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まことに、良い曲、じゃ。……しかし、一度も聴いたことがない。平原の民の歌、なんじゃろう?

う~ん、平原の言語の歌だけど、雪原の民に伝わる歌だ。……遥かな昔、霧の彼方より現れた異邦人(エトランジェ)が、我が一族に遺していったと聞く

……霧の彼方?

……エトランジェ?

ああ。一口に『北の大地』と言っても、色々あるんだよ

興味津々な二人に気を良くしたのか、得意げな顔をしたアレクセイは、焚き火から燃えさしの枝を取って、地面に地図を描き始めた。

北の大地―って呼ばれてるけど、公国から見て北、って意味だからな。北の大地も東西南北で分けられるのさ。北は、延々と果てしなく雪原の続く、白色平野。夏でも雪は溶けず、その果てまで辿り着いたものはいないと言う。南、というか中央は、いろんな部族が集まってる。冬は寒いが、まあ悪くない土地だ。西は、海に近くて、かなり住み易い。塩もあるし、魚も獲れるし、交易だってできる。雪原の民同士で取り合いが起きるくらい、いいところさ。そして、東―

簡単な地図の東側を、さっと丸く囲った。アレクセイは声をひそめ、

ここは、魔の森と呼ばれている……年がら年中、いつ行っても、霧が立ち込めている不気味な森なんだ……

今までの陽気な調子とは打って変わって、おどろおどろしい声色の語りに、エッダがはっと息を呑んだ。

賢者の隠れ家……悪魔の棲む森……いろんな呼び名があるけどな。一つ確かなのは、ここが本当に、ヤバい場所だってことだ……

……どう、どうヤバいの?

恐れ慄くようなエッダに、難しい顔をしたアレクセイは、しばし呼吸を溜めてから話し始める。

……これは、俺のじい様から聞いた話だがな

まるで寒さを堪えるように、二の腕をさすりながら、

じい様が若かったとき……、やっぱりほら、男だからよ。自分の勇敢さとか、そういうのを証明したくなったらしい。十歩入れば気が狂う、とまで言われる霧の中にどれだけ入っていけるか、試してみようとしたらしいのよ。

だが、じい様は、魔の森のヤバい噂は色々と聴いててな。やれ、方向感覚を失わせる火の玉だとか……やれ、人間の声を真似て道を誤らせようとする化け物だとか……そういうのに対抗するために、せめて道にだけは迷わないようにって、ロープを持っていくことにしたんだと

アレクセイは、ひも状の何かを腰に巻きつける動作をして見せた。

こうやって腰にロープを巻いてさ。もう片方は、森の入口の木に、がっしり縛り付けておく。そうすれば、ロープの長さの分は、中に入って戻ってこれるって寸法よ。念には念を入れて、何重にも木の幹に片方のロープを巻き付けて、準備は万端、じい様は霧の中に入っていった……

祈るように手を組んで、アレクセイはしばし黙り込む。

だが……それは、入ってすぐのことだった

ごくり……とエッダが生唾を飲み込んだ。

なんと俺のじい様は……入ってすぐだってのに、小便がしたくなっちまったらしい

……えっ?

だから、小便。漏れるほどじゃあねえが、何だか気になる。って、そんな感じだったらしい。でもよ、泣く子も黙る魔の森で、立ち小便するほど俺のじい様は馬鹿じゃねえや。入ってすぐだったってこともあるし、とりあえずロープを辿って入口まで戻ることにしたのよ。それで、何の問題もなく、霧の外まで出て、さあ小便を……ってところで……、じい様は気付いちまった……

すっと、薄青の瞳が、エッダを見据える。

あれだけ……念には念を入れて、硬い結び目で何重にも括りつけてたロープがよ……ほどけてたんだと。まるで、手品みたいにな……

…………

もちろんじい様は一人だった……十歩も行かず、入って、戻っただけだぜ? 周りには自分以外、人(・)っ(・)子(・)一人いやしねえ……それだけでもチビりそうだったのに、じい様は、さらに妙なモノに気付いちまったんだ……

……なに……?

なんだかよ。結ったばかりの新品のロープが、ひどく黒く薄汚れて見えたんだと。それで手にとって、よく見てみたら……

アレクセイは、指の隙間を三センチほど開けて見せた。

こんぐらいの大きさの……手形が、びっしり……まるで手の汚ねぇ小人が、それで遊んでたみたいにな……

……!

しかもその手形……結びつけてた部分だけじゃなかった……よくよく見れば、ほどけた先から、辿って……辿って……自分が腰につけてる方まで、びっしり……それでじい様は、『まさか!』と思って、腰のロープを急いでほどいたんだ。すると……

……、すると……?

案の定……、腰んとこまで、手形は辿り着いてやがった……。急に、恐ろしくなったじい様は、もう死に物狂いで、着てた革鎧を脱ぎ棄てた……そしたらよ、

アレクセイの瞳は、まるで死んでいるようだった。

鎧の。背中一面。手形がびっしり。ぺたぺたぺたぺた、ぺたぺたぺたぺた……

…………

じい様は言ってたよ。あの時もし、小便に戻ってなかったら……全身に手形をつけられてたら、自分はどうなってたんだろう、って……

…………

ぱちっ、と焚き火の小枝が、爆ぜた。

……それ、ほんとなの……

消え入りそうな声で、エッダが尋ねる。アレクセイは真顔で、 ああ と頷いた。

これに関しては、与太話でも何でもねぇ。少なくとも『手形』は本当にあった話だ。なんで断言できるかっつーと、俺も現物を見たからだ。俺のじい様は、勇敢にも、そのロープと革鎧を家まで持って帰ってきたんだよ

えっ

気味が悪過ぎて何度も捨てようかと迷ったらしいが、これがないことには証拠にならねえから、と気合で家まで運んだらしい。途中で恐ろしい目にもあったらしいがな……まあ、それはまた今度にしておくとして

もっ、もういい! もういいよ!

泣きそうな顔で、ぷるぷると首を振るエッダ。

まあ……そういうわけで、魔の森はマジでヤバい。踏み入った者の半分は、帰ってこねえ。帰ってきたとしても、大抵のヤツは頭がおかしくなっちまってる。霧の中は、化け物や、この世ならざるものが、ウヨウヨしてんのさ……

アレクセイはぶるりと体を震わせた。

だから俺も、霧の中にだけは、絶対に立ち入らねえ。この世ならざるものなんて……どうやって太刀打ちすりゃいいんだか……恐ろしい。……っつーわけで。ってか、なんでこんな話になったんだっけ

霧の……エトランジェの話じゃなかったかの?

あっ、そうだそうだ、そうだった!

ハイデマリーの指摘に、ぱんっと膝を打ってアレクセイ。今までの空気を払拭するように、つとめて明るい声を出す。

まーそれで、魔の森な。あれの唯一の良いところは、中の化け物どもが外に出て来ねえってとこだ。裏を返せば、霧の中から出て来る奴は、化け物じゃあない、多分。言い伝えによると、『入ってないのに出てくる異邦人』ってのがいるらしい。どこか、遠いところから、霧の中に紛れ込んじまった奴ってのがな……