Выбрать главу

ん、どれどれ

ケイが指差さす丸太の壁、地面から2mほどの高さの所に、軽く助走をつけたアイリーンはぴょんと飛び上がって取りついた。軽業師でも成し得ないような跳躍に周囲の村人たちが唖然とするが、アイリーンはそれを気にすることなく、

……ビンゴ

壁の隙間に挟まっていた、数本の獣の毛を引っこ抜く。

もう暗くなってきてんのに、よくこんなもん見えたなケイ

まあな。ちょっと貸してくれ

アイリーンに手渡されたそれを、夕焼け空にかざして見る。ゴワゴワと堅く、光沢のある暗い赤色の毛。

この色の毛の熊は、……一種類しかいないよな

でも、話で聞く限りだと、ちょっと小さくね?

多分、若い個体なんだろう。こんな人里まで出てきたのもそのせいじゃないか?

なるほど……

手の中の毛に視線を落とし、森の奥を見やり、二人は共に表情を曇らせた。

どうする? オレが 追跡 してもいいけど

日の沈んだ空を見上げて、アイリーン。

……俺たちだけで決めてもな。雇い主に相談するのが筋ってもんだろう

ケイとアイリーンの二人だけならば自分たちで好きなように対応できるが、隊商や村人たちのことを考えると勝手に振舞うわけにはいかない。二人は議論の紛糾する村の中へ戻っていく。

時間の無駄だ! 村を離れよう!

頼む、見捨てないでくれ! 助けてくれよ!

今、下手に逃げても危険じゃないか?

まだ集まっていた方が、戦いやすいかも知れないな……

いやいや危険すぎるだろう! あの丸太の壁を一発でぶち壊す化け物だぞ?

どうやら隊商の面々も、逃げる派と村に留まる派で分かれているらしい。そこに 兎に角助けてくれ と泣きつく村人が加わり、話し合いはまさしく混沌の様相を呈していた。

すまない。幾つか聞いていいか

そんな中、ひとり場違いなほど生真面目な雰囲気を漂わせたケイは、手を挙げてエリドアに問いかける。まるで死人のように、ゆっくりと首を巡らせたエリドアは、

なんだ……?

熊についてなんだが、背丈は少なくとも4m以上で、毛皮は暗めの赤っぽい色、首のまわりに斑点のような白い模様はあったか? そして下顎の牙が異様に長く、燃えるような赤い目をしていなかったか

突然の具体的な質問に、面食らった様子のエリドア。記憶を辿るように目を細めた彼は、

……すまん、目の色は分からない、逃げるのに必死だったんだ。体毛は、赤っぽかったと思う、牙は……そうだな、下の方が長いように見えた。模様は……おい、皆! 熊の首周りに、白い斑点はあったか? 目は何色だった?

……憶えてないな

言われてみれば、あった気もするが……

おっかなくて目なんて見てねぇよ……

村人たちはボソボソと、呟くようにして口々に答える。エリドアは申し訳なさそうな困り顔になった。

……すまん。皆、よく憶えてないみたいだ

なら、吠え方はどうだった? 『グオオオォッ』と地の底から響いてくるような、そんな重低音じゃなかったか?

ああ、それは憶えている! そんな感じだった、思い出しただけでも震え上がるような……

ケイの口真似に、エリドアはガクガクと何度も頷いた。 成る程 と腕を組んで得心するケイ。

……心当たりが?

いつの間にか静かになっていた皆を代表し、ホランドが問う。 ああ とケイは首肯して、

話を聞く限り、十中八九”大熊(グランドゥルス)“だろう

その、断定的な言葉は間違いなく、皆に幾らかの動揺をもたらした。

“大熊(グランドゥルス)”。

『陸の竜』こと”森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“と双璧を為し、『森の王者』と称される巨大なモンスターだ。

普通の熊との違いは、まずその体格。次に、強靭性の高い毛皮と分厚い筋肉による、桁外れな防御力だ。生半可な武器では傷一つ付けられず、仮に皮を突破して傷を負わせられたとしても、筋肉と脂肪の層に阻まれるため致命傷には至らない。

“森大蜥蜴”のように毒があるわけでもなく、“飛竜”のようにブレスを吐くわけでもないが、“大熊”はその防御力と腕力でシンプルかつ絶大な強さを誇る。また、猪突猛進な”森大蜥蜴”とは違って知能も高く、待ち伏せや撤退、罠の回避や足跡を使ったミスリード、岩や木を投擲して遠距離攻撃、など人型モンスターに匹敵する戦術行動を取れるため、ゲーム内では非常に戦い辛い相手としてプレイヤーたちから恐れられていた。

そして、その辺の事情はこちらの世界でも同じなようで、アイリーンを除く全員が、“大熊”の名を聞いてぎょっと身を仰け反らせる。

……“大熊”?

まさか、有り得ない

流石にそれは……

しかし、それも一瞬のこと。隊商の面々はすぐに気を取り直して、 そんな筈はない とケイの考えを一笑に付した。

深部(アビス) の獣が、こんな場所に出るわけがない。いくら森を切り拓いたと言っても、ここは街道に近い人里だぞ

疑わしげなエリドアに、ケイは頷きながらも、

確かに、普通はこんな所までは出てこない。しかし基本的に、―これは”大熊”に限った話じゃなく、全ての熊に言えることだが―、連中は獲物への執着心が強いからな。一度食うと決めたら、何処までも追いかけてくる。

御宅らが仕留めた『緑色の獣』は、特徴からして 深部 に棲む”イシュケー”というモンスターだ。肉が美味く内臓は栄養価が高い。おそらく、“大熊”に追われて逃げてきたんだろうな

じゃ、じゃあ……村が襲われたのは、俺たちがイシュケーを殺したから、なのか?

うーむ。いずれにせよ、近くまでやってきていたのは事実だ。遅かれ早かれ、同じ結果にはなった、かも知れないな

そうか……近くにまで来られた時点で、運の尽きだったのか……クソッ

エリドアは眉根を寄せて、悲痛な表情で嘆いている。ケイとしても、同情の念は禁じえないが、少なくともイシュケーが村襲撃の一因となったことは否定のしようがない。

……理屈は分かったが、ケイ。“大熊”ってのは、小山ほどもある巨大なモンスターじゃないのか? 話を聞いた限りだと、今回の奴は小さすぎるように思えるんだが……その、『“大熊”にしては』、という意味でだが

完膚なきまでに粉砕されている村の倉庫を見やりながら、それでも信じきれない様子のダグマル。 小山ほどもある という表現を聞いて、ケイは思わず苦笑した。

“大熊”の成獣は、確かに見上げるほどにデカいが、それでも体長7mは越えないよ。それでも充分デカいっちゃデカいが……ここを襲ったヤツは、大きさからして、まだ巣立ったばかりの若い個体だろう。老練な”大熊”は自分の縄張りから出て来ないし、そもそも獲物を逃がすようなヘマはしないだろうからな。それにさっき、暗赤色の獣の毛を見つけたが、この色も”大熊”特有のものだ