あそこでなぁ~、ヤツがトチ狂って威嚇してきたからなぁ、やりやすかった~
あんなおいしいシチュエーション、滅多にないよなぁ
だなぁー、そうじゃなきゃ、心臓なんて狙い撃ちに出来んよ~
最初に放った鏑矢のように、普通に矢を放っただけでは、空中ではたき落とされてしまうだろう。“大熊”には、それが出来るだけの身体能力と反射神経がある。しかし今回の”大熊”はまだ若く、経験が足りていなかった。仮に老練な個体であったならば、飛び道具で攻撃してきたケイを前に、隙を見せつけるような真似はしなかったであろう。
半笑いを顔に張り付けたまま、しばしテントの布地を見つめていたケイだが、不意に 決めた! とアイリーンに向き直る。
なあ、アイリーン。俺、決めたよ
うん? 何をだ?
俺は、狩人になろうと思う!
突然のケイの宣言に、アイリーンは目を瞬かせた。
……っていうと?
今回みたいに、害獣に困っている人たちを助けて回るのさ
どうだ、素敵だろ、と言いながら、ケイは子供のように無邪気に笑う。
―満ち足りた気分だった。
今までの人生を振り返って、ここまで他人に褒められ、感謝されたことがあったであろうか、とケイは酔った頭で考える。
今までは、どちらかというと、ただ生かされているだけの生だった―。
それを後生大事に抱えて、まるで消えかけの蝋燭の火を守るかのように、いつ吹くとも知れぬ突風に怯えながら、ケイは生きてきた。
しかしただ漫然と、平和と安全の中で、それを守るだけで朽ちていく生は、果たして生と呼べるのか。
―それはあるいは、死んでいるのと大して変わらぬのではないか。
それに対して今はどうだ―と、ケイはそんな風に考える。こんなにも充実している。輝いている。世界がきらきらと祝福してくれているかのように。
リスクを抱えて、赤の他人の為に自身の身を危険に晒そう、などと、少し前の自分なら思いもしなかっただろう。だが今は、『命を賭ける』という言葉に、陶然とするような魅力すら感じていた。
みんなに褒められて、感謝されて、生きていけるなんて……素敵じゃないか
承認欲求―という言葉が、脳裏をかすめた。だが、構いやしないと思った。それの何が悪い。どうしていけない―。
うん。いいと思う。本当に、素敵だと思うよ
優しい口調で、アイリーンは肯定した。にこにこと、慈しむような笑みとともに。
ひどく強烈な眠気に襲われながら、ケイは微笑み返した。
だろう? ……だからさ、アイリーンも、……応援してくれ
うん。応援する
……ありがとう
笑みを浮かべたまま、吸い込まれるようにして、ケイは眠りに落ちていった。
ふふっ
愛おしげに、その寝顔を見守るアイリーン。
……おやすみ、ケイ
そっと手を伸ばして、優しく、ケイの頭を撫でた。
†††
とある幌馬車の荷台で、幼い少女は布団にくるまっていた。
ぱちぱち、と篝火の火が弾ける音。少女は手の中で鏡を弄びつつ、幌に炎の明かりを反射させて遊んでいた。
―と、鏡の中に、長衣を羽織った老婆の姿が映り込む。
おや、エッダや。まだ眠ってないのかい?
……おばあちゃん
よっこらせ、と荷馬車に這い上がってくるハイデマリー。鏡をそっと枕元に伏せながら、エッダは小さく寝返りを打った。
ふふ。だめじゃないか、それで遊んじゃあ
優しくたしなめたハイデマリーが、鏡を取り上げて荷台の箱の中に仕舞う。
ホランドに見つかったら怒られるよ
……気を付けるから大丈夫だもん
これこれ
ふてぶてしいエッダに、思わず苦笑するハイデマリー。エッダの隣で布団にくるまって、長い溜息をつく。
……今日は、本当に驚いたねぇ
ねー!
エッダは目をきらきらと輝かせている。
ケイのおにいちゃん、すごかった!
―“大熊”が姿を現したとき、エッダは幌馬車に乗っていた。
こちらに全力で向かってくる化け物の姿に、気絶しそうなほど恐怖した。
だが、そうであるからこそ、“大熊”の前に立ちはだり、たったの一矢で仕留めてしまったケイが英雄のように見えた。
―いや。
間違いなく、エッダにとって、ケイは物語の中の英雄そのものであった。
全くだね。彼は本当に、大した人物だよ……
同じく、命拾いをしたハイデマリーも、口にこそ出していないがエッダと同じ感想を抱いていた。
…………
しばし、沈黙が続く。エッダは興奮した様子で、何度も何度も寝返りを打っていた。
……眠れないのかい?
……うん。どうしても、今日のことかんがえちゃうの
幼い心に、ケイのおにいちゃん、かっこよかったな、という考えが浮かび上がる。
そして次に、アイリーンの笑顔が浮かび、それは儚くも脆く崩れ去った。
……ね、おばあちゃん。何か、お話してよ
お話、ねえ
エッダのリクエストに、ハイデマリーは ふむ としばし考え込んだ。
……そうだね。それじゃあ、『現身の鏡』の伝説を、お話してあげようかね
うつしみのかがみ?
そう。これは不思議な鏡と、とある男の物語さね。……昔々あるところに、一人の男が居た―
ハイデマリーは、語り出す。
その男はとても体が弱くて、いつもベッドに寝てばかりいた。ほとんど動くことも出来なかった彼は、英雄の話が大好きで、竜を倒した騎士や、戦争で活躍した戦士の話を、家族にせがんでばかりいた。
だけどある日、彼の暮らしていた国で本当に戦争が起きて、生活は苦しくなり、家族が彼に構う時間は、だんだんと少なくなっていった。暇を持て余した彼は、仕方なく日がな一日、空想をして楽しんで、いつしか、夢の中で遊ぶようになった。
夢の中では、彼は英雄だった。戦争で活躍する立派な戦士だった。強く、勇敢で、今の自分とは、似ても似つかぬほど逞しい身体。自分はそうであると思い込んで、彼は一日の殆ど全てを、夢の中で過ごしていた―
ハイデマリーの穏やかな語り口に、エッダは小さく眉根を寄せた。
……悲しいね。そのひと
ハイデマリーは、小さく笑う。
……そうだね、そのままだったら、彼はただの悲しい人だった。
でもある日、彼は不思議な夢を見る。一枚の、自分の身の丈ほどもある、大きな鏡。それと向かい合う夢だった。
鏡には、ひとりの勇ましい戦士が映っていた。それを見た彼は、『ああ、これこそが自分だ』と、そう思ったんだよ。その戦士は、日ごろ彼が夢見て、自分自身だと思い込んでいた、空想の姿そのままだった。
そして、その夢から目を覚ました時―彼の身体は、夢にまで見た戦士のものに、本当に変わっていた
ここで、一息つく。