……平和な一日であった。
逆襲のアレクセイ
27. 英雄
翌日。
昼前に、隊商の面々は町外れの広場に集合した。
ケイがアイリーンと共に荷物の確認をしていると、ショートソードに複合弓で武装したダグマルが、 よっ と手を上げながら近づいてくる。
どうだケイ、調子は?
悪くないな
そうかそうか
ニヤけ面で何度も頷いたダグマルは、意味ありげな視線をアイリーンに向け、声をひそめる。
で、どうだったよ?
ケイははにかんだように笑い、
……お蔭で、上手くいったよ
おおー! どこまでいった? コレか?
クイクイッ、と何やら卑猥な動きをするダグマルに、ケイは一転、冷やかな目を向けた。
……そういうのは、きちんと段階を踏んで、だ
かーっ、お堅いねぇ
額をぱちんと叩いて、しばらくからからと笑っていたダグマルであったが、不意に溜息をついて表情を引き締める。
ま、それはいいとして、だ。ケイ、それにアイリーン、二人とも聞いてくれ
突然の真面目な口調、どうやら仕事の話のようだ。面食らいつつも、ケイとアイリーンは神妙な顔で耳を傾ける。
……こっからウルヴァーンまでの道のりは、今までと違って気合を入れて欲しい。途中で二つほど開拓村に立ち寄るが、そこがなかなか厄介な土地柄でな。森を切り拓いた所なもんで、昼夜問わずに獣が出やがるんだ。お蔭で盗賊の類はいないが、狩猟狼(ハウンドウルフ)の群れなんかに襲われたこともある。とにかく、隊商の荷馬車に被害を出さないことを最優先に立ち回ってくれ
いつになくダグマルが重武装なのも、それが理由らしい。
了解した
ベストを尽くすぜ……
狩りはお手の物のケイに対して、投げナイフ以外に有効な飛び道具を持たないアイリーンは浮かない顔だ。アイリーンは対人戦闘に特化したタイプなので、人型モンスター相手なら兎も角、獣の群れと戦うようなシチュエーションはあまり得意としていない。
特に嬢ちゃんの魔術、頼りにしてるからな!
ニカッと笑ったダグマルが、手をひらひらさせながら去っていく。実は昼間は魔術が使えないことを伏せているアイリーンは、何とも曖昧な表情を浮かべていた。
……ま、“飛竜(ワイバーン)“でも出張ってこない限り、大概の相手は俺が何とかするさ
自信なさげに丸まった背中をぽんぽんと叩いて、励ますようにケイ。
……そうだよな。魔術が必要な場面なんて、そうそうないよな
気を取り直したのか、木の丸盾を背負いながら、アイリーンは軽く笑い飛ばした。
隊商は、予定通りユーリアの町を出発する。
滞在中も商売に勤しんでいたホランドのようなやり手を除いて、皆この二日間で英気を養ったらしい、隊商の面々も生き生きとした様子だ。特に騎乗の護衛たちは弓を片手に周囲を警戒しているものの、互いに雑談する程度の余裕はあり、いい意味で肩の力を抜いている。
ピエールは滞在中、本格的に馬車を修理したらしく、もう故障の心配はないとのことで、ケイは本来の持ち場―ホランドの馬車の横に戻ることとなった。当然、その隣で轡を並べるのは、アイリーンだ。
それにしても、あの屋台のガレット美味かったなー
思ったよりも良い町だった
だな! また来ようぜ!
うむ。神殿にももう一度行ってみたいしな
ケイたちの会話に以前のようなぎこちなさはなく、自然に談笑する二人の様子を、周囲は生温かい目で見守っていた。出発前、ケイがダグマルに”結果報告”をしたことにより、話が隊商中に広まっていたのは当然の帰結というべきか。幸いなのは、ケイもアイリーンも互いの会話に集中していて、自分たちが観察対象になっていることには気付いていないことだ。
ちなみにアレクセイはというと、昨日酔っ払って醜態を晒したことを気にしているのか、ピエールの馬車に乗って大人しくしていた。
要塞都市ウルヴァーンを目指して、隊商は一路北へ向かう。
大きく蛇行するアリア川を右手に捉えながら、川沿いの街道を進んでいると、まるでこれまでの道程をそのまま進んでいるかのような錯覚に陥る。ただ一つ、サティナ‐ユーリア間との違いを挙げるとすれば、それは周囲の植生だろう。林を抜ければすぐに草原が広がっていたモルラ川沿岸地域とは違い、こちらは何処までも深い森が広がっている―“ラナセル大森林”だ。
広葉樹が生い茂り、陽光が遮られた森の中は薄暗く、ケイの瞳をもってしても奥までは見通すことはできない。
しかし成る程、豊かな森だ―と思わされる。
アイリーンと話しながら森にも注意を向けているが、先ほどから幾度となく獣の姿が見かけられた。鳥は勿論のことキツネや鹿、猫に似た小型の肉食獣の姿もある。
ホランド曰く、ウルヴァーンの統治下にある”アクランド”領は、この森を開墾することで豊かな土地を確保しているらしい。木はそのまま資材になり、獣は日々の糧になる。薬草の類も豊富で、切り拓けば森の黒土は優秀な田畑に様変わりだ。これから立ち寄る開墾村も、そんな開発の最前線といえる。
はっきり言って、商売相手としては微妙だな。元々開拓村には、借金に追われた人間や、農家の次男坊、三男坊なんかが送られるものだからね。どちらかといえば貧乏人が多い
そう言ってボヤくのはホランドだ。これから立ち寄る村は、他の行商人であればスルーしてしまうほど、儲けの少ない商売相手らしい。
さりとて、彼らは物資を必要としているし、行商人は物流の担い手だ。無碍にするわけにも、いかなくてなぁ
旦那は商人の鑑だな
商談に忙殺されロクに体も休められず、疲れのせいか愚痴っぽいホランドに、アイリーンが調子を合わせて相槌を打つ。
ケイも黙って話を聞いていたが、突然、その目をチカッ、チカッと眩い光が襲った。
うおッ、なんだ?
強力だが繊細なケイの目に、その光は強すぎる。見れば、荷馬車の上でエッダが悪戯っぽい笑みを浮かべていた。その手に握られていたのは、掌サイズの金属製の円盤。
あっ、それ! もしかして鏡!?
目ざとく気付いたアイリーンが、食らいつくように馬を荷馬車に寄せる。
うん! 鏡ー!
エッダ!! それを持ち出すなと言ったろう!
振り返り、声を荒げるホランド。びくりと体をすくませたエッダは、 ごめんなさーい! と言いながら、すっ飛ぶようにして幌の影に逃げていく。
ちゃんと仕舞っておきなさい! 割れたら大変なんだから!
は~い……
拗ねたような声だけが返ってくる。 まったく! とプリプリ怒りながら、ホランドは手綱を握り直した。
旦那、アレは商品なのか?