そもそもここは何なのだ。どこの
ダンジョンだと言いかけ、Olは言いよどんだ。ダンジョン、という言葉に相当する語彙が植え付けられた言語知識の中に存在していない。
それどころか、地下や迷宮という言葉すら。
お前は外のことを知っているか?
代わりに、Olはそう問うた。
どこの外ですか?
突然変わった話題に、フローロは不思議そうにしながらも尋ねる。
最上層より更に上。このような、壁のない場所のことだ
コン、と拳で壁を叩き、Ol。
ここが地下であることは間違いのないことだ。音の反響具合、温度や湿度、空気の動きなどが全てそれを示している。Olがダンジョンの見立てを間違う可能性は、太陽が西から登ってくるよりも低い。
壁のない場所?
だがフローロはOlの言葉にひどくショックを受けたようだった。
そんな場所があるはずありません。壁がなかったら、人はどこに暮せばいいのですか。それに、壁がなければどこまでも行けてしまうではありませんか
これに、Olは頷く。
そうだ、その通りだ。外とは、どこまでも行ける場所のことを言うのだ
そんな場所があるなんて、信じられません
フローロは首を振って、そう答えた。だがそれは、Olとて同じ気持ちであった。
つまりはこういうことだ。今Olは巨大なダンジョンの中にいて、そこに暮らすフローロは、ダンジョンの外の存在を知らないし、想像もできない。
言葉には空だとか太陽、地上といった語彙もなく、壁と世界がイコールでくくられてしまう程に、ダンジョンはあって当たり前のものなのだ。
そんな世界が、ありうるだろうか?
いや、ない。Olは即座にそう判断した。ダンジョンは閉じて独立した空間として維持することが出来ない。
人は獣を食べる。獣は更に小さな獣を食べ、小動物は草を食む。その植物が育つには、水と陽の光が必要なのだ。中には光がなくとも育つ苔のようなものもあるが、そういった種は成長が遅く、更に獣の死骸のような栄養が溶け込んだ土か水を必要とする。
とにかく、外部からの補充最低でも陽の光がなければ、ダンジョンの中身というのは目減りしていく一方なのだ。故にOlのダンジョンでは入り口を複数設け、外部からの侵入を常に許している。
だが少なくとも、フローロがそれを知らずに暮らしていける程には、出口というのは遠いのだろう。それならOlの魔力が失われていることにも説明がつく。
大気中に漂う魔力が極めて希薄なのだ。Olの迷宮のように龍脈の只中にあるようなダンジョンは例外としても。普通は空気中にも多少の魔力が含まれている。だが極端に魔力が枯渇した空間に放り出された結果、Olの体内の魔力は周囲に放出され、消耗してしまったのだろう。
まあ信じられぬなら、信じずとも良い。どの道俺もそこにさしたる興味はない
誰も空を知らぬ世界で、空を目指す物語。
Olでなければ、そんなものが始まったのかもしれない。しかしここにいるのは掛け値なしのダンジョン馬鹿であった。
それに、仮に外に出たとしても、彼が抱える問題が解決するわけではない。
──元の世界に戻れぬという問題は。
Olがこのダンジョンに迷い込み、一体どれほどが経っただろうか。気絶している間の正確な時間はわからないが、体調の具合からしても二刻(約四時間)は経っていると考えるべきだろう。元の世界ではとうに月は沈み、日が昇っているはずだ。
それほどの間Olとの連絡が途絶え、どこに行ったのかもわからないとなれば、ユニスは間違いなく転移で迎えに来るはずだ。来ないということは、来ることが出来ないと考えるべきだろう。
最善は転移自体を試みていないという事で、試したが転移は出来なかったというのがその次に良い。最悪なのは、転移自体は出来たがここに辿り着くことは出来ず、ユニスが時空の狭間にでも閉じ込められるという事態だ。
考えたくもないことだが、無いとは言えない。ユニスの性格からすれば転移を試みようとするのは半々といったところだろう。リルは止め、スピナは促すだろうか。いずれにせよOlにできることは、彼女の無事を祈りつつ帰還の方法を探ることだ。
Olあなたは、その壁の外というところから来たのですか?
ああ。まあ、そんなところだ
正確には月の上からなのだが、空すら知らない相手に月のことを説明しても仕方がない。
それでスキルのことを知らないのですね
先程も言っていたな。スキルとは何だ?
言葉のニュアンスは、先程食べさせられた石の効果なのかなんとなくはわかる。意味としては技術だとか技能というような言葉に近いが、それだけではないようであった。
実際に見せた方が早いでしょう。ついてきて下さい
そう告げて、フローロは部屋を出た。Olが彼女の後を追ってしばらく通路を進むと、フローロはやがて広間のような場所で足を止める。
?ここが目的地か?
それは奇妙な場所であった。三十フィート(約九メートル)四方程の広さがあるというのに調度品の類は一つもなく、人が使っている形跡もない。もしOlがこのような部屋をダンジョンにわざわざ作るとするなら、守衛を置くか大掛かりな罠を仕掛けるかのどちらかだろう。
警戒するOlの視界に、信じられないことが起こった。突如、なにもない空間にポンと音を立てて小さな獣が現れたのだ。
小さいといってもOlの膝の高さほどはある、ネズミともうさぎともつかない奇妙な獣であった。それは額に鋭い一本の角を持ち、一直線にフローロに向かって突進する。
フローロが服の裾から手のひら程度の鉄片を取り出すと、それは次の瞬間には7フィート(約二メートル)程の鉄棍に変化する。彼女はそれを両手で構えると、獣を思い切り打ち付けた。
ギャンと声を上げて獣は壁に叩きつけられ、絶命する。そして、青い石とパン、毛皮を残して消えた。
これがスキルです
毛皮でパンを包み袋状に結びながら、青い石をフローロは差し出す。
角兎の落とすスキルは突進ですね。あまり使い勝手の良いスキルではありませんが
待て。今、何が起きた?
驚愕に最大限まで目を見開きながら、Olは問うた。
先程の獣はどこから出てきた。そしてどこへ行った。その毛皮とパンは一体何だ!?
どこから、と言われましてもただポップして、殺したので素材をドロップしただけですが
戸惑うように答えるフローロに、Olは頭を抱えた。スキルなどというものよりも遥かに不可解なことが目の前で起こっていたが、フローロはそれに疑問や違和感を抱いていない。
つまり獣は、何もない所から現れて殺すと、その素材を落として、消える。それが、当たり前だというのだな?お前が特別になにかをしたわけではなく
はいモンスターですから。Olのいた場所では違うのですか?