やはり食事はこうでなければ―と、最後に残ったりんご酒を少しずつ味わう。
ねむい……ふぁ
上品にあくびをして、こてんと船底に寝転がるアイリーン。
あくびって感染するよな
湧き出た眠気を噛み殺しながら、ケイは背伸びをして空を見上げた。
今日は、いい天気だな
だなぁ。……ねえ、ケイって、昼間でも星が見えたりする?
ああ。見えるぞ
マジか。いいな~どんな風に見えんの?
どんな風……と言われてもな。白い点がぽつぽつ、って感じか。それほど綺麗じゃないし、夜みたいに小さな星は見えない
へぇ~『視力強化』ってスゲェな……
寝転がったまま、アイリーンは頭の上に手をかざして、青空に目を凝らす。暫くそうやって、見えもしない星を眺め続けていたアイリーンだが、だんだんとその瞼が下がっていき、終いには、
……くぅ
小さくいびきをかき始める。
しばらく、頬杖をついてそれを眺めていたケイであったが―それはそれで乙なものだ―、あんまり遅くなってもなぁ、と思い直し、ゆらゆらとボートを揺り動かした。
はっ。……オレ寝てた!?
鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、がばりと起き上がるアイリーン。
数分くらいうつらうつらしてたみたいだが……起こして良かったか?
うん。ありがと。完全に寝るとこだった
猫のように背伸びをしながら、神殿の方を見やる。
……そろそろ行く?
そうだな
頷いて、ケイはオールを手に取った。
†††
近づいてみても、やはり『小さな島』という印象は変わらない。先導役のアイリーンにあれこれ指示されながら、木材で組まれた桟橋に接岸する。
ケイたちが食べている間に、新たに巡礼者が訪れたのだろう。船着き場には大型の渡し船が停泊しており、パイプを咥えた船頭が暇そうに煙をくゆらせていた。胡乱げな目でこちらを見る船頭に目礼しつつ、船着き場の柱にロープでボートを固定する。
さて、こんなもんか
盗まれはしないと思うけど、風で流されたりしたら笑えねえもんな
……全くだ
先ほど潜って宝探し云々言っていたものの、出来れば、足のつかない場所では泳ぎたくないケイであった。
桟橋から歩いて、白亜の石段を上がっていく。島の形状は丘のそれに近く、まるで湖面に、ひょっこりと小山が頭を出しているかのようだ。
これ……船で運んで造ったのかな?
階段の白い石材をぽんぽんと足で踏みしめながら、アイリーン。
そうだろうな。精霊の怒りを鎮めるためとはいえ、よくやるよ
全部人力だろ? ヤバいよな……
高さにして、二階建ての家ほどだろうか。石段を登り終えると同時に、ローブに身を包んだ巡礼者たちとすれ違う。
あとに残されたのは、静謐さの漂う涼やかな空間―
わぁ……
そこに広がる光景を目にして、アイリーンが感嘆の声を上げた。
白い神殿―ギリシアのそれを彷彿とさせる単純な石柱の連続に、船を丸ごとひっくり返したような木製の屋根。水の精霊を祀る神殿ということもあってか、屋根の造形は意図的に船に似せてあるらしい。中心を走る竜骨と、屋根としては珍しい流線型がどこか非現実的で、機能美にも似た独特の雰囲気を醸し出している。
石段から神殿までは、大理石の白い石畳で一直線に舗装されていた。すっ、と伸びる白の路、周囲の緑の木々が、風にそよいでさわさわと葉擦れの音を響かせる。
蒼き湖に浮かぶこの島は、言葉通り、俗世から切り取られた非日常の空間だった。沁み入るような静けさの中に、穏やかな、それでいて背筋の伸びるような、不思議な空気が流れている。まさしくここは聖域であると、そう感じさせられた。
凄いな
ぽつりと呟いた言葉は、シンプルだが、そうであるが故に偽りがない。
悪く言えばケイは、この神殿を舐めていた。所詮は片田舎、神殿といっても、せいぜいが石造りの祠があるくらいのものだろう、としか考えていなかった。
だが実際に来てみて―精霊の威容とでもいうべきものに、圧倒されている。
……なるほど、わざわざ人が巡礼に来るわけだ
そうだな……オレたちも、中に入ってみようぜ!
厳かな雰囲気などどこ吹く風、と言わんばかりに興奮気味のアイリーンに手を引かれ、神殿の中へと足を踏み入れる。
石柱と屋根のみで構成されたそこは、どこまでも開放的な空間だった。飾り気のないタイルの床が広がり、その真ん中に、真っ白な大理石の彫像が安置されている。
一抱えもあるような大きな台座に、羽衣をまとった妙齢の美女の像。採光用の窓から光が降り注ぎ、その涼やかな笑みを照らし出している。そして彫像の前には何やら重そうな木箱が置かれ、天井からはロープが一本、ちょうど腰の高さまでぶら下がっていた。
あのロープが、『願いが叶う鐘』ってヤツかな!?
テンション高めのアイリーンは、小走りで彫像の前まで行き、躊躇なくロープを引っ張った。
からーんころんからん、と鐘の鳴る音が、頭上から響き渡る。
おおーこれだこれだ!
嬉しそうにはしゃぐアイリーン。なんとなく、ケイは日本の初詣を連想した。
願い事はいいのか?
もうしたぜ!
何を願ったんだ?
ケイの何気ない問いかけに、アイリーンはニヤリと意味深な笑みを浮かべ、
ひみつ!
そのまま、ケイに向かってあかんべえをする。そして、面食らうケイにからからと笑うばかりで、それ以上は何も言わなかった。
で? ケイは? どうするんだ?
やや強引に、話題を流そうとするかのように、今度はアイリーンが聞いてくる。その顔に浮かぶのは純粋な好奇心で、その他には何も読み取れない。アイリーンの態度は不思議、というか不可解だったが、まあいいかと流したケイは、顎に手を当てて考え込む。
願い、か……
何にしようか、としばし思いを馳せる。
…………
しかし、なにも思い浮かばない。
(いやいや、何かあるだろ)
そうは思うものの。
…………
やはり、なにも思い浮かばない。
(待て待て。何かあるはずだ、何か……)
つぶらな瞳でこちらを見るアイリーンの存在に、焦りのようなものを感じながらも、考えを巡らせる。
思い出すのは、二週間ほど前。まだ、ゲームの DEMONDAL で遊んでいた時代。
(俺が目標にしてたのは……そう、)
『弓を極めたい』―だとか。
『キル数2000を突破したい』―だとか。
『鳥の羽根を全種類コンプリートしたい』―だとか。
『自分も”竜鱗鎧(ドラゴンスケイル)“が欲しい』―だとか。
(……ロクなもんがないな)
我ながら、乾いた笑みが浮かぶ。『弓を極めたい』というのは兎も角、他のは余りにどうでもいいか、現実ではやりたくないことばかりだ。見事に、 DEMONDAL のことしか考えていなかった。