ナギアは興奮した様子でそうまくしたてる。
いかがでしょう。そのスキルを頂けるのならば、フローロの瞳をお返しいたしますが
いけません、Ol!ナギアの言うことに耳を貸さないでください!
ぐいぐいと袖を引っ張るフローロを無視して、Olは少し考える素振りを見せた。
構わんが俺のこれはスキルとやらではない。術だ。それでもいいか?
術ですか?よくわかりませんが承知いたしましたわ
不思議そうに首を傾げつつも、ナギアは頷いた。生まれ持った視力を奪えるのだ。別に特別な能力でなくても、手に入れることができるのだろう。
では交換だ。念を押すが、この術だけを奪い、フローロの目を返すという事でよいのだな
ええ、もちろん。商いで嘘はつきませんわ
にっこりと微笑むナギアに、嘘だな、とOlは直感した。
駄目です、Ol!
では受け取れ
止めようとするフローロをぐいと押しのけ、Olは告げる。
では、失礼致しますね
ナギアがするりとOlの胸に向かって手を伸ばすと、その指先が彼の身体の中にずぶずぶと埋まっていく。痛みはないが、頭の中を探られているような奇妙な不快感があった。
これは凄いですわね
ややあって、ナギアはその中から小さな宝石を取り出した。フローロがOlに食べさせたものより小さいが力強く光り輝いていて、尖ったところの全く無いつるりとした真球の形をしていた。
これほど見事に磨き込まれたスキル、初めて見ましたわ
その輝きをうっとりと眺め、ほう、と溜息をつくナギア。
なるほど抜き取られるとこうなるのか
一方でOlは、奇妙な感覚を味わっていた。
己の中から、魔術防護に関する知識や記憶がすっぽりと抜け落ちている。確かに知っていたはずの事が、どうしても出てこない。それでいて、そこに無くしたものが存在していた事自体は認識しできている。
忘れたこと自体も思い出せない記憶操作の術とは全く違う、不思議な状況だった。
名前:ナギア
種族:尾族
性別:女
年齢:16歳
主人:サルナーク
所持スキル:締め付け剣技LV2突進言語隠形LV1スキル結晶化鑑定
Olがその感覚を検証していると、不意に彼の視界にそんな文字が現れた。
妙な術だな。これが鑑定とかいうスキルか。しかしお前、思ったよりも若いのだな
驚愕するナギアに、目の前の文字を眺めつつOl。てっきり二十代の半ばくらいはいっていると思っていた。そう思わせるだけの色香と豊満さである。もっともOlの知る暦と同じ早さで歳を取るとは限らないか、と思い直す。
何をしたんですの!?このスキルはしっかり奪ったはずですのに!
スキルではなく術だと言っておるだろうが。そして、俺が持っている術はそれだけではない
ナギアが手に入れた魔術防護は、直接的に干渉してくる術に対する手段としてはもっとも基本的、かつ低級のものだ。意識せずとも常時展開していられるが、その代わりに防ぐことのできる術には限りがあり、どのような術をかけられたかもわからない。
Olは意識すればそれより高度な対抗魔術をいくつも使うことができる。例えば高度な術をも無効化するものや、相手に無効化したことを気づかせずに術の性質を解析するもの、そして今使った術の内容を相手にそのまま跳ね返すものなどだ。
ぜひともそのスキルもお売り頂きたいところですわねあら?
言いつつ、ナギアはOlから受け取った結晶を口に含む。そして、怪訝そうに眉を寄せた。
何、なんですの、これは?
言っただろう。それはスキルではなく、術だと
スキルという言葉が技術と異なるのは、それは独立しているということだ。前提となる他のスキルというものが存在せず、単独で扱える。
だが、Olが培ってきた術はそうではない。あらゆる術が別の術と相互に関連し、積み重なり、体系だって成り立っている。だからこそ、術一つだけを取り出しても何の役にも立たないし、逆に一つだけを抜かれても他の知識からそれを補完できる。
Olは既に抜き取られた魔術防護を己の中で再発明していたし、逆にナギアにはそれを扱うことが出来ない。前提となる魔力の収束も、それを全身に巡らす方法も、無詠唱で魔術を扱うやり方も、何もかもわからないからだ。
言うなれば、一つたりとて聞いた覚えのない材料、調理法の載ったレシピだけを渡された状態に近い。一方でOlは、作り方を忘れても何を作りたいかは覚えているのだから、一からレシピを考案することが出来る。
つまりこれは最初から、彼にとっては一切の損のない取引であった。
さて、約束通りフローロの瞳を渡して貰おうか
承服、しかねますわ
手を差し出すOlに、ナギアは不満げに顔をそらす。
このようなもの、不良品じゃありませんの!取引に応じるわけには参りませんわね
俺は、最初からスキルではなく術だと言っただろう。それとも約定を違えるというのか?
Olの言葉に、ナギアはクスリと笑って答える。
あら。そんな約束、しましたかしら?
すらり、と彼女の腰から剣が引き抜かれる。やはり最初からまともに取引する気などなかったのだ、とフローロは歯噛みした。もっと強くOlを引き止めていれば、と悔やんでももう遅い。
だがOlは悔しそうな素振りなど一切見せずに、静かにそう答え。
では、魔術師相手に約定を違えた報いを受けよ
呟くように、そう告げた。
あっあああああ!?
途端にナギアは剣を取り落し、地面に転がる。
痛い!痛い痛い痛い痛い!何をッ!しました、の!?
異な事を言う。したのはお前の方であろう?
悶え苦しむナギアを見下ろし、Ol。
その表情を見て、フローロは戦慄した。
人をいたぶり、苦しめ、傷つけることを楽しむ者は多い。彼らはそうするとき決まって笑みを浮かべる。陰惨で下劣な、汚らわしい笑みを。
だがOlは、全くの無表情だった。彼はナギアの苦しみを全く楽しんではおらず、それどころか興味すら持っていない。
魂を締め付ける痛みだ。肉の痛みと違って慣れることも狂うことも出来ぬ
ただ必要だからしただけ。
それは加害を楽しむ事よりも、よほど恐ろしいことに思えた。
許してっください、ませっ!お願いっ!お願い、しますっ!
耐えきれない苦痛に涙を流しながら、ナギアはそう懇願する。
痛みから解放されたいなら簡単なことだ。お前が約束を守ればいい
持ってないん、ですぅっ!フローロの瞳は主人にサルナークに、渡してしまい、ましたのっ!
ではやはり、ナギアは最初から約束を守るつもりなどなかったのだ、とフローロは思う。しかしOlはそれをわかった上で彼女と約束した。そちらの方が衝撃的で、ナギアを責める気にはなれなかった。