とろみのある水色の液体が垂れて、傷口に触れる。
その瞬間。
ジュゥゥッ!! と鉄板が肉を焼くような音を立てて、一気に傷口が泡立った。
ヴぉにゃ―ッッ!!!
奇声を上げてアイリーンが飛び上がる。その手から空中に放り出されたポーションは、ケイが咄嗟にキャッチした。ふたがなかったので、少し中身がこぼれてしまったが。
ぁ―ッ! ~~~ッッ!!!
悲鳴を振り絞ったあとは声すら出せず、手を押さえて悶絶するアイリーン。尋常ならざる苦しみっぷりに、 おい、大丈夫か と歩み寄ったケイは、少し逡巡してから、その背中をゆっくりとさすってやった。
ナイフで手を切ったときより、よほど痛そうに見えるのだが、気のせいだろうか。あの傷口の泡立ち方は、オキシドールでの消毒を彷彿とさせた。ケイが知っているゲーム内のポーションは、傷口に振りかけるとシュワワッと爽やかな音がして、傷が治って終わりだったのだが。
時間にして数十秒。
冷や汗を垂らして、ぜえぜえと喘ぐアイリーンの背中をさすりながら、
……落ち着いたか?
……うん
それで、どんな感じだ?
ヤバい。ものすごく痛かった
それは見れば分かる。俺が聞いてるのは傷の方だ
お、おう
恐る恐る、といった風に、アイリーンが手を広げると。
治ってる、……けど
……。傷は、残るんだな……
うん……
傷口は、ふさがってはいたが、新しい皮膚が白い線のようにくっきりと浮き出て見えていた。
ポーションといえば、傷すら残さずに完治、というイメージだったのだが。
その場になんとも、微妙な空気が流れる。
……まあ、まあ。まだ手の平で良かったじゃないか。あんまり目立たないし
そ、そうだな
もう痛くはないんだろ?
ああ。ちょっと肉が張る感じはするけど、問題ない。……やっぱりちょっと深く切りすぎちまったか
左手を握ったり広げたりを繰り返しながら、アイリーンが小さくぼやく。
そんな彼女をよそに、焚き火を挟んだ対面に座り直しながら、ケイは手の中のポーションの瓶を興味深げに観察していた。
……これ、飲んだらどうなるんだろうな
そりゃあ、体力が回復するだろう。……多分
ケイの呟きに、答えるアイリーンの言葉が尻すぼみになる。
…………
おいやめろ、期待のこもった目で見るな!
アイリーン。お前はデキる奴だと、俺は信じている
オレはモルモットじゃねえ!
チッ
『チッ』じゃねえよ! 人体実験はもうごめんだぞ!
はぁ。意気地のねえ野郎だな……
意地はもう張っただろっ次はテメェのターンだ!
膝をぺしぺしと叩きながら、ぷんすか怒るアイリーン。なんだかんだ言いつつも 次はケイが体を張るべき というアイリーンの主張はもっともだったので、毒見(あじみ)はケイが担当する運びとなった。
…………
どうだ?
ポーションを少しだけ口に含み、渋い顔をするケイに、心なしかワクワクした表情でアイリーンが問いかける。
うむ……そうだな。体力が回復してるかどうかは、正直よく分からない。だが、心なしか体が温まって、手足の冷えが幾分か解消された気はする。あと、石の上に座りっぱなしで痛くなってた尻が、楽になった。ひょっとすると、腰痛や肩こりにも効くのかもしれないな
冷え症のジジイのレビューかよ!! そうじゃなくて! いや、それも大事だけど! 味はどうなんだ味は
……昔VRショップで試食したリコリス飴に似てるな。あれから甘み成分を抜いて、ミントとショウガをぶち込んだらこんな風味になるんじゃないか? あとちょっと苦い。それに何故か知らんけど炭酸っぽい、口に入れた瞬間シュワワッてなる。とろみのある炭酸ってどうなんだコレ
聞くからに不味そうだな
ああ。不味い。凄く不味い
しかも舌の奥の方に、エグい後味がずっと残るタイプの不味さだった。渋い顔のまま、ケイはポーションの瓶にふたをはめ直す。
一方のアイリーンは、 お前も試してみるか? とケイが話を振ってこないか、戦々恐々と身構えていたのだが、このポーションはそんな風に茶化す気分にもなれないほど不味かった。
……さて、アイリーン
ポーションの瓶を弄びながら、ケイはおもむろに口を開く。空気の変化を察したアイリーンは、小さくため息をついた。
……楽しい現実逃避(おしゃべり)の時間は、もう終わりか?
ああ。残念だがな。そろそろ真剣に考えないとヤバい
すっかり暗くなってしまった夜空を見上げながら、ケイは真面目な顔を作る。
アイリーン。ついさっき気付いたんだけどな。ここがどこなのかを考える上で、重要な手掛かりになるものを発見した
いつの間に? 何だ、それは
あれだ
アイリーンの問いかけに、ケイは頭上を指し示した。
ハスニール 、 ワードナ 、 ニルダ
空をなぞるように、指を動かしながら、
ドミナ 、 カシナート 、それに イアリシン
それは、何かの名前のようであった。
……何の話だ?
小首を傾げるアイリーン。対するケイの答えは、簡潔だった。
星だよ
遥か彼方、無数に輝く星々に視線を合わせたまま、ケイは答える。
星座が……星の配置が、 DEMONDAL の世界と全く同じなんだ、ここは
ケイの言葉に、思わずアイリーンは夜空を振り仰ぐ。
しかし、満天の星空を眺めても、それはアイリーンにとってただの『星空』に過ぎず、地球のそれとの違いなどさっぱりわからなかった。
マジなのか?
ああ。あの緑色の星が ハスニール 、それを中心に構成されるのが”栄えある名剣”座だ。その隣の赤色の星が ワードナ 、周りを囲むオレンジ色の星々と”神秘の魔除け”座を形作ってる。あの青色の星は ニルダ で、一直線に続く星と共に”守護の御杖”座を―
ああ分かった分かった、もう結構だ。……でもなんでそんなに詳しいんだ、公式のフォーラムでもwikiでも、星座なんて見たことねえぞ
気にしたこともなかったから、見逃しただけかもしれねえけど、と言いながらアイリーンは星空に目を凝らす。
無理もない。隠しクエストで手に入る情報だからな。星座も、その意味も―“占星術”の存在に至っては、知ってる奴は魔術師より少ないだろうな
“占星術”? ってかおい、隠しクエストってなんだ
“ウルヴァーン”から”ダリヤ平原”を抜けて北に行くと、森があるだろう? その奥に小屋で一人暮らししてる婆さんのNPCがいるんだが、ポーションなり薬草なりで腰痛の治療をしてやると、その礼代わりに教えてもらえるんだよ。実は、イベントやら天候やらは、星と連動してるらしくってな。ゲーム内で俺の天気予報が良く当たってたのは、そういうわけだ