終わりましたか
それを見計らい、エレンと黒アールヴの娘が一人入ってきた。
ああ。今度は寝室に連れて行け。後で一応呪いはかけるが、もう抵抗する事はないだろう
黒アールヴの娘にナジャの身体をわたし、Olは答えた。ふむ、とエレンは眉根を寄せ、少し考えてからOlに率直に尋ねた。
主殿、私には良くわからんのだが、結局あの娘は元々主殿の配下だったのか?
そんなわけないだろう
エレンの問いに、Olは薄く笑う。
剣士と言うのは全く魔術を使わないが、あれで中々厄介でな。精神力の強さだけなら魔術師を凌ぐ事が多い
椅子に腰掛け、Olは種明かしを始めた。粗末な椅子に見えていたそれは、あっという間に巨大化し、肘掛つきの大きな椅子に変じてOlの身体を支える。
だから反抗できないよう呪いで制限をかけても、とかく扱いづらい。呪いで全身に激痛が走ろうと、構わず数秒程度なら戦い続けたりも平気でする連中だ。反面、目晦ましの類は効き易いから、今回は絡め手で攻めてみた。それがこの顔だ
Olは呪文を一節口ずさむと、その顔がぐにゃりと歪んだ。輝くような金の髪、女と見紛うばかりの細面。それは、アランの顔だった。
あの男に化けて、娘を犯したのはわかっているのですが
唐突に槍で突きながら俺を牢に連れて行け、などと言われた時には、エレンは長い地下生活で主の気が触れたのかと思った。
よく見てろよ
んんんん?
エレンはOlの顔に違和感を覚える。しかし、それが何であるかがわからない。
どうだ?
あ、あれ!?
気付いた時には、Olは元の顔に戻っていた。琥珀色の髪に茶色の瞳。整ってはいるが、男性的な顔付き。どう見てもいつものOlだ。
が、いつもとに戻ったのか、エレンにはさっぱりわからなかった。
ゆっくり、ゆっくりと顔を変化させたのだ。人間アールヴもそうだが、生き物の認識と言う奴は中々面白くてな。ゆっくりとした変化には中々気付けんようになっている
いつの間にかOlの顔は、再びアランのそれへと変化している。
まあ、金と琥珀色で、髪の色が比較的似ていたのが幸いしたな。流石に髪の様な目立つ場所の色が大幅に変わると気付かれる
そういえば、とエレンがOlの目に注目すると、確かに碧眼がゆっくりと茶の瞳に変化していた。
これを数日がかりでやりながら、夜毎に暗示をかけ、記憶を潜在的に植え込んだ。実は自分はOlの手先で、冒険者の仲間のフリをしているだけとな。偽の記憶と変化する顔、後は時折わざと見せてやるアラン本人の顔のせいで、奴はすっかりアランの顔が敵で、俺の顔が味方だと信じこんだ
ナジャが扉の隙間からのぞき見た、大きな椅子に座っていた男はアラン本人だった。そこでそれに気付けば、ナジャは或いは彼を助け出せたかもしれない。しかし、記憶を曖昧にされ、Olの顔をアランだと信じていた彼女にとっては、憎き敵の顔にしか見えなかった。
人間と言う奴はな、どんなに疑い深い者でも相手の裏をかいたと思った瞬間は酷く心が無防備になる。その瞬間を利用し、敵と味方の顔が入れ替わったのを支点にして植え込んだ記憶を一気に表面化させ、奴の今までの人生の本当と嘘をすげかえ、俺の味方であると信じ込ませた。信じ込む、と言うのは怖いぞ。疑いすらしない事は防ぎようがない
怖いのはあなただ、と思ったが、エレンは口には出さない。主人として頼れるという思いもあり、やはり恐ろしくもある。
だがまあ、実験はうまくいったがこの方法は手間がかかりすぎるな。成功したのも半分以上は運みたいなものだし、次はもう少しスマートに済ませるか
娘は後二人、別々のアプローチで堕とすつもりだ。
邪悪な思考を巡らせながら、Olは次の犠牲者の下へと足を向けるのだった。
第10話欲にまみれた冒険者どもに絶望を与えましょう-4
話は数日さかのぼる。
ナジャが牢獄で目を覚ましたその日、つまりアラン一行がOlに破れ捕えられた翌日。僧侶のShalもまた、牢獄で目を覚ましていた。
ベッドの上で半身を起こしたShalは、同じ部屋の中で椅子に脚を組んで座る男を見て反射的に身構えた。仮面をつけていたから顔には見覚えがないが、背格好と琥珀色の髪ですぐにわかる。この男こそ、邪悪なる魔術師Olだ。
慌てるな。別にお前を害する気はない。その気ならとっくに殺している
Olは慌てた様子もなくそういった。その言葉を信じた訳ではないが、Shalは身体の緊張を少しだけ解く。そもそも、反抗する事自体が無駄だというのはわかっていた。
彼女の右手人差し指にはまっているのは封魔の呪具だ(余談だが、Olがナジャにした説明は大嘘で、いちいち魔封じの呪いなどかけていない)。
これがある限り魔術は使えないし、自分で外す事も出来ない。白アールヴである彼女は人間より力が弱く体格も小さいので、魔術師といえど人間の男であるOlに腕力で敵う気もしない。
何が望みですか
話が早いな
酷薄な笑みを浮かべ、Olは足を組み替えた。彼は少し考えるように手を顎にやり
では、身体でも捧げて貰おうか
まるで酒場で酒の注文でもするかのようにそう言った。まだ経験のないShalだったが、その意味が判らぬほど子供でもない。真っ白な肌を真赤に染めてOlを睨んだ。
ふざけないで下さい。あなたの様な邪悪で下卑た男に汚されるくらいなら、あたしはこの舌を噛んで死にます
命を賭けるほど嫌か
当然です
即答するShalに、なるほど、とOlは頷いた。
ではその命が仲間の物でも、同じことが言えるかな?
Shalの顔色が、赤から一気に蒼白へと変わる。
お前の仲間は三人とも無事だ。今は、な
この、恥知らず
可愛らしい表情を憎悪に歪め、ぎりりと奥歯を噛み締めShalはOlを睨んだ。しかし、視線に刃がついていればOlをバラバラに出来そうな瞳も、邪悪な魔術師の面の皮の前では全くの無力だった。
たっぷりと逡巡した後、のろのろとした動作でShalはベッドに身体を横たえ、ぎゅっと目を閉じた。
好きにしなさい
白アールヴは、人間の何倍もの時間を生きる。そして、その時間の大半を、たった一人の相手を緩やかに愛する事に使う。白アールヴにとって愛とは至高のものであり、その証明になりうる純潔は何よりも大切にするべきものだ。
それを、仲間の為に捨てる事を決意した彼女の覚悟は、いかばかりのものか。愛するアランは勿論、ナジャやウィキアも種族は違えどShalにとってはかけがえのない友人であり、仲間だ。これから自分に降り注ぐ残酷な運命に身を震わせ、Shalは歯を食いしばった。この男の前でけして涙を見せたりしない。そう、誓った。
どうやらお前は何か思い違いをしているようだな
そんな、小さな少女の悲壮な覚悟を