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アイリーンに嫌われたくない、というのだけは確実だが……。

考え込んでいるうちに、野営地の方から賑やかな声が聴こえ始める。

見れば、いつの間にか、太陽が顔を出していた。思ったよりも時間が経っていたらしい。もう一度溜息をついて、ケイは重い腰を上げる。

(……どんな顔をして会えばいいのか、分からなくなってきた)

この頃、―いや、この世界に来てから、ケイはアイリーンとの距離を測りかねている。しかし、今日はそれが一段と酷くなりそうだった。

朝日を受けて、川の水面がきらきらと輝く。

しかし、その煌めきはただただ眩しいだけで。

美しさとして楽しむ余裕は、今のケイにはなかった。

†††

野営地に戻ると、アイリーンは既に目を覚ましており、 グッモーニン、ケイ! といつもと変わらぬ様子で、愛嬌たっぷりに挨拶してきた。

その、『変わらない感じ』にホッとしつつも、不安感は完全に拭いきれず、ケイはどこかぎこちなく おはよう と返してしまった。アレクセイが話しかけてきたのを良いことに、どうにかこうにか、誤魔化したが。

軽い朝食を摂ってから、隊商は再び出発した。

ホランド曰く、早目に次の村を通過し、今日中に湖畔の町”ユーリア”に辿り着くのが目標らしい。

ケイはというと、昨日と同じように、最後尾のピエールの馬車の横でサスケの手綱を握っている。前方には相変わらず、スズカに跨るアイリーンと、それについて歩きお喋りをするアレクセイの姿があった。

…………

ケイはただ、黙って、それを見ていた。

次の村に到着したのは、出発してから二時間後のことだ。

昼前の、中途半端な時間帯。村人との商売のために、軽く一時間ほど滞在するそうだが、ピエール曰くこの村は『美味しい』商売相手ではないらしい。村に滞在するのも、物流のための慈善事業のようなもので、用事が終わり次第すぐに出発するとのことだった。

当然、村に居る間は、護衛たちの休み時間となるわけだが―ケイは、ダグマルに許可を取り、“竜鱗通し(ドラゴンスティンガー)“片手に、近くの原っぱに出かけることにした。

ケイ、どこに行くんだ?

……ちょっと、昼飯の準備で、狩りにな。弓も使わないと腕が鈍る

サスケに跨ろうとしたところでアイリーンに見咎められたが、動揺を悟られないように極力素っ気なく答えて、さっさと村を出る。

あまり時間をかけると、隊商の皆を待たせてしまうかもしれないので、野兎三羽と大型の鳩に似た鳥を一羽仕留め、手早く血抜きを済ませてから村に戻った。

アイリーンは、アレクセイと話をしているのではないか、と予想していたケイであったが、どうやら木陰で寝転がって昼寝をしているようだ。アレクセイは川べりで暇そうに、村で買ったらしいビワに似た果物を食べている。独りで出掛けたのは自分のくせに、その事実に少しホッとしながら、ケイはハイデマリーに狩ってきた獲物を手渡した。

……どうした、ケイ。シケた面してんじゃねえか

手持無沙汰になって、サスケの傍でぼんやりとしていると、赤い顔をしたダグマルが陽気に話しかけてくる。その手には小さめの壺、近くに寄ってみれば微かに酒臭い。どうやら葡萄酒を直呑みしているらしい。

まだ昼にもなってないぞ、いいのか、そんなに呑んで

なぁに、かまやしねえ。どうせすぐにユーリアに着くしな。それに、ここらは盗賊も獣も出ねえんだ

……馬から落っこちても知らんぞ

そこまで酔っ払いはしねえよ

ガッハッハ、と大笑いするダグマル。しかしその言葉とは裏腹に、そこそこ出来あがっているようにも見える。それほど酒には強くない体質なのか。

(酔っ払いの相手は面倒なんだがな……)

さりとて、他にやることもなし。ケイはダグマルの話に付き合うことにした。

で、ケイ。お前、ユーリアじゃ一発『買う』つもりかい?

……何をだ?

何、って。……そりゃナニをだよ

怪訝な顔をするケイに、ぐへへと下衆な顔で笑うダグマル。しかし、いつまでもケイが察さず、きょとんとしたままなので、呆れたように天を仰いだ。

なんだオメエ、知らねえのか。ユーリアといえば、屈強な船乗りや傭兵が集まる町だ。男が集まる所にゃ、女も集まる。……色街だよ、色街!

ここにきて、ダグマルの『買う』という言葉に合点がいく。

……なんだって急に、そんな話を

平静を装って返すも、興味がゼロといえないのも、ケイの辛いところだ。

別に急でもねえよ、みんな楽しみにしてるぜ? お前も、色(・)々(・)と(・)溜まってるだろうからよ、先輩の親切心よぉ

ぐへへへ……と意味深に、アイリーンが昼寝している方向を見やって、ダグマルが再び下衆な顔で笑いかけてきた。

……いや、いいよ。気持ちはありがたいが

冷静に考えると、病気とかも怖いし―と、口には出さないでおいたが、丁重にお断りする。

上玉の揃ってる、良い宿を知ってるんだが……

俺には、必要のないことだ。気にしないでくれ

そうか……

くい、と葡萄酒の壺を傾けたダグマルは、ケイに憐れむような目を向けた。

薄々そうじゃないか、とは思ってたがな。お前やっぱりアレか、不能(インポ)か

それは違うッ!

その後、やたら絡んでくるダグマルと言い合いをしているうちに、出発の時間となった。

†††

村を出てから数時間、昼食の休憩を挟みつつ、隊商は一路ユーリアへと向かう。

北に向かって進むごとに、地形は徐々に起伏のあるものへと変わっていく。草原は平野に、平野は丘に、モルラ川も緩やかに蛇行を始めた。

ダグマルはやはり酒に弱いらしく、馬の上でフラフラになっていたが、その言葉の通り旅路に支障はないようだ。日が傾く頃には、一行は湖畔の町ユーリアに到着した。

ユーリアの特徴は、なんといっても隣接しているシュナペイア湖だろう。サティナから流れてくるモルラ川と、ウルヴァーンから流れてくるアリア川。その二つが交わる交通の要所であり、物資の一時的な集積地、及び船乗りや商人に対する歓楽街として機能している。

町としての性格上、サティナに比べると開放的で、堅固な城郭などは擁していない。また、歓楽街が町の大部分を占める上に、衛兵の数も少ないので、治安はそれなりに悪いようだ。

だが、湖のそばの岩山に領主が城を構えており、城壁の中にはユーリアの騎士や傭兵が詰めているそうで、有事の際への備えは万全とのこと。

それじゃあ、明後日の昼、十二時の鐘が鳴る時に、この広場に集合だ。解散!

町はずれの広場。ホランドの声を受け、がやがやと傭兵たちが町に散っていく。隊商は、ユーリアに二日間滞在する予定だ。その間は各自宿屋に泊ることとなり、今回の場合、宿泊費は自腹となる。