失礼いたしましたっ!
ニコニコしながらラディコが答えると、衛兵たちはすぐさま槍を引いて道を開けた。
下層の人間の間にも階級があるのか
そりゃそうだ
直立不動でOlたちを見送る衛兵をみやりながら、サルナーク。
あいつらは下層の中でも下の下。中層の有力壁族に連なるラディコとは本来直接会話するのも咎められるような連中だ
職務上の誰何であること、それ以上にラディコ自身がそういった事を気にしない性格である為に見過ごされているが、相手によっては先程のやり取りも無礼として首を打たれても文句は言えない。その程度の立場の人間だ。
そして、そんな者たちですら、最下層の支配者であるサルナークよりも上である。最下層に住むものはそのことごとくが奴隷であり、この壁界に住む者たちの中の最底辺であるのだ。
まさかこんな方法で最下層を出ることになるとはな
忌々しげに呟きながら、サルナークは階段を踏みしめる。
こっちだよお、Olくん!
その内心に渦巻く思いに全く気づくことなく、ラディコは軽やかに下層の廊下を駆けていく。
どうしましたか、Ol?
その後を追いながらぽつりと呟くOlに、フローロは首を傾げた。
床石の年齢が、まるで違う
床石の年齢?
そして返ってきた全く意味のわからない言葉に、彼女はOlの視線を追って床を見つめた。
同じに見えますが
いや、違う。百年か二百年か。その程度はこの床の方が古い
そう言われてもフローロには最下層で見飽きるほどに見てきた床と何が違うのか全くわからない。だがOlは確信を持っているようであった。
つまりは、最下層の方が後に作られたということだ
そもそも床や天井は母なる壁と同じ素材でできている。つまりはけして朽ちず壊れず傷つかない。経年による劣化もないはずであって、Olの言う通り百年の差があったとしても見た目に違いが出る道理はないはずだ。
そうなんですね
だがフローロは特に興味がなかったため、Olの言うことを否定も肯定もせずに相槌を打った。
この世のあらゆるものは固有の魔力波動を持っており、極微量ではあるが周囲にそれを放っている。しかしこれは魔力の流れから切り離されると徐々に減じていく。生命であれば死んだとき、岩であれば大地から切り出されたときだ。と言っても魔力そのものを消費しているわけではないので波動の減少はごくごく僅かなもの。およそ五千と五百年で半減するという極めて微かなものだ。だが最下層の床石はどこもほぼ一定の魔力波動であったにも関わらずこの階層の波動は明らかに目減りしている。それだけならもともとの石の性質が異なるだけかも知れないが──
なるほどですねー
こういう時のOlの言葉は極力聞き流すべきであるということを、フローロは段々と理解してきていた。
あれえ?
不意に、前を歩くラディコの足が止まった。一体どうしたのかと見やれば、通路は積み重なったベッドだの机だのの残骸で塞がれてしまっていた。
誰がこんなふうにしたんだろお。どけるねえ
待て、ラディ
自慢の鉄腕をぶんぶんと回すラディコを、Olは慌てて止める。
お前の力で吹き飛ばしては大きな音が鳴って迷惑だろう。かといって一つ一つどかしていたのでは時間がかかる。別の道はないのか?
うん、じゃあ、こっち
素直に腕を引っ込めるラディコに、フローロはほっと胸を撫で下ろした。折角ここまで敵に察知されずに侵入できているのだ。これほどの瓦礫を一気に破壊したら台無しになってしまうところだった。
あれ?でもOlなら壁の方を動かして通れたのでは?
いちいちそんな事に貴重な魔力を使っていられるか。言っただろう、あれは見た目よりだいぶ高度な操作を必要とするのだ
Olの答えに、フローロはそういうものかと納得する。とはいえ正直彼の言う魔力の量というのは、フローロにとっていまいちピンとこない概念ではあった。
それがなければ魔術を使えないというのだが、魔術を覚えたてのフローロは魔力がなくなるという感覚がない。それどころか、自分にどの程度の魔力があるのか、どれだけ使えばなくなるのかすらわからないのだ。
あっ!
再び、突然前を行くラディコが足を止める。しかし先ほどとは打って変わって、明るい声色であった。
フォリオ様!
その行く先に、緑の髪の翼族の姿があったからだ。
きゅっ。どうしたのお、Olくん?
反射的に駆け寄ろうとするラディコの首根っこを、Olが押さえる。
悪いんだけどさ
パサリと翼を軽く開き、フォリオが言う。
その子、返してもらえないかな
奇妙なことだ、とOlは思った。このダンジョンの天井はそこまで高くない。せいぜいが十フィート(約三メートル)程だ。あのように翼を持った種族が活動するにはいささか狭すぎる。空を飛んでも手が届いてしまう高さでは、空を飛ぶ優位性が殆どない。
それはできんと言ったら?
Olはラディコをぎゅっと後ろから抱きしめるようにして、問う。
まあそん時は、仕方ないよね
フォリオの手のひらに炎が浮かび上がった。
アタシとしちゃ、上から言われた仕事をこなすだけだよ
それは瞬く間に巨大な火炎となって、Olに向かって投げ放たれる。Olが抱えたラディコもろとも、燃やし尽くすつもりだ。
チッ!
Olは空いた右腕でダンジョンキューブを取り出すと、見えざる迷宮(ラビュリントス)を操作し盾のように壁を作り上げる。壁に接触した炎は轟音を立てて爆発し、辺りに火花を撒き散らした。
正確に理解してきている。
Olはダンジョンキューブならば炎や毒も防げるとサルナークに豪語したが、それは半分、本当ではない。確かに防ぐことはできるものの、高温の炎というのはダンジョンキューブの弱点の一つであった。
火炎そのものは防げても、それが放つ熱までは防げないからだ。どんなに堅牢な壁で周囲を囲んだところで、膨大な熱の前ではそれはOlを焼き上げるカマドでしかない。
ラディコに使った蠍蜂も、これほど広く高熱を放つ炎の前では無意味だ。放った途端、全て焼き殺されるだろう。
随分と遠い位置で防いだね
次の炎を手のひらに浮かべつつ、フォリオは笑う。
やっぱりその壁、手動操作もできるんだ
フォリオ様!やめてよお!
ラディコが短い両腕を精一杯に広げ、Olをかばう。その姿を、フォリオは無関心な冷たい目で見やった。
すっかり誑し込まれちゃってまあ。悪いけどね、そんな部下はアタシにはいらないんだ
そして両手に作り上げた炎を、矢継ぎ早に投げ放つ。
ぬ、うっ!
その熱量は最大限遠く離した壁を隔ててさえ伝わってきて、それが更に加速していく。