それを聞いて、嘆息とも、溜息ともつかぬ呼気が、ケイの口から洩れる。
ゲーム内で、ケイが”NINJA”アンドレイと出会ったのは、今から2年ほど前のことだ。
最初に近づいてきたのはアンドレイの方だった。生粋の忍者スキーであるアンドレイは、ケイが『日本人である』というだけで、なんとなく興味を持って接触してきたのだ。
話してみれば意外に意気投合し、互いにソロプレイヤーであったこともあり、それ以来何かと一緒につるんできた。しかし、
女だったとは、なあ
その中の人が異性であるとは、ついぞや考えたこともなかった。
―女々しい野郎だ、とは常々思っていたが。
でも、なんでわざわざ男キャラ使ってたんだ?
そりゃあ女キャラだと筋力低いし。NINJAするなら、男の方がいいかな、って……
たしかにな
昨今のゲームでは珍しいことだが、 DEMONDAL においては、男女のアバターに明確な能力差が存在する。
基本的に、男キャラの方が身体能力全般に優れており、対して、女キャラは手先の器用さに補正がかかる代わりに、筋力などのステータスが伸びにくい。
つまり、純粋な戦闘職を選ぶならば、男キャラの方が明らかに有利な仕様というわけだ。女キャラは本来、細工などの生産系で本領を発揮するが、大工などでは筋力も要求されるので、女キャラならば生産全てに向いている、とはいえない。
もちろん、キャラクターの種族や血統によってはその限りでなく、また女キャラにのみ高い適性を示す魔術なども存在するが、何処となく不平等感が漂うのは事実だ。
このアバターの性能差は、ゲーム内外で様々な議論を呼んだが、結局 DEMONDAL の運営会社がそのスタンスを変えることはなかった。下手な平等主義で世界観を歪めることはせずに、あくまでリアリズムに徹したのは、 DEMONDAL らしいといえばらしい選択といえよう。
余談だが、男キャラにも弱点はある。
股間に攻撃がヒットすると大ダメージを受け、高確率で気絶(スタン)状態になってしまう。ちなみにこれは他の人型モンスターの雄にも有効だ。
あと、わざわざ女だってバラしても、良いこと無いだろうし。だから黙ってたんだ
なるほど。既に『アンドレイ』のときから人気だったしな、お前。中身が女だってバレたら、もっと面倒なことになっていただろう……
……よしてくれ
ケイの言葉に、心底気持ち悪そうな顔を浮かべる少女。
端正な―というより、耽美系の顔立ちをしていた『アンドレイ』が、その道の諸兄らから根強い支持を受けており、ファンクラブまで存在していたのは DEMONDAL では有名な話だ。
祭り上げられた本人は迷惑そうにしていたが、キャラを作り直して雲隠れしようにも、既に結構育ててしまったあとだったので、やむなく育成を続行したらしい。
……それにしても
目の前の金髪忍者ガールを眺めながら、ケイはしみじみと、
今の姿だと、アンドレイって呼ぶのはやっぱり違和感があるな……
その言葉に、少女は渋い顔をした。
……『アイリーン』
ん?
『アイリーン』。オレのホントの名前
ちら、と少女―アイリーンは、顔を上げてケイに視線を合わせた。
アイリーン……か
青色の瞳を、見つめ返す。
小柄で華奢な体躯に、すっと通った鼻筋。
猫科の動物を思わせる、釣り目がちな瞳。
艶やかな金髪は長く伸ばされ、邪魔にならないよう、後頭部で束ねてある。
(こうしてみると、『アンドレイ』の面影もあるな……いや、『アンドレイ』が『アイリーン』に似せてあるのか)
キャラメイクのときに、無意識に自分の姿を投影してしまったのか。
……あんまりジロジロ見るなよ
などとケイが考えていると、アイリーンは顔を少し赤くして目を逸らしてしまった。
あ、すまん
なあ。……ケイは、どうなんだ?
……どう、とは?
名前とか
ああ。俺の名前は、『圭一』だよ。ケイイチ
枯れ枝を手にとって、地面に『KEIICHI』と書いた。
ケイチ?
んー。ちょっと違うな、ケイイチ、だ
ケ、イ、チ
ゆっくり言っただけじゃねえか。ケ、イ、イ、チ
ケェ、イィ、チ
あー、まあそんな感じ
……言いにくい。ケイの方がいい
ばっさりと本名を否定するアイリーン。同じ母音が連続する『ケイイチ』は、外国人には発音し辛いだろうな、とケイも思う。
別に俺は『ケイ』でいいよ。呼びやすい方で呼んでくれ
リアルでもそう呼ばれてたし―という言葉は、呑み込んだ。
焚き火の炎に視線を落したまま、再び沈黙が訪れる。
何を話すべきなのか。考えが、うまくまとまらない。
ゆらめく炎を眺めていると、全てがどうでもよく思えてしまう。思考を停止させたままでいるのが、心地よい。
ふと顔を上げると、アイリーンはぼんやりとした表情で、両足のふくらはぎをむにむにと揉み解している。焚き火の明かりを照り返す、艶やかな金髪を眺めていたケイであったが、それに気付いたアイリーンがちらりと視線をよこした。
……ケイは全然、顔変わってないんだな。……元から、そういう顔、なのか?
少し遠慮がちに、しかし好奇心には勝てなかった、といった様子で、アイリーンがおずおずと尋ねてきた。
顔か……
ぺたりと、自分の頬を撫でる。先ほど、腰の短剣を鏡代わりに確認しようとしたが、思ったほど刃がピカピカではなかったので、ぼんやりとしか見えなかった。
それでも、アイリーンが『変わっていない』というのなら、そうなのだろう。きっと、ゲーム内での『ケイ』の顔のままなのだ。
しかし、それが実際の顔なのか、と聞かれると。
……分からない。リアルでは、鏡なんてもう何年も見てないからな……
えっ
遠い目で呟いたケイの言葉に、アイリーンがぎょっとした顔で硬直する。
“死神日本人《ジャップ・ザ・リーパー》”、弓使いのケイ。
死神の異名をとるほどの、恐るべき弓の腕前で知られるケイだが、それと同時に DEMONDAL で指折りの廃プレイヤーとしても有名だ。
事実、準廃人のアイリーンから見ても、ケイの廃人っぷりは半端ではない。ログインしたときに、ケイがいなかった試しがないのだ。
二十四時間ぶっ通しでログインし続けている、という噂も、あながち嘘ではないのかもしれない、と。アイリーンも、薄々そうは思っていたのだが―
そうは思っていたのだが、年単位で鏡を見ていないレベルとなると。
そっ、そうか……
笑顔が引きつり、目が泳ぎだすアイリーン。一気に挙動不審になる彼女に、ケイは思わず苦笑いした。
(……まあ、そうなるよな)
ケイのあまりの廃人っぷりに引いてしまったのか。
それとも、こ(・)ち(・)ら(・)の(・)事(・)情(・)を察して、思い切り地雷を踏んでしまった、と動揺しているのか。