そうか。ならば仕方がないな
Ol!もう、許してあげてくれませんか?
見るに見かねて、フローロはOlにそう頼んだ。
許すも許さぬもない。約束とは契約であり、契約とは呪い。魔術師との契約を破るというのはこういうものなのだ。俺が今、こいつを苦しめる何かをしているわけではない
つまりOl自身でさえも、ナギアの苦痛を止めることは出来ない。言外にそう告げる彼の言葉に、ナギアの顔がみるみるうちに青ざめていった。
それはそれは、あまりにも哀れではありませんか。これほど苦しむ程の咎を、彼女はなしたというのですか?
俺を心配し止めていたくせに、おかしなことを言うやつだ。しかしまあ、呪いを解く方法はないではない
一筋の光明に、ナギアはOlの足に縋り付いた。
お願いっ!しま、す!何でも、しますからぁ!この痛み、を?
そしてそう懇願して──
唐突に、己の身体から痛みが引いていることを悟る。
ああら?
言ったな
Olはニヤリと笑って、ナギアを見下ろし、告げた。
何(・)で(・)も(・)す(・)る(・)と。今度はその約束、違えるなよ
ナギアは自分が口走った言葉がどれほど致命的であるかを悟るのに、それから更に数秒の時間を要したのだった。
第2話奪われたものを取り戻しましょう-2
サルナークは鋼の盾と呼び称される、この最下層の支配者です
己の主について知りうることを話せ。
そう命じられたナギアは、そう切り出した。
鋼の盾だと?
わたくしが見た限りでは、物理攻撃無効というスキルのことですわ。ありとあらゆる攻撃は彼には一切通じませんの
彼女は鑑定がOlに弾かれたことに驚いていた。つまり通常は鑑定を阻害するようなスキルなど存在しないし、そもそも相手を鑑定したことにも気づかれない。
故に当然のこととして、ナギアはサルナークの能力を鑑定していた。その上で、彼にはけして敵わないことを悟り、奴隷としての立場に甘んじていたのだ。
ふむそれで?
それで?ええとそれに、凄腕の剣の使い手でもありますわ。彼の剣技のレベルは5ですの
確かナギアは2だったか、とOlは思い出す。恐らく数字が大きいほど強いということなのだろうとは思うが、基準はよくわからなかった。
例えば純粋な剣の技術を比べたとき、ユニス、ナジャ、ホデリの三人の中でもっとも下手なのはユニスである、と聞いたことがある。だが、実際に戦えば勝つのはユニスだ。技術以前に、素の身体能力に大きな差があるからである。
つまり強さというのは、単一の数字だけで比べられるようなものではない、というのがOlの感覚であった。だがナギアにとってはそうではないらしい。
うむ。それで?
さっきからそれでってなんですの!?Ol様は何が知りたいんですの?
何って
Olはちらりと視線を下に向け、己の腰にしがみつくようにしながらずりずりと引きずられているフローロを見やった。
こいつがこんなに俺を引き止める理由だ
それはOl様を心配しているのでしょう。サルナークは冷酷で容赦のない男ですわ。無事で済むとは思えません
まあそれは、ナギアのような女を使役している時点で何となくわかる。
Ol、駄目です!サルナークの鋼の盾にはどんな攻撃も通じません。勝てるわけがないのです!
それについてはわたくしも同感ですわ。Ol様が底しれぬ力の持ち主だということは理解しましたけれど、サルナークの前では全てが無意味なのですから
口を揃えて言う二人に、Olはううむと唸った。
他に特筆するような能力はないのか?
物理攻撃無効。鋼の盾。
詳しい効果は検証してみてみなければわからないのだろうが、Olがその言葉から感じた印象は酷く不完全というものであった。
物理攻撃とわざわざ明言するということは、非物理的な攻撃は効くのだろう。
鋼は確かに硬く強靭な金属であるが、絶対に破壊できないわけではない。
そもそも盾という防具そのものが、攻撃に対して能動的に扱わなければいけないという性質を持っている。
それは、Olの思う無敵からはかけ離れていた。
少なくとも不死身だとか不滅だとか全知全能だとか、Olが今まで相手にしてきた存在と比べると随分隙が多いように思える。
無敵の盾と剣技。それだけで十分以上に恐ろしいと思いますけれど
困惑したように、ナギア。彼女には事前に、虚偽や隠し事をしないように命じてある。ということは本当にそれ以上の能力はないのだろう。
まあ、それならそれでいい
それが本当であるにせよないにせよ、Olにとって油断をする理由にはなりえない。
商談に移るとするか
ただ決めた事を、粛々と実行するだけだ。
商談だと?
革張りの椅子に深く座り、胡散臭げに視線を向けるサルナークは美しい男であった。
艶のある黒い髪とすらりと通った鼻筋は女と見まごうばかりだったが、しっかりと筋肉のついた上背のある体躯と鋭い瞳からは、むしろ精悍さを強く印象付けられる。
彼の周囲にはフローロのように角の生えたもの、翼を持つもの、深い毛に覆われたものなど、人ならざる種族の奴隷が数多く侍っていたが、サルナーク自身は角も翼も鱗も尾も生えていない、純粋な人間のようであった。
ああ。鋼の盾サルナークに相応しい代物を持ってきた
彼の住む一際大きな部屋に単身乗り込んだOlは、そう言って懐から手のひらほどの大きさの石の塊を取り出した。
なんだ、それは?
青白く光る線が走った、濃い灰色の立方体。何の役に立つのかもわからぬそれに、サルナークは露骨に興味を失いながら問う。
そうだな石壁の鎧、とでも呼ぼうか
それはダンジョンキューブであった。ダンジョンという語彙を持たない言葉で、Olは名称を捻り出す。
石壁だと!?
名を告げた途端、サルナークは椅子から立ち上がり、身を乗り出した。
ああ。俺を攻撃してみろ
その急激な反応に多少戸惑いつつも、Olはダンジョンキューブを手のひらに乗せてそう告げる。次の瞬間、Olの喉元に石壁が現れて火花が散った。
上、下、左、右、斜め、正面。立て続けに火花が散り、Olの目では見ることすら出来ない斬撃を、ダンジョンキューブの見えざる迷宮(ラビュリントス)が防いでいく。
これでも防ぐか!
興奮した様子でサルナーク。そう言いながらも、彼の剣速はますます上がっていった。防ぐ瞬間、Olの持つキューブからは石壁が伸びる。どれほどの速度であれば防御が間に合わなくなるのか試しているのだろう。
だがそれは無駄な試みであった。石壁は防いだ瞬間に実体化しているように見(・)せ(・)て(・)い(・)る(・)だけで、実際は防ぐ前からそこに存在しているからだ。