あーあ。でもよ、あの女も勿体ねえよな
寝転がっていた手下の一人が、夜空を眺めながら口惜しそうに呟く。
だなぁ。あれ、かなりの上玉だったぜ
あの長~い金髪。……貴族みてえだったな
案外、お忍びだったりして
それに反応して、他の手下たちも口を挟んだ。
まあ、もう生きちゃいねえんだろうけど……毒矢食らっちゃあな
オレは別に死んでてもいいけどな。明日あたり探したら、死体くらいは見つかるかも
死体はねーよ、流石に萎える
それが美人だとイケるもんだぜ、人形みたいでな
美人だろうがブサイクだろうが、穴がありゃ一緒だろ
でも一日経つと微妙じゃね? 硬くなってさ……
口の端に薄く笑みを浮かべた男たちが、やいのやいのと喋り出す。
(……流石に、そろそろ娑婆に出ないとな)
そんな手下たちを観察しながら、モリセットは考えた。思えばここ数週間、部外者との接触を極力避けて、リレイル地方を縦断してきた。皆―自分も含めて―女に飢えているのだ。それなりに付き合いのある手下たちだ、この程度で暴走するとも思えないが、溜め込んだままの状態はよろしくない。
(あるいは、今回でそれを解消できれば、と思ってたんだがな……)
異国の装束に身を包んだ少女。殺したのは少々勿体なかったかな、とはモリセット自身も思わないでもない。結局、性欲の解消はおろか食料の一つ、銅貨の一枚すら手に入らずにハウンドウルフを二頭も失ってしまった。
(こりゃお頭に絞られるな……)
モリセットの溜息は留まるところを知らない。
盗賊稼業をやるなら利益を出せ、被害は出すな、というのが盗賊団の頭領の指示だ。犠牲を払って利益を取り、それで採算を合わせるのではなく、犠牲が出るくらいならそもそも襲うな、と。
正直なところモリセットは、たかが二人、それも若い男女の組み合わせ相手に、こんな手痛い犠牲を払う羽目になるとは、これっぽっちも思っていなかった。
(パヴエル一人に任せたのは、失敗だったか)
今回の失敗の反省点を洗い出す。
(どうせなら弓を持った全員で、一斉にあの野郎を狙えばよかった)
青年が身に着けていた革鎧に必要以上に傷がつくのを嫌って、練習代わりにパヴエル一人に任せたのが失敗だった、と反省する。
モリセットの隊のうち、弓を装備しているのは彼自身を含めて六人。六人で同時に、そして程よく狙いをばらして射掛ければ、流石にあの男も避けきれなかっただろう。そして矢が一本でもかすれば、鏃に塗りたくった毒で無力化できる。
間抜け面の若造なんぞ、パヴエル一人で仕留めきれるはず―という、油断があった。
(忘れた頃にやってくるもんだな、油断ってぇのは……)
薄く笑ったモリセットは、空を見上げて、ふぅーっと細く長く息を吐き出した。
もはやそれは溜息ではない。次からは気をつけて全力で殺しにかかろう、と結論を出したところで、反省タイムは終了した。
さて、と気分を入れ替えたモリセットは、ぱんぱんと手を叩きながら、
よーし、てめーら。そろそろ―
寝るぞ、と手下たちの猥談を止めようとした。
カァン! と乾いた音が響く。
何だ今の、とモリセットが怪訝な顔をするのとほぼ同時、ボグンッという鈍い音が、
ぼオッ
見張りをしていた手下が、水気のある奇声を発して激しくその身を痙攣させた。
おい、どうし―
慌ててそちらを見やったモリセットの口が、驚愕にあんぐりと開かれる。
壁に寄りかかって見張りを担当していた手下―今や壊れたからくり人形のように痙攣する男の顔面に、黒羽の矢が突き立っていた。
いや、それは、ただ刺さっているのではない。頭蓋を完全に貫通し、背後の石壁にまで突き刺さっている。
文字通り男は、矢によって壁に縫いとめられていた。
なっ―
即死。あり得ない威力。
矢が石に刺さるなど。弩砲(バリスタ)でもこう容易くは―
モリセットが混乱に囚われている間に、再び乾いた快音が響き渡る。
―来るぞッ正面!
はっと我に返ったモリセットに言われるまでもなく、手下たちがさっと身を低くした。が、それを嘲笑うかのように、身をかがめた手下の一人、その胴体に無慈悲な矢が突き刺さる。
ぐおアッ
肉が引き裂け、骨の砕ける音。
背骨を折り砕かれた手下が、ぐにゃりとあり得ない方向に胴を曲げながら、吐血して倒れ込んだ。赤黒い血の泡をぶくぶくと口角に浮かばせる男は、まだ息こそあるものの―これは助からないと、モリセットは即座に見切りをつける。
素早く、足元の弓と矢筒を拾い上げた。
壁! 隠れろッ!
モリセットの号令一下、男たちは壁の陰に向かって素早く移動する。壁まで、ほんのわずか、十歩にも満たない距離。しかしその間にも、カァン、カァンと、背後から乾いた音が襲いかかり、その数の分だけ手下たちが倒れ伏していく。
モリセットのすぐ後ろでも、手下の一人がうなじを撃ち抜かれた。肉の引き千切れた首から噴水のように血が迸る。それを背中に浴びながらも振り返ることなく、モリセットは身を投げ出すようにして壁の裏側に滑り込んだ。
―クソッ、何だってんだッ!
間一髪で逃げおおせたモリセットは、大きく息をつくと同時に全身からどっと嫌な汗が噴き出るのを感じた。唯一の生き残りのハウンドウルフが、木立の闇に向かって唸り声を上げながら、モリセットに身を擦り寄せてくる。そのぼさぼさの毛を撫でつけて、モリセットは必死に荒い呼吸を抑えようと努めた。
隊長、今の、何っすか!?
知らんッ!
運よく生き残ったらしい、青ざめた顔のパヴエルの問いかけに、吐き捨てるようにして答える。自分と同様、壁の陰に隠れて身を縮こまらせる手下たちに視線を走らせ、その数を数えた。無事に逃げおおせたのは、―六人。
(ジャック、ホリー、グレッグ、ネイハム、四人もやられちまったのか!)
思わず漏れそうになった呻き声を、無表情の下に飲み込んだ。
最初、見張りを担当していたネイハムが矢を受けてから、まだ数十秒と経っていない。壁の陰に身を隠すまでのほんの僅かな間に手下のほぼ半数が矢を受けていた。しかも、そのことごとくが手の施しようのない致命傷。
っぐ……うぅ……
壁の向こう側から呻き声。まだ息のある者もいるのか。モリセットは壁の陰からそっと顔を出し、周囲の様子を窺った。
カァン、と。
慌てて顔を引っ込めると、モリセットの鼻先を白羽の矢が掠めていった。
危ッ……
上体を仰け反らしたモリセットは、腰を抜かしたように尻餅をつく。近い。ぞっとして背筋を振るわせるモリセットをよそに、矢は真っ直ぐにそばの木へと突き立った。