青い瞳をきらきらと輝かせ、興味津々な様子でアイリーン。
ああ、あれはサティナから運んでいる品でね。元はといえば鉱山都市ガロンで造られたものだよ。ウチの悪さをする娘に、見つからないよう隠してたんだが……ユーリアにいる間に荷を漁ったみたいでね
そうか。高いんだろ?
まあ、……小売価格で銀貨二十枚といったところかな。サイズは小さいが、質がいいものでね。錆びないんだよ
へ~ぇ……
顎に手を当てて頷くアイリーンの顔には、 それほど高くはないな…… という考えが透けて見えていた。それにすかさず気付いたホランドは、
ああ、いや、すまない。あれは依頼された品でね、売ることは出来ないんだ
……。そっかー
あからさまにがっかりするアイリーン。 まあまあ、また縁があったらね…… など言いながら、ホランドはケイに意味ありげな目を向けた。ケイはそれに頷き返しつつ、 ウルヴァーンに着いたら、ホランドを頼ろう と密かに決意を固める。銀貨数十枚程度なら、即決で購入できるだろう。
†††
それから暫く、平和な旅路は続く。
特筆すべきことといえば、ユーリアから一時間ほどの所で、街道に彷徨い出た大きな鹿を前方の護衛が弓で仕留めたくらいのものだ。その他は何事もなく、事前にダグマルから注意されていただけに、ケイたちは拍子抜けした気分であった。
が。
夕刻、最初の村に到着した時に、そんな平和な空気は一撃で吹き飛んだ。
……何だあれは。一体どうなっている?
街道の彼方、視界に入った村の姿を見て、御者台のホランドが驚きの声を上げる。
開拓村は、周囲をぐるりと丸太の壁で囲んだ、ちょっとした小要塞とでも呼べるような村だった。
しかしその壁の一部は、まるで爆発に吹き飛ばされたかのように、大きく穴が開いて破壊されている。憔悴しきった様子の村人たちが、手に木材を抱えて修復作業を進めているのが見えた。
ひとまず隊商は村に入り、住人たちに事情を聞くことにする。
とんでもないコトになっちまった―
疲れの滲む顔で、説明を始めたのはエリドアという名の男だ。どうやらこの村の村長らしく、ケイの第一印象は、 村長にしては若い だった。おそらくは三十代後半―体格こそ筋肉質なものの、八の字になった眉のせいで常に困り顔に見えることもあり、全く頼れる風には見えない。
疲れのせいか、あるいは頭の回転がそれほど速くないのか、エリドアの説明はいまいち要領を得なかったが、話をまとめるとこういうことだった。
始まりは、一昨日の昼のこと。
村人の一人が村外れの森で、手負いの獣を見つけた。
それは体長が3mほどにもなる、世にも奇妙な美しい動物だった。馬に似た体躯、緑っぽい光沢を見せる美しい毛皮、鋭く尖った長い一本角。攻撃的な雰囲気を漂わせていたそれは、しかし足と腹に深い傷を受けており、村人が見つけた時点で息も絶え絶えの状態であったという。
ひと目見てただの獣ではないと察した村人は、村に仲間たちを呼びに行き、そして見事、寄ってたかって滅多打ちにして仕留めることに成功した。
これは絶対に高く売れる、と大喜びで皮を剥ぎ角を取り、腐りそうな肉は祝いと称して皆で食した。ただ焼いて塩で味付けしただけだったが、その肉は大変に美味であったらしい。
食べられそうにない奇妙な色の内臓は捨て、骨などの『残り物』は念のため倉庫に仕舞い、村人たちは大満足で眠りについた―そして、そこまでは良かった。
悲劇が起きたのは、その次の日、即ち昨日の夕暮れのこと。
森の奥から突然、凄まじい咆哮が聴こえたかと思うと、見たこともないような巨大な化け物が姿を現したのだという。
村の壁越しに、頭が見えるほど大きかったそれは―
―熊、だった。メチャクチャでかい熊だったんだ
げっそりとした様子で、エリドアは言う。
腕の一振りで木の壁を破砕したその熊は、真っ直ぐに『残り物』を置いていた倉庫に向かったが、骨と皮の余りしか残っていなかったことに怒り狂い、そのまま村人たちに襲いかかった―。
六人、食われた。男が三人、女が二人、子供が一人。丸ごと食われて、殆ど死体も残らなかった。……怪我人も二人いたが、みな朝までには死んだ
エリドアの口から訥々(とつとつ)と語られる凄惨な事件のあらましに、隊商の面々は顔を引き攣らせ、しんと静まり返る。
……どうするつもりだ?
ホランドの問いかけに、エリドアはただただ、重い溜息をついた。
今朝、ウルヴァーンに何人か行かせた。馬も食われてしまったから、仕方なく徒歩で……。しかし、そもそも、助けが来てくれるのかも分からないし、まず話を信じてもらえるかどうか
うぅむ……
崩壊した丸太の防壁を見やりながら、ホランドは唸る。確かに、3mはあろうかという丸太の壁よりもさらに背丈の高い熊など、俄かには信じがたい話だ。しかし、実際に破壊された壁や家々を見れば、それが法螺吹きの類でないことはすぐにわかる。
俺たちも危ないんじゃ……
逃げた方が……
囁くような声で商人たちが相談し始め、それを耳にしたエリドアの顔色が悪くなる。このまま隊商―具体的に言えばその護衛の戦士たち―に逃げられると、村が壊滅してしまうのは火を見るよりも明らかだった。
待ってくれ。おれたちを見捨てないでくれ!
……気持ちは分かるが、そんな化け物の相手なんざ、金貨を積まれたって御免だぞ
護衛の代表として口を開いたのは、ダグマルだ。崩壊した壁を見やりながら、その表情には、同情と憐憫がありありと滲み出ていた。
というか、それより早く逃げた方がいいんじゃねえか?
そ、そんな……!
そうだ、逃げよう! 我々の戦力でどうにかなる相手じゃない!
あの壁をぶち抜く相手となるとな……
村の面々も一緒に逃げたらどうだ?
後を追ってくるかもしれないぞ……
……それは困るな
おい! 俺たちに残って囮になれってか!?
周囲の村人たちも集まって話に加わり、場が騒然とし始める。
その集団からそっと抜け出して、ケイはひとり、崩れた壁の方へ歩いていった。
半ば諦めたような顔で修理を進める村人たちをよそに、まず壁の外側の地面に視線を走らせる。探すまでもなく、くっきりと残された大きな足跡。しゃがみ込んで、自分の手の平と照らし合わせたところ、『熊』の足のサイズは軽く五十センチを越えていた。
足の指の形に沿って踏みしめられた土、根っこから折り倒されている森の木々、壁に刻み込まれた巨大な爪跡、それらを注意深く観察する。
どう思う、ケイ?
背後から声。振り返るまでもない、アイリーンだ。
……そうだな。アイリーン、ちょっとあそこの壁、見てみてくれないか。毛が挟まってる