小癪なッ!
反射的に飛び降りようとするサルナークを邪魔するように、せり上がる床面から更に柱が立ち上る。その間にもどんどん天井は、サルナークを押しつぶさんと迫っていた。
焦るサルナークは一箇所、邪魔をする柱が少ない場所を見出し、そこに飛び込もうとして
突然、その動きを止めた。
ずん、と低い音が響き渡り、せり上がる床が止まる。それは天井と床の間にサルナークが完全に挟まれ、押しつぶされたことを意味していた。その結果にフローロは目を見開く。
ハ
逃げ道を用意しておいたにも関わらずサルナークが圧死したからではない。
ハ、ハ、ハ、ハ、ハ!そういう、ことか!
彼が無事であるということを、フローロはわかっていたからだ。
つまらないトリックだ。まさかオレの鋼の盾に、そんな弱点があったとはな!
柱が鋼の盾を持つ彼に痛みを与えたのは、Olの未知のスキルの効果でも、魔王の能力でもなんでもない。
鋼の盾は自分自身の力からは、身を守れない。そんな、能力の制約のためだ。自分で自分を攻撃するなど、サルナークは今まで試したことは一度もなかった。
だが考えてみれば当然のことだ。あらゆる力を無効化しては、歩くことすらできなくなってしまう。自分の脚で床を蹴り、自分の体を押す力はきちんと受ける必要があるのだ。
そう考えてみれば、サルナークが痛みを感じたのは単純で馬鹿馬鹿しい理由。ただ飛び出した柱に、自分からぶつかっただけだ。
それにさえ気づけば、潰されそうになっても慌てる必要などどこにもなかった。彼を潰すことなど出来ない。結局彼の身体に天井が触れた時点で、その動きは止めざるを得ないのだ。
さて悪あがきもここまでだ
結局フローロにサルナークを害する手段がないということさえわかれば、慌てる必要もない。ゆっくりと追い詰め、殺せばいいだけの話だ。
まさか、降りてこないとは思いませんでした
ぽつり、と呟くようにフローロ。
ハ!あんなこれ見よがしな隙に引っかかるわけがないだろう
天井が迫りくる中、一箇所だけ空いていた場所。おそらくはそこに刃のようなものでも仕込んであったのだろう。サルナークが自ら飛び降り突っ込めば、その刃は彼を傷つけうる。
だがわざと隙を見せ行動を誘発するなどというのは戦の常道だ。今まで数々の戦いを生き抜いてきたサルナークは、直感的にそれを見抜いた。
はい。まあ。確かにあれは罠ではあるんですが
困惑したようなフローロの声。同時に、サルナークは妙だなと思った。
床(・)と(・)天(・)井(・)が(・)、(・)元(・)に(・)戻(・)ら(・)な(・)い(・)の(・)だ(・)。
自分から捕まってくれるとは思わなくって
なに?
あらゆるスキルには効果時間がある。
大半は剣術や鑑定のように一瞬か数秒で消えてしまうものだが、ものによっては数分、数時間持つものもあると聞く。だがいずれにせよ、それの効果はやがて失われるものだ。そしてたいてい、その時間は効力の強さや規模に反比例する。
ましてや母なる壁に似たものを作り出すようなスキルが、そう長く持つはずもない。数秒もすれば元に戻るのだろうと構えていたサルナークだが、床も柱も全く消える気配がなかった。
サルナーク。私が使った魔術は信じがたいことですが、柱や床板を生み出すスキルではありません。母なる壁を変形させ、動かすスキルです
フローロの言葉をサルナークが理解するのに、優に数秒を必要とした。
母なる壁はこの地に住まう者にとって、疑問を差し挟む余地などない、絶対的なものだ。いかなる方法を使っても破壊はおろか傷をつけることすら出来ない。ましてやそれを操るスキルなど、考えたこともなかった。
おかしいとは思わなかったのですか?床板を生み出しても、あなたを持ち上げることは出来ません
サルナークの鋼の盾は外部からのあらゆる力を無効化する。ならば当然持ち上げることなど出来るはずがない。だが実際に、サルナークはこうして天井近くまで持ち上げられている。
逆です。あなたが立っている場所以外の部屋全体を、全て低くしたのです
ば馬鹿な!そんな事、出来るはずがない!
それは二重、三重の意味を持った叫びであった。
何人もの奴隷を従え、他者のものを奪い、蹂躙してきたサルナークはお世辞にも善人とは言えないであろう。しかしそんな彼であっても、母なる壁を傷つける事は躊躇われる。実際に試みたところで傷一つつけられないとしてもだ。
その感覚は善悪を超越したもの。彼らにとって母なる壁は世界そのものであり、生まれたときから死ぬときまで一切変わらずに存在する絶対的なものだ。
それを操作できる者がいるなどと考えたくなかったし、出来るとしても実際にやるなど信じられなかったし、実際にやるとしてもこれほどの規模、これほどの量の壁を操作するなど、気がしれなかった。
──だが。彼女が言うことがもし、真実であるというのなら。
これは全て母なる壁だと言うのか!?
サルナークをぐるりと囲んでいる無数の柱と、彼の身長ギリギリの天井。フローロの言葉は、それが時間が経っても消えないばかりか、破壊すら出来ないことを現していた。
え?それ、言わなきゃいけないんですか?わ、わかりました
フローロはどこか戸惑った様子で一人呟き、サルナークを見据える。
その通りです。あなたは、最初から
ごごん、と音を立てて柱の隙間が別の柱で埋まり。
私の胃袋の中、です
フローロのその言葉を最後に、全ての音が遮断された。完全に密閉されたということだ。
母なる壁はそのものが光を放っているために何も見えなくなるということはないが、それ故に脱出する方法が全く無いということがありありと分かってしまう。
毛の逆立つような嫌悪感、抵抗感を押し殺して、サルナークは剣を振るう。だがそれは壁に一筋の傷をつけることも出来ず、逆に刃が欠けた。
おい待て。馬鹿なそんな事があるか?
出ることが、出来ない。その事実はじわじわとサルナークの心に染み込み始めた。それを悟ったかのように、壁が更に彼に向かって迫ってくる。
待てやめろ!よせ!
その先に待つ運命を正確に悟り、サルナークは青ざめた。
彼の鋼の盾は無敵だ。どんな攻撃も通じない。だからどんなに天井や壁が迫ってこようと、彼が押しつぶされる心配はない。
だが同時に、その迫る壁を押し止める方法もない。
壁を押さえれば、その部分の動きは確かに止まる。だが壁はまるで柔らかい粘土のように形を変えて、サルナークが押さえていない部分だけが迫ってくる。
待て待て待て待て!嘘だろう!?まさか、そんな、ことが!
迫る壁はけしてサルナークを潰すことはない。