そりゃ取り合いも起きるわナ
あんの長い金髪、綺麗だな~
で、革鎧の男が、“大熊”狩りの……?
弓で一撃で仕留めたんだと
少し余裕が生まれたからか、雑然とした空気の中、周囲の会話が断片的に拾えるようになる。別嬪さんか、と思ったケイは、隣のアイリーンにさり気なく視線をやった。しかし、全く同じタイミングでこちらを見たアイリーンとばっちり目があい、反射的に目を逸らしてしまう。
…………
何とも落ち着かない気分のまま、沈黙の中に沈む。
おにいちゃん……
と、ハイデマリーと一緒に、今度はエッダがやってきた。もじもじとしているような、そわそわとしているような―いつもの天真爛漫なエッダとは、何かが違う。
やあ、エッダ
声はかけたものの、それ以上何をどう話せばいいのか分からないケイ。隣のアイリーンも、似たような状況で、ただ曖昧な笑みを浮かべている。
……おにいちゃん、決闘するの?
……まあな
おねえちゃんをかけて?
ん……まあ、そうなる、な
何とも渋い顔で答えるケイに、俯いたエッダは ……そう と小さく呟いた。
明るい黒色の瞳が、ケイとアイリーンの間で揺れる―。
それは、どこか悲しげで、それでいて困惑しているような、不思議な表情だった。
……おにいちゃん、がんばってね。負けちゃダメだよ!
やがて、ぎこちなく笑みを浮かべたエッダは、ケイが何かを答える前に、背を向けてトタトタと走り去っていく。
はぁ、まったく。あの子もねえ、そうねぇ……
曲がった腰をさすりながら、ハイデマリーがくつくつと笑い声を上げた。
さて、ケイや。あんたも若いんだから、あんまり酷い怪我はするんじゃないよ。気を付けてね
それだけを言い残し、ハイデマリーもエッダの後を追ってゆっくりと歩いていった。
……何だ今の
……さあ?
ケイとアイリーンは顔を見合せて、互いに肩をすくめる。
しかし、エッダみたいな小さな子も、見物に来るのか
うーん。教育上どうよ、って思わないでもないけど
この世界だと普通なのかも知れんな……
そーだな、こっちは何かと物騒だし
気を紛らわせるように、取り留めのないことをぽつぽつと語り合う。皆の視線を一身に浴びていることに、気付かない振りをして、ただただ時が過ぎるのを待った。
そして―
待たせたな
遂に、村の方から、アレクセイが歩いてくる。
ピエールと連れだって登場した彼も、やはり、ケイと同様に重武装だ。板金付きの革鎧に、ぴかぴかに磨き上げられた金属製の兜。手甲も、脛当ても、兜と同じ白っぽい金属で出来ており、狼のような動物の装飾が彫り込まれている。しかし、両者ともに相当に酷使されてきたのであろう、無数の細かな傷のせいで、浮き彫り細工の殆どが潰れて見えなくなっていた。
左腕の上腕部には直径30cmほどの、丸みを帯びた金属製の円形盾(バックラー)。これもまた、かなり使い込まれた逸品で―何度も、主人の命を守ってきたに違いない―表面には幾筋もの刀傷が走っている。
そして、その右手に握られている、アレクセイの『剣』。無造作に肩に担がれ、ひときわ衆目を集めるそれは、形容するのに一言で足りる。
大剣。
ケイに負けず劣らず体格の良いアレクセイ、その背丈とほぼ同じ刃渡りの、長大な片刃の剣だった。振り回しやすいように長めに作られた柄、緩やかに弧を描いて反り返った刀身。片刃ということも相まって、それは何処か日本の大太刀を連想させた。
どこに持ってたんだそんなの
思わず問いかけたケイに、アレクセイは屈託のない笑顔で、
普段持ち運ぶには、ちょいと邪魔だからな。ピエールの旦那の馬車に置かせて貰ってたのさ
隣に居るピエールの背中を、左手でドンッとド突くアレクセイ。本人としては軽く叩いたつもりなのかも知れないが、金属製の盾を装備した一撃は想像以上に重く、元々細身のピエールは勢いよく前につんのめった。
ゲフッちょっアレクセイくん痛い痛い!
や、旦那、こいつぁ失敬
非難するようなピエールに、頭を掻きながら笑って誤魔化すアレクセイ。
さぁてアイリーン。この決闘で、きっとお前のハートを射止めてみせるぜ
ケイの傍らのアイリーンに、改めて向き直って爽やかな笑みを浮かべる。それに対し、アイリーンは イーッだ と顔をしかめて応えた。
うっせー! お前なんかボコボコにされんのがお似合いだ!
ばーかばーか! とケイの前で、容赦はないがイマイチ捻りのない罵倒を浴びせるアイリーン。その目にギラリと不穏な光を宿したアレクセイは、口の端を歪めてぺろりと唇を舐めた。
……そそるねぇ
軽薄な笑みを浮かべたまま、 よっ と無造作に、右手の大剣を振り下ろした。
数歩の距離。びゅオッ、と風を巻き込んで、ブレた刃がぴたりと止まる。
喋繰(しゃべく)り回っていた周囲の野次馬が、みな、悉く押し黙った。
それは、示威行為―とでも呼ぶべきか。
風を切り裂く鈍い音は、その凶器たり得る重みの証左。片手で振り下ろす動作、ぴたりと定まる刀身、それぞれ使い手の力量が十全のものであり、長大な刃が決して見かけ倒しでないことを如実に物語る。
おれの言葉の意味が分かったろう
どこまでも不敵に、アレクセイは嗤う。
得物にも格の違いってもんがある。そんなな(・)ま(・)く(・)ら(・)じゃ、打ち合いにもならないぜ
大剣を肩に担ぎ直し、ケイの腰の長剣に視線を注ぎながらの言葉に、ケイは小さく溜息をついた。
この期に及んで、身を引くつもりはない。別に、そこまで煽ってくれなくても結構だ
顔布を着けながら、ケイが冷めた目を向けると、アレクセイも表情を消して そうか と頷いた。
どうしようもない沈黙が、その場に降りる。
顔布で表情を隠したケイと、もはや、アイリーンさえ眼中にないアレクセイ。黙した二人の視線がぶつかり合い、弾け、渦を巻き、不気味な静けさだけが滲み出る。
二人とも、準備は良いか
いつの間にか、近くまで来ていたホランドが、どこか疲れた様子で二人に問うた。
問題ない
完璧だ
返答は、言葉少なに。
よし。……それでは、お互いに悔いなきよう。全力で闘うことだ
ホランドの言葉を受け、今一度、ケイに一瞥をくれたアレクセイは、何も言わずに兜の面頬を下ろした。ガシャン、と目元を隠すバイザーの奥、隙間から覗いた青い瞳が、真っ直ぐにケイを射抜く。ゆらりと背を向けたアレクセイに、人混みが二つに割れ、五十歩の道を譲った。その背中を見送りながら、ケイも無言のまま、おもむろに矢筒の口のカバーを取り外す。
ケイ……
唇を噛みしめたアイリーンが、ケイの左腕に手を添えた。