フローロの答えに、Olはニヤリと笑みを浮かべた。
きっと私は、その死に喜びを感じてしまう。それが怖いのです
それで良い
ぽん、と頭に置かれるOlの手を、フローロはきょとんと見上げる。そんなくだらない理由で、と言われるかと思っていたのだ。
恨みや憎しみは瞳を曇らせる。そんなものは目的を達成するのには不要だ。必要であれば殺し、必要でないなら生かしておけば良い。俺の見た限り、お前の主人は小物だ。わざわざ殺す必要などあるまい
憎しみに囚われるのは不毛だ。
恨みなど忘れて生きろ。
フローロは今まで幾度となくそう言われてきた。
だがOlのいうそれは、全く別の意味を持っているように思えた。
Olはこのような境遇になったことを恨まないのですか?
恨むが?
試しに尋ねてみれば、何を馬鹿なことをと言わんばかりに答えられた。
どうして俺がこのような場所に飛ばされたのかはわからんが、もし何者かが悪意を持って行ったのであれば必ず然るべき報いを受けさせてやる。そんなのは当然の事だ
淡々と、Olは述べる。
だがそれは、恨みを晴らすために行うのではない
その声色は恨みつらみを込めたものではなく、炎が赤いという事実を説明するかのようなもので。
俺は俺に楯突くものを許さぬ。敵を全て後悔させてやらねばならぬ。だがそれは、俺の気持ちなどという矮小なものの為ではない。俺の敵となるのがどれほど割に合わないかをわからせてやる為だ
フローロは、彼が自分の主人を痛めつけている時のことを思い出した。一切の色を持たない、無関心なあの瞳。Olはきっと、人を殺すときも全く同じ目でやってのけるのだろう、と思った。
あの時はそれを恐ろしいと思った。
だが今は、なぜかそれをひどく頼もしく思えるのだった。
ところで、もう一つのすることとはなんですか?
忘れたのか?
意外そうに目を見開いて、Olは言った。
サルナークの奴隷達の処遇だ
完全に忘れていたフローロは、声を上げた。
Ol様、フローロ様
Ol達がサルナークを閉じ込めた部屋に向かうと、ナギア他奴隷達が数人集まっているところだった。
いえですが、わたくし達は未だ奴隷から解放されていないようなのです
見上げたしぶとさだな。どれ
壁の中はみっちりと埋め尽くされていて、サルナークは指一本動かせないレベルにまで固められてしまっているはずだった。普通ならば一刻も持たず窒息死するはずだが、とOlは魔術で中を伺う。
壁の中で、サルナークはぐったりとしていた。ピクリとも動く様子がなく、とても生きているようには見えない。少しつついて様子でも見るか、とOlが壁を動かそうとした瞬間、サルナークは突然かっと目を見開いた。
ほんの僅かな魔術の気配を感じ取ったのか。サルナークの反応にOlは驚くが、だからといって彼に何が出来るわけでもない。
にる
だが、掠れた声で発せられた彼の言葉に、Olは笑みを浮かべて頷いた。
パチン、とOlが指を鳴らすや否や、サルナークを閉じ込めていた巨大な石の柱はバラバラに解けるようにして消え去り、汗にまみれ消耗したサルナークがどさりと地面に転がった。
ぐぅ!
サルナークは萎えきった肉体をなんとか動かし、剣を掴んで立ち上がる。
オウル!
そしてOlの眼前まで幽鬼のようにふらつきながら歩みを進めたところで、ガクリと膝をついた。
Olは震える腕で突き出された剣を手に取り、それでサルナークの肩を叩いた。
俺に仕えるという契約、確かに承った
Olがそう言った途端、サルナークは意識を失い地面に倒れ伏す。
ふむ命に別状はないな。寝かせておいてやれ
Olがそう命じると、自然と奴隷たちの数人がサルナークを運んで連れて行く。
Ol、今のはどういう事ですか?
奴は俺に仕える代わりに生命を助けろといい、俺は承知した。それだけのことだ
サルナークの言葉は命乞いと言うにはあまりにも尊大であったが、Olはかえってそれを気に入った。命を盾に取られてなお挫けぬ誇り。一晩指一本動かせぬ牢獄に閉じ込められ、なお微塵も生存を諦めないその胆力。それはスキルなどというものでは得られぬ素質だ。ここで殺すには惜しい男だとOlは思った。
つまりサルナークをOlの奴隷にしたということですか?
そのような制度は知ったことか。ただ配下にしただけだ
フローロの問いに、吐き捨てるようにOl。
それより、紙とペンはないか?
ございますが何にお使いになられるのですか?
カバンから紙とペンを取り出すナギアに、Olはニヤリと笑い、答えた。
契約書だ
第4話次なる刺客を迎え撃ちましょう-2
うん。ばっちり良く見えます!ありがとうございます、Ol!
元に戻しただけのことだ。感謝される謂われはない
輝きを取り戻した目をパチパチと瞬かせ喜ぶフローロに、Olはそっけなく言葉を返す。
こ、これを全部読めというのか?
別に読まなくとも俺は構わんがな
その一方で、目の前に置かれた分厚い紙の束を凝視し脂汗を垂らすサルナークにOlは涼しい顔で答えた。
フン。オレは貴様に仕えると誓ったのだ。このような取り決めなどしなくとも、好きに命じればよいだろうが
サルナークは腕を組み、契約書から顔を背けると吐き捨てるように言う。
ええとサルナークが魔術によって女性に変化したときの取り決め
今日中に全部読む
だがフローロがそのうちの一枚を取り上げて内容を呟くと、サルナークはすぐさまそれをひったくるようにして奪い、そう言った。
うむ。それがいいだろう。ところで出来れば早急に行って欲しい頼みが一つあるのだが
何だ。女体化以外なら聞いてやる
盛大に顔をしかめ、しかし真剣な眼差しを契約書に走らせながら、サルナーク。
フローロを奴隷の身分から解放したい。お前なら出来るな?
だがOlがそう問うと、彼は一転して野獣のように獰猛な笑みを浮かべて答えた。
サルナーク様、この度はお呼び立て頂き、誠に
つまらん挨拶はいい。そんなことよりだ
フローロの主人コートーというその男をサルナークはギロリと睨みつける。
単刀直入に言おう。お前が飼っているあの魔族の女。あれを寄越せ
そ、そう申されましても
サルナークの命令に、コートーは慌てて答える。
どうかご容赦をあれはワタシにとって唯一の奴隷です。己の奴隷を所有する権利だけは、サルナーク様といえど侵害できぬはずです
この最下層に法らしい法はない。だがしかし、奴隷とスキルだけはたとえ相手が奴隷であったとしても一方的に奪ってはならないと決まっていた。サルナークはむしろその法を守らせる側の人間だ。