何かが『あった』訳ではないが、『あろう』とはしているな
ほう
遠回しなケイの物言いに、興味深げなダグマルはそれでも黙って続きを待つ。
アレクセイが、アイリーンをデートに誘うつもりのようだ
そいつはまた
だが幸(・)い(・)な(・)こ(・)と(・)に(・)、奴はまだアイリーンと接触できていない
……指を咥えて見逃すつもりはない、ってことか?
さも愉快、と言わんばかりにダグマルは笑みを濃くした。湖の神殿を見据えたまま、ケイは厳しい面持ちで ああ と頷く。
今まで色々と、小難しいことを考えていたが、アレクセイを見ていたら馬鹿馬鹿しくなってきてな……俺だってアイリーンと仲良くしたいし、一緒に居たいと思う。だから、俺も馬鹿になることにした
うむ、いいんじゃないか
ダグマルのニヤけ面は、いつもよりも優しげだった。
……だが、その前に一つ、問題があってな
腕組みを解いて、ケイはダグマルに向き直る。
ダグマル、相談事があるんだが、いいだろうか
おうよ。色恋沙汰と借金に関してなら、これでも経験豊富だぜ? 何でも来いよ
そいつは頼もしいな、ありがとう。実は昨日、アイリーンを怒らせてしまったんだが……ここは素直に謝った方がいいかな。それとも、蒸し返すようなことはせず、別の事でフォローした方がいいか?
……何で怒らせたかによるな
別の女の裸につい目を奪われてな……
ああ……。まあ、素直に謝っとけ。つべこべ言わずに、ストレートにな
分かった
感謝の念を込めて目礼したケイは、ぱしんと頬を叩いて、 よし! と自身に発破をかける。
それじゃあ、行ってくる
よしよし、頑張ってこい。……が、時にケイ、何かプランはあるのか?
……取り敢えず、あの神殿とやらに行ってみようかと
俺も興味あるしな、とケイは肩をすくめて答えた。
そうか。それなら、後であっちの船着き場に行くといい。赤い屋根の小屋に、格安で手漕ぎボートを貸してくれる爺さんがいる。ダグマルの紹介だとでも言っとけ
……ありがとう。耳寄りな情報、恩に着るよ
なぁに
手をひらひらとさせたダグマルは、バンッとケイの背中を叩き、そのままくるりと背を向けた。
幸運を祈る。結果報告、待ってるぜ
楽しみにしておいてくれ
笑顔でそう返し、ケイも歩き出した。
―まずは会って、話はそれからだ。
そもそもアイリーンが、まだ宿屋にいるか分からない。いざとなればエメラルドの使用も辞さないつもりだが―最近ロクな魔法の使い方してないな、とケイは苦笑いした。
ひょっとしたら、既にアレクセイに誘われているかも……と考えると、自然に足が速くなる。
来た道をそのまま引き返し、勝手口からコソコソと、足音を消して宿に戻った。
酒場ではまだ、見習い達がどんちゃん騒ぎを繰り広げているようだ。その中には、アレクセイの声も混じっている。どうやらアイリーンはまだ部屋から出てきていないらしい。
ゆっくりと階段を上り、緊張の面持ちで、アイリーンの部屋の前に立つ。
コンコンッ、と少し強めにノックした。
アイリーン。いるか
しばし待つ。
…………
返事はない。
アイリーン、話があるんだ
もう一度ノック。
アイ―
言いかけたところで、ガチャッとドアが開く。
何
無表情のアイリーンが、ドアの隙間からぬっと顔を出した。
じろり、とこちらを睨(ね)め付ける青い瞳に、一瞬だけたじろいだケイであったが、咳払いして姿勢を正す。
……昨日は、すまなかった。ごめん
ケイの言葉に、アイリーンの顔が、無表情から不機嫌にシフトした。
……話って、それだけかよ
いや、
ぽりぽりと頬をかき、泳ぎそうになる目を、努めてアイリーンに合わせる。
知ってるか。ここの湖の真ん中に、水の精霊を祭った神殿があるらしい
……聞いたことがある
なんでもその神殿には、三回鳴らしたら願いが叶う、っていう触れ込みの鐘があるそうだ。今日は天気もいいことだし、その―
ぴん、と空気が張り詰めるような錯覚、
―一緒に、行かないか
アイリーンは黙ったまま、口をへの字にした。
……二人で?
ああ、二人で、だ
ん……
ドアにもたれかかって腕を組み、そっぽを向くアイリーン。
やがて、顔をしかめたままニヤける、という離れ業を披露した彼女は、
……いく
そう言って、小さく、頷いた。
†††
行く準備をする、ということで、ケイはしばし部屋の外で待たされる。
といっても、数分後には出発となったのだが、部屋から出てきたアイリーンは 鏡があればいいのに と小さくボヤいていた。
下では相変わらずアレクセイ達が騒いでいるので、気配を殺して裏口から外に出る。
ついでに買い食いもしようぜケイ
賛成だ。実は起きてから何も食べてない
オレは干しレーズン食べたけど、さすがにちょっとお腹空いた
目抜き通りをぶらぶらと歩き、屋台や露店を見て回る。チーズを包んだそば粉のクレープ(ガレット)、切り売りされていた生ハムを塊ごと、口当たりの爽やかな甘めのりんご酒(シードル)に、ビワやさくらんぼなど旬の果物をどっさり。目についた美味しそうなものを、片っぱしから買い込んでいく。
あ、ところでケイ
うん?
……サンドイッチありがと
……おう
そんなことを話しながら。
荷物持ちはケイの役目だが、大通りを抜ける頃には、買い込んだ食料品は一人では持ち切れないほどの量になっていた。
俺たちはどうやら、かなり腹が減っていたらしい
買い食いってレベルじゃねえなコレ……下手したら一日しのげるぜ
何処で食べる?
ケイの問いかけに、アイリーンは顎に手を当てて うーん と唸った。
……せっかくだし、湖を見ながら食べたいな
そうだ、そういえばボートがあったな
そう考えたケイは、ダグマルに教えてもらった通り、町外れの船着き場に向かう。そして赤い屋根の小屋に住む老人に、手漕ぎボートを貸してもらった。
ボートのレンタル料は、僅か銅貨五枚。ちょっと贅沢な一日分の食費程度だ。聞くところによると、老人は湖で釣りをしつつ、信用できる人にだけボートを貸して、日銭を稼いで暮らしているらしい。
しかし、手漕ぎボートなんて初めてだな……
オレもだ。どうやるんだろ
小屋の傍のボート置き場。おっかなびっくりといった様子で、大型の手漕ぎボートに二人して乗り込む。最初にアイリーンが乗り込んだときは僅かに揺れる程度だったボートも、ケイが船着き場から足を掛けると、それだけでグラッと大きく傾いた。