それでも、何とか耐えようとしていた理性は、アレクセイの登場により崩壊しようとしている。アレクセイとアイリーンの間に割って入りたい。自分だけを見ていて欲しい。もっとアイリーンと話していたい。そんな衝動的な欲求に、身を任せたくなる。だがその直後に、こうも思ってしまうのだ。
(俺は本当に、アイリーンが『好き』なんだろうか)
アイリーン、もといアンドレイとは、二年前からの付き合いになる。お互いに廃人で、仮想空間の中とはいえ、多くの時間を楽しく過ごしてきた。
しかし、それはあくまで『友人』としてだ。親密ではあるが、良くも悪くも、それだけの関係。ケイは、アンドレイのことを、ずっと男だと思っていた。
それが、『こちら』に来て、女の子だと分かって―。
だからといって、十日と経たずに、急に『好き』になるのは如何なものか。
(……結局、それは、身体目当てなんじゃないか……)
突き詰めていくと、そういう結論に、辿り着かざるを得ない。
う~ん……
眉間にしわを寄せて、急に難しい顔で考え始めるケイ。
…………
ダグマルとピエールは再び顔を見合わせて、小さく肩をすくめた。
†††
日が、とっぷりと沈むころ。
夕暮れまでに次の村に辿り着けなかった隊商は、街道の路肩に馬車を寄せて、野営の準備を進めていた。
この辺りは木々の密度も薄いし、それほど危険な獣もいない。が、だからこそ人間に関しては分からんからな……
夜番は、気合を入れていこう。皆を三組に分けて、ローテーションで三か所に一人ずつでいいと思うが
ホランドやダグマルなど、主だった者が集まり、今夜の番について話し合っている。横目でそれを見ながら、ハンマーを片手に、ケイは粛々とテントの設営を行っていた。
さて、今日はオレも流石に番をするのかな?
ケイがロープを結ぶ間、反対側から布地を支えながら、心なしかワクワクしたような顔でアイリーンが言う。
昨晩は村の中で野営をしたので、比較的安全だということで、夜の番は少人数で行われた。ケイは運悪くそれに当たってしまった一人だが、アイリーンは朝までたっぷりと睡眠を取れたようだ。しかし、それはそれで、本人としては不満足だったらしい、夜番があるかも、と期待する無邪気な表情は、まるでキャンプに来た子供のようにも見える。
アイリーンは変わらないな、と和んだケイは、穏やかな笑みを浮かべて首肯した。
旦那らの話を聞く限りだと、今晩は増員するみたいだからな。ま、昨日グースカ寝てた分、キツいのを回されるんじゃないか?
ゲエー。そいつは勘弁!
朗らかに笑いながら、テントを張り終える。ぱんぱん、とマントの裾をはたいて立ち上がったケイは、
さて、と……。んじゃあそろそろ飯かな。マリーの婆様は―
ヘイ、アイリーン!!
威勢のいい呼びかけに、ケイの言葉は上書きされた。
やはり来たか……とうんざりした様子で振り返るケイ。その隣で、 オイヨイヨイ…… と一瞬天を仰ぐアイリーン。
то ты будешь делать сегодня вечером?
良い笑顔でテンション高めにやってきたのは、案の定アレクセイだった。
Ничего делать …
Серьезно? В противном случае, в первую очередь мы будем есть вместе―
楽しげなアレクセイに、それに合わせて笑顔のアイリーン。そしてそれを前に憮然とするケイと、三人を遠巻きに見守る隊商の面々と。
―それじゃあまあ、ローテーションはこんなところか
そうだな。盗賊は恐ろしい、用心するに越したことはない……
相変わらず、夜番について話し合うホランドたち。その会話を聞き流しつつ、そっぽを向いて焚き火の炎を眺めていたケイであったが、ゆらゆらと揺れる影を見ているうちに、ちょっとしたアイデアと、ささやかな悪戯心が芽生えた。
…………
にやり、と意地の悪い笑みを浮かべて、アイリーンに向き直る。
『なあ、アイリーン。話し込んでるところを済まないが、ちょっといいか』
うぇっ?
アレクセイに構わず、強引に話に割り込んできたケイに、アイリーンはぱちぱちと目を瞬かせた。
『もちろんいい、けど……』
困惑の表情、
『……でも、なんで精霊語(エスペラント)?』
自分もエスペラント語で返しながら、アイリーンが首を傾げる。前にもこんなやり取りあったな、と苦笑いしつつ、ケイは腕を組んだ。
『うむ。というのも、魔術の話題だから、他人にはあまり聞かれたくなくてな』
『ああ、そういうこと。あっ、そういえばエッダに魔法見せてあげるんだった……』
完全に忘れてたぜ、と言わんばかりに、ペシッと額を叩くアイリーン。視界の端、唐突に始まった異言語の応酬に、目を白黒させているアレクセイが、ケイの瞳には小気味よく映った。
『まあ後でいいや。それで?』
『そうだな、エッダの話にも関連するが、お前の魔術に関してだ』
表情を真面目なものに切り替えて、ケイは話を切り出す。思い付きではあるが、ただのアレクセイに対する意趣返し、というわけでもないのだ。
『なあ、アイリーン。お前のケルスティンで、夜番の代わりというか、警戒用のセンサーみたいな術って使えると思うか?』
『……ふむ』
ケイの問いかけに、指先で唇を撫でながら、しばし考え込むアイリーン。
『……ゲーム内なら NO だったが……この世界だと分からない。できるかも知れない、とは思うな』
『うーむ、やはりそうか。俺も同意見だ』
『何か、こっちに来てから、精霊が賢くなった気がするんだよなー。ケルスティンの思考の柔軟性が上がったというか』
『だな、俺のシーヴも、心なしか素直になった気がする』
うんうん、と二人で頷き合う。
DEMONDAL の魔術は、他ゲーに比べると少々異質だ。日本人にとっては、“魔術”と言うよりもむしろ、“召喚術”と呼んだ方がしっくりくるかも知れない。術を行使する主体がプレイヤーにではなく、契約精霊にあるのがその特徴だ。
ゲーム内においては、まず”精霊”と呼ばれるNPCが存在し、プレイヤーは特定の条件をクリアすることで精霊と契約できるようになる。契約を交わした暁には、魔力や触媒を捧げることで、精霊に力を『行使してもらえる』ようになる、というのが基本的なシステムだ。
ゲーム内では、この仕様はよく、『職人』と『客』の関係に例えられていた。『職人』が”精霊”で、『客』が”プレイヤー”、『客』が支払う『代金』が”魔力”だ。