うむ。お前にはダンジョンを作ってもらいたい
はあ!?
男の言葉に、思わず女悪魔は見えない椅子から転げ落ちた。
淫魔の癖に色気のない転び方をするな。そんな下着みたいな格好で脚を広げられても、かえって興ざめするというかだな
そんな事はどうでもいいっ!今、なんかダンジョンを作れって聞こえた気がしたんだけど?
ああ、そう言った
男は頷き、両腕を一杯に広げ地下室をぐるりと見渡す。
いまだかつて誰も見た事の無いような、深く、広く、凶悪な迷宮を。無数の罠と、怪物どもと、財宝が待ち受ける大迷宮を。地下の世界を統べるかのような、途方も無いダンジョンを作って欲しい
女悪魔は思わず頭を抑えた。病気などとは無縁の身だ。
直接的な打撃以外で頭痛を覚えることなど初めてのことだった。
あのね百歩譲って、そのダンジョンの守衛として召喚されるならまだわかる。そういう条件で呼ばれた事もなくは無いしね。でも、ダンジョンを作れってどういう事よ!?そんな事はゴブリンかゴーレムにでも任せなさいよ!
無論、穴を掘る作業はそういったものどもに任せる。だがそれ以外の膨大な作業を手伝う者がいるのだ。ダンジョンの通路は、部屋はどのように配する?罠と怪物どもは? 守衛となる魔物も生き物なら、餌がいる。その調達は如何にする? 我が迷宮が大きくなれば、それを脅かそうとする不届き者も出るだろう。そのような輩への対処は?考えるべきこと、すべき事は無数にある。それを、貴様に手伝ってもらいたい
それは分かったけど、何で私なわけ?
ようやく体勢を直し問い掛ける女悪魔に、男は指を三本突き出してみせる。
理由は三つだ。まず第一に、俺は人間を信じておらん。人は必ず裏切る。妖魔や亜人の類もそれは同じだ。お前達悪魔は隙あらば人を陥れようとするが、契約を破る事は絶対に出来ない。だから、人間ではなく、悪魔を選んだ。第二に、通常悪魔は高位になればなるほど高い力と知恵を持つが、その分だけ契約や維持に大量の魔力が必要となる。お前達淫魔は人間の欲望に密接に関わり、精を吸い取る事を生業としている変り種だ。さほど強くはない代わりに、必要な魔力に対して賢く、人間の感情の機微にも聡い。だから、淫魔を選んだ。第三に
男はそこで言葉を切り、女悪魔の身体を眺めてニヤリと笑みを見せた。
どうせ傍に置くなら、見てくれだけでも美しく若い女が良い。だからお前を選んだ
女悪魔は、一瞬ぽかんとして男を見た後、くすりと笑った。
なるほどね。いいわ、その仕事、手伝ってあげる
では、この契約に名を持って同意してくれ
男は懐から紙を取り出し、女悪魔に見せる。相も変らぬ暗闇の中だが、闇の眷属たる悪魔にそんな事は関係あるはずも無い。
契約内容を用意してあるの? 準備がいいのねって細かっ!? 一体何条あるのよコレ!?
魔法陣越しに提示された羊皮紙には、細かい字でびっしりと条文が書かれていた。
言っただろう、お前達悪魔は隙あらば人間を陥れようとする、と。それを防ぐ為の条文だ。極端にお前の不利になるような不平等な条文は無いから安心しろと言っても信用はできんだろうからな。好きなだけ読むがいい
そんなことしなくったって裏切ったりしないって、もうあーもう字が細かすぎるのよ
ぶつぶつと文句を言いながら目を細めつつ、条文に目を走らせる。
ん、とりあえずはいいわこれ、目に見えないくらい細かい文字とか、特殊なインクで普通には見えない文字とかで書いた条文が隠されたりしてないでしょうね。あったら契約自体無効だからね
疑いの眼差しを向ける女悪魔に、男は心外そうに眉をひそめる。
そちらの不利になるような文は無いと言っているだろうが。疑い深い奴だな
お前が言うなっ!まあいいわ。じゃあ、契約するよ
ああ。汝、サキュバスよ。この契約に従い、名を持って我が力となるか?
名前は、魔術師や悪魔といった魔に関わる者たちにとって重大な意味を持つ。
ある程度以上の力を持つものであれば、相手の名前を知るだけで呪いをかけ、その魂を支配することさえ出来る。
悪魔との契約はそれを利用したものであり、名前を持って結んだ契約はお互いにいかなる事があっても破る事は出来ない。
我が名、リルシャーナにかけて誓う。契約に従い、あなたに力を貸しましょう
ならば、我が名アイン・ソフ・Olにおいて、この契約を守る事を誓おう
宣誓の言葉に応じ、契約書が光り輝く。そして、炎に包まれると一瞬にして燃え尽きた。
契約内容は二人の魂に刻み込まれ、追記も改変もけして出来ない存在となったのだ。
では、これからよろしく頼むぞ。俺の事はOlと呼べ
はいはい。私はリルでいいわよろしくね、Ol
変なのと関わっちゃった気もするけど。
その言葉を、リルは辛うじて飲み込んだ。
魔法陣を越えて、互いの手が握られる。
こうして、二人の迷宮作りの日々が始まった。
第1話まずは魔力を溜めましょう
それでさっきから気になってたんだけど
狭い魔法陣を抜け出し、手足と翼をぐっと伸ばしながらリルは背後を振り返る。
コレ、何?
その視線の先に佇んでいるのは、巨大なガラスの瓶。
リルを呼ぶ前にOlが設置したものだ。
それはそうだな。ダンジョンコアとでも呼ぼうか。これからのダンジョン作りにおいて核となるものだ
説明しながら、Olは短く呪を唱えて掌に小さな炎を灯し、部屋の四隅に浮かべて明かりにする。
魔力とは何かわかるか?
問うOlに、リルは頬を膨らませて答える。
馬鹿にしないでよね、これでも私は悪魔よ? 魔力は全ての魔に関わるものの根源。魔法も、魔物もそして勿論、私達悪魔もそれを源にしてる。創造主が作り上げたこの世界を僅かでも捻じ曲げ、汚し、作り変えるもの。それが魔であり、魔力であり、悪魔ってわけよ
リルの言葉に納得した様子で、Olは頷く。
ではこれは知っているか? 魔力と言うのは、土や大気、水、生き物ありとあらゆるものの中に内在しているが、その大部分は地中に存在する。地中の魔力は一つところに留まっている訳ではなく、道や河の様に流れている。この魔力の道を龍脈という
で、それとこれと何の関係があるわけ?
説明を理解できたのか出来てないのか良くわからない表情で、ペタペタとダンジョンコアを触りながらリルは問う。
今いるここは、その龍脈の真っ只中だ。そして、このダンジョンコアはその龍脈の魔力を吸い上げることが出来る
炎の明かりに照らされ琥珀色に輝きながら揺れる液体を、リルは目を丸くして見つめた。
え、もしかしてこの水魔力、とか?