ずっと暗い顔でうつむいているだけだった
聡子
典明氏は、呆然とした表情で妻を見る
あなたには申し上げておりませんでしたが、先ほど実家の父からわたくしに電話がございました
神崎さんから
ということは桜子さんの母親は、名家・神崎家の出身なんだろう
はい父は、わたくしにあなたと離縁をして、神崎家に戻るようにと
典靖も連れて帰るようにと命じられました
おいっ、典靖は狩野家の跡継ぎ息子だぞ
桜子さんには、弟がいるんだっけ香月家のパーティの時に聞いた
桜子さんは不倫の子でも跡継ぎ息子の弟は、典明氏と自分の息子だから
この奥さんは、これまで狩野家の当主の妻であることに堪えてきたんだろう
このまま、あなたの息子が狩野家の跡継ぎになれるはずがありませんわ
典明氏の妻は、大きな声で言った
分家の人たちが、そんなことを許すはずがないじゃありませんか
残念ながら、今は昔と違って暗愚な当主を座敷牢に閉じ込めておくことはできないからな君の息子を当主にしたら君が何かしらの影響力を持って、息子を操り、君を失脚させた分家や家臣たちに復讐するかもしれない皆、それを恐れているのだろう
では、わたしの後の当主は狩野家は誰が継ぐのですっ
典明氏は叫ぶ
さあな狩野家の連中の話を聞いて、わたしと香月が調整するよ当主の地位を追われた典明くんが気にすることではない
歌晏老人は、冷たくそう言った
では、典明くん君との面会は終わりだここから独りで帰りたまえ聡子くんは、このまま神崎家に送り届ける息子の典靖くんも、今頃はもう神崎家に着いている頃だろう
狩野家の分家や家臣たちは、典明氏を見捨てているのだから
典明氏が息子を抱き込んで騒ぎを起こす前に、神崎家に連れて行ったのか
待って下さい、わたしは何一つ納得できませんっ
典明氏は、歌晏老人にそう言うが
君との面会は終わったとわたしは言ったんだよおい、小僧ドアを開けてくれ内側からなら、ロックは自動的に解除される
歌晏さんが、オレに言う
オレは不知火父やレイちゃん、山田太一さんら警護役が待機している部屋へ通じるドアに向かい、ドアノブに手を掛ける
ちょっと待て、まだわたしは
オレに叫ぶ狩野典明氏の声を無視してドアを開く
電子ロックで施錠されていたドアは、簡単に開いた
そのまま、ドアを開けると
お話はお済みですか
歌晏老人の警護役桃子姉ちゃんがハンス・クリストファー・アンダーソンと呼んでいる山田太一さんがニコッとオレに微笑む
彼の足下には、不知火父の連れて来た黒服が3人とも失神して倒れていた
ああ、この人たちは藤宮さんに失礼なことをおっしゃったので、制裁しました
太一さんは、平然とそう言う
レイちゃんは、苦笑していた
ああテレビに出て国民的な人気者になっている藤宮麗華に対して、黒服たちが何か小馬鹿にするようなことを言ったんだな
それで山田太一さんが鉄拳制裁でノシた
不知火父が、恐縮して言う
この人が、臨時雇いの3人を制御できなかったからこういうことになった
黒服たちは臨時の雇い主の狩野典明氏がナメた臨時の上司である不知火父も、ナメられていたその延長でレイちゃんのこともナメたから、山田さんに制裁された
僕だから良かったんですよ僕は拳で殴るだけですから藤宮さんの鋼鉄のステッキで殴られたら、この人たち全員、頭が砕けてなくなっているところでした
そんなことは致しません
レイちゃんは苦笑して言う
不知火くん、悪いが典明くんだけ引き取って帰ってくれ
歌晏老人は、不知火父に言う
かしこまりました歌晏様
不知火父は、スッと頭を下げる
この3人は、わたくしの部下が外に叩き出させますわ
レイちゃんが気絶している黒服たちを見て、不知火父に言う
後々、面倒なことにならないようにちゃんとお話しておきますから
2度とフリーの警護人の仕事ができないように香月セキュリティ・サービスの裏の人間が脅しを掛けるということか
不知火父は、レイちゃんにも頭を下げた
さあ、典明様帰りましょう
い、嫌だわ、わたしはこんなことは認められない認められるはずがないじゃないですかわたしはわたしが狩野家の当主なんだぞ
大声で喚き出す
わたしは生まれた時から、狩野家を継ぐことになっていたんだ他の連中とは違うんだ特別な人間なんだわたしはこんなことで当主の地位を奪われるなんてこんなことは、あってはならないことなんだそうだろう、不知火
歌晏老人や妻には同意してもらえないことが判っているから典明氏は、自分の最後の臣下に尋ねる
残念ですが、典明様あなたの時代は終わりました
不知火父は言う
しらぬぃぃぃぃっ
わたくしが最後までお供致しますさあ、参りましょう
嫌だ、嫌だ、嫌だぁぁ
狩野典明氏は、子供の様に喚く
ところで典明くん
歌晏老人が、声を掛ける
ハッと振り向く典明氏
君は桜子くんに何か言うことがあるんじゃないのかね
歌晏老人の言葉に、部屋の中の全員が桜子さんを見る
狩野典明氏は、桜子さんを見ると
表情が憎しみの色に染まっていく
桜子、お前のせいで
典明氏が、そこまで言った瞬間オレは
正拳を典明氏の顔に叩き込んだ
護身術の一環としてどこを殴れば、確実に一撃で失神させられるかぐらいのことは、美智とイーディから教わっている
むへっ
ヘロヘロと力なく、床に倒れる典明氏
桜子さんが叫ぶが
大丈夫です今の殴り方なら失神するだけで、身体にダメージは残りませんよ
山田太一さんが、笑顔で言う
連れて行きたまえ不知火くん
歌晏老人が不知火父に促す
意識を取り戻した後でも暴れるようなら薬を使いたまえ
歌晏さん、薬なんかを使うよりも
巫女の力ちょうどヨミが隣の部屋に居る
いや、お前の力は隠しておけこういうことは、昔ながらの方法を使うべきだ
歌晏老人は寂しそうに言う
こういうことは、珍しいことではないのだよ愚かな当主が廃されるということは
ジッと気絶している典明氏を見る
狩野家が傾きだしたのは時代のせいだ先代の典明くんの父親は、プライドの高か過ぎる男だったが悪い男では無かった時代の流れの変化を見誤り、狩野家の財産の大半を失ってしまった
名家は減り続けている
100年隆盛を極めたまま続いていかなければ名家にはならないとジッちゃんは言っていた
まり子の家の鳥居家のような戦後に大きくなった家もあるけれど、まだまだ年月に磨かれてきていないと
逆に、数百年続いた名家でもその時の当主の失敗で、スッと消えてしまう家もある