いそいそと後ろの席に座り直すアイリーン。黙ってオール漕ぎを再開するケイ。相対速度の関係で、騒がしい船乗りたち(ギャラリー)はすぐに遠ざかっていった。
…………
明後日の方向に目を泳がせつつも、互いに互いの様子を探り合うような、そんな沈黙がその場に残される。
アイリーンを視界に収めつつ、透き通る水面を眺めていたケイは、
……ここは、本当に水が綺麗だな
まるで独り言であるかのように、ぽつりと呟いた。
そうだな、オレも同じこと考えてたよ
ごく自然な様子で、アイリーンも相槌を打つ。そのまま船べりから少し身を乗り出して、何処どこまでも蒼い湖を覗き込んだ。
まるで底まで透けて見えるみたいだ……
ゆらゆらと揺れる水面―ケイがオールを止めると、鏡のようになったそこに、アイリーンの顔が浮かび上がる。慣性でゆっくりと、波紋を広げながら進むボート。
ケイの目だったら、底が見えたりする?
ふと顔を上げて、アイリーンは無邪気に問いかける。
さっきまでは見えてたけど、もう見えない。ここらは深いらしいな
そっかー。大体何mくらいありそう?
ぱっと見た感じ、最後に見えた所は水深8mはありそうだった
へぇーけっこう深いんだ
そんな他愛のないことを話していると、ボートはいつしか、小島の傍にまで辿り着いていた。船着き場から少し離れた、神殿へ続く白亜の階段を眺められるポイントで、船底に食料を広げて遅めの昼食と洒落こむ。
そういえば、前にマリーの婆様が言ってたな。シュナペイア湖の伝説
ナイフで生ハムを薄く切り取りながら、アイリーンが言った。
伝説?
そう。何でも、
口の中の肉をりんご酒(シードル)で流し込んで、
この湖のどこかに、船が沈んでいるらしい。それも、金銀財宝を満載した状態で、な
ほう……事故か何かか?
いや、水の精霊に沈められたそうだ
遥か昔、シュナペイア湖のほとりで暮らしていた住人達は、我が物顔で水を使いゴミを捨て、あるいは汚水を垂れ流して、湖を汚し続けていた。
しかしある日、湖の穢れに我慢しきれなくなった水の精霊が、怒り狂って湖に渦を巻き起こした。
湖を行き交っていた船やボートは片っ端から渦に呑まれ、そのまま水底に引きずり込まれてしまった。
さらに用水路を逆流した水は田畑を押し流し、作物を全て駄目にしてしまったという。
作物がやられ、飢えに苦しんだ住人達は、それ以来決して湖は穢さぬと心に誓った。そして精霊の怒りを鎮めるために、湖の真ん中の小島に神殿を建て、崇め奉ってきた―って話らしい
で、その時の船の中に、財宝を積んだ奴があった、と
だな。婆様曰く、水の精霊が怒って湖中の船が沈められた、ってのは大体200年くらい前のことで、歴史書にも記されている事実らしいぜ。ただ、その中に、本当にお宝を積んだ船があったのかどうかは、正確な記録が残ってないんだってさ
まあ、伝説ってそんなもんだよな
小さく肩をすくめ、アイリーンの手元のりんご酒を手に取って喉を潤す。
しかし、浪漫は感じるな。金銀財宝そのものには、それほど興味はないが……『宝探し(トレジャーハント)』という言葉の響きが良い
同感だぜ
うむうむ、と二人で腕を組んで頷き合う。
元々ケイもアイリーンも、こういった夢のある話は大好きだ。ゲーム時代から面白そうな噂を小耳に挟めば、取り敢えず現地に突撃するのが常だった。勿論、それで痛い目にもあってきたが、多少非効率であっても物事を楽しむのが、二人のスタイルだった。
ケルスティンの魔法でどうにかならないか?
オレも今、ちょうど同じこと考えてたんだよ。湖の底を 探査 すれば船の残骸くらい見つかるかもって
ケルスティンは影の精霊だ。 探査 で水中の影を描写させれば、最新のスキャンソナーに勝るとも劣らない精度で水底の地形が把握できる。
問題は触媒の量と、見つけたところでどうするか、か
うーん。水晶は、このぐらいの広さの湖なら、5kgも揃えれば足りると思うけど
さくらんぼをもぎ取りながら、アイリーンが湖を見回した。
でも、仮に見つかったとして、船の残骸をどうやって引き上げようか
ゲームなら問答無用で潜るがな。……いや、こっちでも可能、か?
水底を覗き込みながら、ケイ。『紋章』で強化された、自身の身体のスペックを考えての発言だったが、それと同時に、水泳に馴染みがないからこその無謀な考えでもあった。 いや、 とアイリーンが即座に否定する。
湖の底の方は、水が物凄く冷たいらしいぜ。たまに湖で泳ぐ人が、冷たい水の流れにやられて、低体温症で死んじまうって話を聞いたことがある。リアルでやるのはやめといた方がいいんじゃね?
そうか……第一、深さも分からんしな。作業用の機械なんてものはないし、潜水服なんてもってのほか……
水系統の魔術師でもいれば、話は別なんだろう、けど……
『水の精霊の神殿』とやらに、自然と二人の視線が引き寄せられる。
……いないかなー、魔術師
うーむ。しかしアイリーンのその『伝説』を聞く限りでは、ここの水の精霊は上位精霊っぽいからな。とてもじゃないが契約できんだろ……
だよなー
揃って不満げに口を尖らせる二人。
DEMONDAL では、精霊は大雑把に下位から上位の三段階に分けられていたが、基本的に『上位』とされる精霊たちは、決まった位置に出現する代わりに契約のため無理難題を吹っ掛けてくる、もはやNPCに近い存在だった。プレイヤーが契約できるのは実質的に中位以下の精霊であり、上位精霊の提示するゲームでさえ厳しかった条件―“飛竜(ワイバーン)“の目玉を10個もってこい、だとか―が、この世界の住人に達成できるとは到底思えない。
ちなみに、ケイが契約するシーヴは中位精霊、アイリーンのケルスティンは下位精霊に分類されている。
まあ、水系統の使い手がいたら、とっくの昔に引き上げられてるだろうな
確かに。そもそもオレが 探査 したところで残骸が見つかるとも限らねーし
お宝は無かった……なんて分かった日には興醒めだ。伝説は伝説のままにしておいた方が、夢がある
だな。やめよやめよ
そんなことを話しているうちに、ケイたちはあれほどあった食料を、すっかり食べ尽くしていた。膨れたお腹をさすりながら、胃のスペースを確保するように、二人揃ってだらしなく体勢を崩す。
うぅ……お腹いっぱいだ……もう食べられない……
食ったなぁ。美味かった
頷くケイの言葉には、万感の想いが込められている。
アイリーンと会話しながらの食事。昨夜の孤独な晩餐とは違い、味よりもむしろ話そのものに集中していたのに、ケイの心は『美味しかった』という幸福感に満ち溢れていた。