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無論、ただでとは言わん。相応の対価は用意する

サルナークの合図にナギアが両腕に抱えた袋を数個、どさりと床に下ろす。その口からはたっぷりとした食料や雑貨、宝石などが覗いていた。最下層の奴隷一人を譲り受けるには十分すぎる量だ。

同意致しかねますな

だがいやらしい笑みを浮かべて首を振るコートーに、サルナークは眉をひそめた。

申し上げました通りあれはワタシの唯一の奴隷。対価を頂いたところでおいそれとお譲りするわけには参りません

何だと!?

歯を剥き出し柳眉を釣り上げるサルナーク。コートーはひっと声を上げて身体を竦ませたが、言葉を取り消しはしなかった。

おかしい、とサルナークは思う。コートーはフローロが魔王の娘であることなど知らないはずだ。そもそも最下層の人間たちは、魔王の顔さえ知らない。サルナークですら、彼らが支配者の名を関するスキルを持っているということくらいしか知らなかった。

だがコートーのこの態度は、フローロが価値ある存在であるということを明らかに知っているものだ。

別に奴隷を解放する方法は一つだけじゃないんだぜ

サルナークの手が、腰の剣の柄に添えられる。

サ、サルナーク様こそワタシはもう、あなた様の支配下にはないんですよ

そうしてなお下卑た笑みを崩さないコートーに、サルナークは目を剥いた。最下層にいる者たちはその大半が、サルナークの下に存在する。すなわち彼の奴隷であるか、そのまた奴隷であるかといった調子だ。

ワタシは今、ユウェロイ様の奴隷です。おいそれと害すればサルナーク様とて、無事ではすみませんよ

ユウェロイだと!?馬鹿な、何故お前如きが!?

どうやら想定外のことが起こったらしい。隣室で見守っていたOlが立ち上がろうとすると、サルナークは腕を上げてそれを制した。黙って見ていろということらしい。

ユウェロイとは誰だ?

中層に住む有力な壁族の一人です。普通、上の方の階層の者は、最下層の人間になんて関わらないものですが

代わりに傍らのフローロに尋ねると、彼女もまたどこか困惑した様子でそう答えた。

そういうことなのでね。アレは引き取らせて頂きますよ。そこにいるのはわかってる。さっさと来ねえか!

コートーが怒鳴ると、フローロはびくりと身体を震わせた。主人だからといってその命令に何らかの強制力があるわけではない。しかし今まで何度も鞭打たれてきた記憶が、彼女を自然と従わせる。

だが彼女はその途中で、ピタリと足を止めた。

Olの瞳が、彼女を射抜くように見据えていたからだ。

彼は腕を組んだまま壁にもたれかかり、何を言うでもなくフローロを見つめている。だがその言わんとする所ははっきりと彼女に伝わってきていた。

フローロはキリリと表情を引き締め、ピンと背筋を伸ばし部屋を出る。その背を、Olは笑みを浮かべて見送った。

お呼びですか

待たせるんじゃねえ!この!汚れた血が

コートーの怒声は、フローロの姿を認めてあっという間にその勢いを失った。Olが仕込んだ恐怖の記憶がいまだ有効であったというのもある。

しかし理由の大半は、彼を見るフローロの姿が彼の知るものとまるで違ったからだ。

コートーの知るフローロは常に下を向き、陰気で覇気がなく、いつも何かに怯え背を丸めている少女だった。

それが今は毅然としてコートーを見つめ、それでいて気負った部分がまるでない。同一人物とはとても思えない、凛とした佇まいであった。

コートー

それまでコートー様と呼んでいた相手を、フローロは自然に呼び捨てる。

私はあなたにもう仕えることは出来ません。お引取り下さい

その堂々とした立ち居振る舞いに、コートーは自分が呼び捨てられたことにすら気づかなかった。

何を馬鹿なことを!誰がお前を拾い上げ、今まで面倒見てやったと思っている!

はい。それには感謝しています

全てを失い、最下層に追いやられたフローロが、辛く貧しい生活とはいえ今まで生きてこれたのはコートーが主となっていたからだ。少なくとも彼はフローロを手慰みに殺すようなことはなかったし、振るう鞭は痛みを与えるだけで取り返しのつかないような傷もつけられてはいない。

冷酷な主人についてしまったばかりに命を失っていった魔族はフローロが知るだけでも何人もいる。コートーの事を恨んでいるというのも、感謝しているというのも、偽らざる本音であった。

ですが私はこれ以上奴隷という立場に甘んじているわけにはいかなくなりました。──魔王として命じます。私を解放しなさい

毅然と言い放つフローロの言葉はともすれば居丈高に感じるものであったが、傍で聞いているサルナークの耳には不思議とそうは感じられなかった。むしろ、滅茶苦茶なことを言っているにも関わらず正当な要求にすら聞こえる。

王?お前がお前が王だって?この汚れた血が!

だがコートーは唸るように言って、フローロを睨め上げた。

何を勘違いしてやがる!魔族が壁界を支配していたのは、もうずっと前のことだ!お前はただの奴隷で、最底辺の存在だ!何が魔王だ、この汚れた血が!

その指先から奴隷を打つための鞭を取り出そうとして、コートーは手を止める。

フローロの背後から、サルナークが射すくめていたからだ。

その鞭を振るうなら好きにしろ

サルナークはいっそ平静な声色で、そう告げた。

ただしその瞬間に、お前の首は飛ぶ

ワワタシは、ユウェロイ様の

上等だ

サルナークは刃を抜き放ち、獰猛な笑みを見せて答える。

こっちはそもそも最上層を獲るつもりなんだ。中層の壁族如きにビクビクしてられるかよ

それは、サルナークが本気でフローロにつくと決めたという証拠でもあった。

さあ、とっとと決めな。このお嬢を解放するか、首だけになるか

ひっわ、わかった、わかりました!フローロをワタシの奴隷から、解放する!

サルナークが刃を閃かせ、コートーの頬に一筋の傷をつける。それだけで彼は音を上げて、悲鳴のような声色でそう叫んだ。

それと同時に、フローロの首についていた輪状の印が、まるでガラスのように割れて消え去る。

たただで済むと思うなよ!

コートーはそう言い捨てると、一目散に部屋を飛び出していった。

ありがとうございます、サルナーク

ハ!別に礼を言われる筋合いはねえ。いいか、この際はっきり言っておく

サルナークは剣を鞘に収めながら、ギロリとフローロを睨みつける。

オレは魔族が嫌いだ。魔族の下で働くなんざ反吐が出る。お前を王と認めるつもりなんざこれっぽっちもねえ

その瞳にあるのは明確な嫌悪。

だが、お前とOlの野郎に付くのは美味そうだ。オレはどんな手段を使おうと必ず壁族に返り咲く。その為には何だって利用してやる。だから今は、お前に手を貸してやる。それだけだ