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私は五十銭銀貨を一枚置いただけだったので、いたく驚いて涙がこぼれそうに感じているのだったが、踊子に早く追いつきたいものだから、婆さんのよろよろした足取りが迷惑でもあった。とうとう峠のトンネルまで来てしまった。

「どうもありがとう。お爺さんが一人だから帰ってあげてください」と私が言うと、婆さんはやっとのことでカバンを離した。

暗いトンネルに入ると、冷たい雫がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。

トンネルの出口から白塗りの柵に片側を縫われた峠道が稲妻のように流れていた。この模型のような展望の裾の方に芸人達の姿が見えた。六町と行かないうちに私は彼らの一行に追いついた。しかし急に歩調を緩めることもできないので、私は冷淡なふうに女たちを追い越してしまった。十間ほど先に一人歩いていた男が私を見ると立ち止まった。

「お足が早いですね。――いいあんばいに晴れました」

私はほっとして男と並んで歩き始めた。男は次々にいろんなことを私に聞いた。二人が話し出したのを見て、うしろから女たちがばたばた走り寄って来た。

男は大きい柳行李を背負っていた。四十女は小犬を抱いていた。上の娘が風呂敷包み、中の娘が柳行李、それぞれ大きい荷物を持っていた。踊子は太鼓とその枠を負うていた。四十女もぽつぽつ私に話しかけた。

「高等学校の学生さんよ」と、上の娘が踊子に囁いた。私が振り返ると笑いながら言った。

「そうでしょう。それくらいのことは知っています。島へ学生さんが来ますもの」

一行は大島の波浮の港の人たちだった。春に島を出てから旅を続けているのだが、寒くなるし、冬の用意はして来ないので、下田に十日ほどいて伊東温泉から島へ帰るのだと言った。大島と聞くと私はいっそう詩を感じて、また踊子の美しい髪を眺めた。大島のことをいろいろ訊ねた。

「学生さんがたくさん泳ぎに来るね」と踊子が連れの女に言った。

「夏でしょう」と、私が振り向くと、踊子はどぎまぎして、

「冬でも……」と、小声で答えたように思われた。

「冬でも?」

踊子はやはり連れの女を見て笑った。

「冬でも泳げるんですか」と私がもう一度言うと、踊子は赤くなって、非常にまじめな顔をしながら軽くうなずいた。

「ばかだ。この子は」と、四十女が笑った。

湯が野までは河津川の渓谷に沿うて三里余りのくだりだった。峠を越えてからは、山や空の色までが南国らしく感じられた。私と男とは絶えず話し続けて、すっかり親しくなった。荻乗や梨本なぞの小さい村里を過ぎて、湯が野の藁屋根が麓に見えるようになった頃、私は下田まで一緒に旅をしたいと思い切って言った。彼はたいへん喜んだ。

湯が野の木賃宿の前で四十女が、ではお別れ、という顔をした時に、彼は言ってくれた。

「この方はお連れになりたいとおっしゃるんだよ」

「それは、それは。旅は道連れ、世は情け。私たちのようなつまらない者でも、ご退屈しのぎにはなりますよ。まあ、上がってお休みなさいまし」と無造作に答えた。娘たちは一時に私を見たが、しごくなんでもないという顔で黙って、少し恥かしそうに私を眺めていた。

皆と一緒に宿屋の二階へ上がって荷物をおろした。畳や襖も古びて汚かった。踊子が下から茶を運んで来た。私の前に坐ると、まっ赤になりながら手をぶるぶる顫わせるので茶碗が茶托から落ちかかり、落すまいと畳に置く拍子に茶をこぼしてしまった。あまりにひどいはにかみようなので、私はあっけにとられた。

「まあ! 厭らしい。この子は色気づいたんだよ。あれあれ……」と四十女が呆れ果てたというふうに眉をひそめて手拭を投げた。踊子はそれを拾って、窮屈そうに畳を拭いた。

この意外な言葉で、私はふと自分を省みた。峠の婆さんにあおり立てられた空想がぽきんと折れるのを感じた。

そのうちに突然四十女が、

「書生さんの紺飛白はほんとにいいねえ」と言って、しげしげ私を眺めた。

「この方の飛白は民次と同じ柄だね。ね、そうだね。同じ柄じゃないかね」

傍の女に幾度も駄目を押してから私に言った。

「国に学校行きの子供を残してあるんですが、その子を今思い出しましてね。その子の飛白と同じなんですもの。この節は紺飛白もお高くてほんとうに困ってしまう」

「どこの学校です」

「尋常五年なんです」

「へえ、尋常五年とはどうも……」

「甲府の学校へ行ってるんでございますよ。長く大島におりますけれど、国は甲斐の甲府でございましてね」

一時間ほど休んでから、男が私を別の温泉宿へ案内してくれた。それまでは私も芸人たちと同じ木賃宿に泊ることとばかり思っていたのだった。私たちは街道から石ころ路や石段を一町ばかりおりて、小川のほとりにある共同湯の横の橋を渡った。橋の向こうは温泉宿の庭だった。

そこの内湯につかっていると、後から男がはいって来た。自分が二十四になることや、女房が二度とも流産と早産とで子供を死なせたことなぞを話した。彼は長岡温泉の印半纏を着ているので、長岡の人間だと私は思っていたのだった。また顔つきも話ぶりも相当知識的なところから、物好きか芸人の娘に惚れたかで、荷物を持ってやりながらついて来ているのだと想像していた。

湯から上がると私はすぐに昼飯を食べた。湯が島を朝の八時に出たのだったが、その時はまだ三時前だった。

男が帰りがけに、庭から私を見上げて挨拶をした。

「これで柿でもおあがりなさい。二階から失礼」と言って、私は金包みを投げた。男は断わって行き過ぎようとしたが、庭に紙包みが落ちたままなので、引き返してそれを拾うと、

「こんなことをなさっちゃいけません」とほうり上げた。それが藁屋根の上に落ちた。私がもう一度投げると、男は持って帰った。

夕暮からひどい雨になった。山々の姿が遠近を失って白く染まり、前の小川が見る見る黄色く濁って音を高めた。こんな雨では踊子たちが流して来ることもあるまいと思いながら、私はじっと坐っていられないので二度も三度も湯にはいってみたりしていた。部屋は薄暗かった。隣室との間の襖を四角く切り抜いたところに鴨居から電燈が下がっていて、一つの明かりが二室兼用になっているのだった。

ととんとんとん、激しい雨の音の遠くに太鼓の響きがかすかに生まれた。私はかき破るように雨戸を明けて体を乗り出した。太鼓の音が近づいて来るようだ。雨風が私の頭を叩いた。私は眼を閉じて耳を澄ましながら、太鼓がどこをどう歩いてここへ来るかを知ろうとした。間もなく三味線の音が聞こえた。女の長い叫び声が聞こえた。賑やかな笑い声が聞こえた。そして芸人たちは木賃宿と向かい合った料理屋のお座敷に呼ばれているのだとわかった。二、三人の女の声と三、四人の男の声とが聞き分けられた。そこがすめばこちらへ流して来るのだろうと待っていた。しかしその酒宴は陽気を越えてばか騒ぎになって行くらしい。女の金切り声が時々稲妻のように闇夜に鋭く通った。私は神経を尖らせて、いつまでも戸を明けたままじっと坐っていた。太鼓の音が聞こえるたびに胸がほうと明るんだ。