれば十分なはずだ
変なところで鋭いなあ、とマリーは内心舌打ちする。
わかった。俺が手にしたもの全て、お前に譲り渡すと誓う
神器もだ。よいな?
あの革袋から境界の神の加護を消されてはたまらないと、ラーメスは念を入れる。Olを支配し、あの空間を隔てて好きなものを取り出せる革袋さえあれば、ラーメスは文字通り万物の支配者になれる。そう思った。
うむ。ついでに、余のことはいと気高きラーメス様、とでも呼んでもらおうか
わかりました。いと気高きラーメス様
ついに頭を垂れるOlに、ラーメスは哄笑する。
呪いはしかとかけたか
かけたよ
ふてくされたような表情で、マリー。
良かろう。ただし余を謀れば即座に燃やしてやるからな
手の上の炎をちらつかせながら、ラーメスは壁を覆う氷を一部分だけ溶かすと、そこに隠されたスイッチを押した。轟音を立て、Olを閉じ込めていた壁が開いていく。
望みの神器だ。受け取れ、いと気高きラーメス様
壁が開いた途端にそう言って、Olは手の中のものを放り投げた。
な、何だ!?
反射的にそれを両手で受け取めるラーメス。投げ放たれたのは、小さな白い碗であった。
なんだ、これはっ!?
その背中をマリーが蹴りつけ、ほぼ同時にOlが壁のボタンを再度押して素早く離れる。
何をする、貴様ら!?
望みの通りにしてやったではないか、愚かでいと気高きラーメス様
閉まった壁の向こう通路から、Olは皮肉っぽい口調で言った。
神の子が食事に使っていた器。略して神器だ。俺の手にしていた全てをお前に譲り渡したぞ
革袋は足元に落としていた。誓った時、手に持っていたのはメリザンドの使い古した茶碗だけだ。
余に服従すると誓ったであろうが!
その部分は誓ってなどいないな
しゃあしゃあと答えてのけるOlに、ラーメスは愕然とした。
Olさまと素人が契約で争うのは無謀だよ、ラーちゃん
そんな彼女に、呆れ半分、同情半分でマリーは声をかけた。
悪魔は常に契約の穴を探し、隙を突き、曲解して人間を陥れる。
そして、そんな悪魔たちをも陥れるのが、魔王Olなのだ。
第20話一歩踏み入れば即死するダンジョンに挑みましょう-7
さて。では行くか
な!?待て!
それ以上声をかける様子もなく立ち去ろうとするOlを、ラーメスは慌てて呼び止めた。
余をどうする気だ!
別に
Olはこともなげに答える。
どうするつもりもない
そこには悪意も皮肉っぽい響きも、何も込められていなかった。文字通り、Olはラーメスに何の興味も抱いていない事がありありと伝わってくる声色。
そのままであれば、ラーメスは閉じ込められたまま乾き死ぬ運命だと言うのにだ。
余がいなければこの一行は成り立たぬのではなかったのか!
そうだな。ここまでの協力、礼を言おう
見えぬと知りながらOlは頭を下げ、衣擦れの音でラーメスはそれを察する。しかしその音は彼女をさらなる絶望に落とす以外の役割を果たさなかった。
いと気高きラーメス様の膨大な霊力のおかげで、ここまで随分消耗を抑えられた。おかげで万全の状態で太陽神に挑むことが出来る
彼は本気でラーメスに感謝しているとわかったからだ。その上で、ラーメスを助けようという選択肢を微塵も考えていない。
待て!余が余が正しいボタンを押さねば、先へと進む扉は開かぬぞ!
そんな馬鹿げた機構があるものか。それは侵入者を閉じ込めるための罠であろうが。侵入者に頼らねば自室にも戻れぬ王がいるか
苦し紛れの嘘も、Olはあっさりと見抜く。
だ、だがどの道先へと進む仕掛けは
マリー、壁を開けたスイッチはどの辺りだ?ああ。ここか、ならばこちらが扉を開けるボタンだな
最後の頼みの綱である情報も簡単に見つけられ、Olたちの足音は遠ざかっていく。
待て待ってくれ!
ラーメスは声を張り上げながら、必死に考える。何か交渉できる材料を。
能力は不要と言われた。知識も、Olたちに役に立てるものはない。国も地位も富も、もはや彼女の手の中にはない。
砂の王としてではなく。万物の支配者としてではなく。
ただのラーメスとして、差し出せるものがあるか。
そう考えた時。彼女には、何もなかった。神の加護をも失った今、ピラミッドの堅牢な石さえ消し飛ばせる核熱の炎も出すことは出来ない。本当に、ここで乾いて死んでいくしかないのだ。
闇の中、彼女はがくりと膝をつく。そしてふと、手にしていた碗が目に映った。ほのかな光を放つそれが、暗闇の中で見える唯一のもの。そして同時に、今のラーメスに残された唯一のものでもあった。