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…………

しばし考え、ぱちんと丸薬入れのふたを閉めたケイは、毒薬入れを開けて無造作に自分の矢を突き入れた。かき混ぜる。鏃に付着するどす黒い液体―そして、自然にそれを弓につがえ。

放つ。

軽い音が共に、モリセットの左ふくらはぎに矢が突き立った。暗い木立に、再びかすれた悲鳴が響き渡る。

―なっ、なんでっ

お前が本当のことを言っているか確かめたい

いよいよ顔面を蒼白にして呻くモリセットに対し、淡々と言い放ったケイは、自前のポーチから赤色の丸薬を取り出した。無造作に、モリセットの眼前に放り投げる。

死にたくないなら飲め。それも”隷属”系の特効薬だ

…………

ハッハッ、と荒い息遣いのモリセットは、しばし視線を丸薬とケイの間で彷徨わせた。

しかし結局、のろのろとした動きでそれをつまみ、口に入れ、飲み込む。よほど酷い味なのか、顔を歪ませたモリセットがえずくような声を上げる。

…………

数秒、数十秒と過ぎても、モリセットの体調に異変はない。毒は隷属系、という事実に嘘はないようだった。このとき初めて、ケイは少し気を緩める。

……どうやら本当らしいな

……当たり前だ、……この期に及んで、つまらん嘘など……

足の傷の失血が響いてきたか、青白い顔でモリセット。

……その素直なところは評価する

じゃ、じゃあ……

わずかに希望の色を見せるモリセット。ケイは無言のまま、矢筒から新たな矢を引き抜いた。それを見たモリセットは再び滝のように冷や汗を流し始める。

お前に、もう用はない

なぁっ!?

無慈悲なケイの言に、モリセットが目を剥いた。

たっ、助けてくれるッて……

『助ける』とは一言も言っていない。『チャンス』と言っただけだ

冷たく言い放ち、ぎりぎりと音を立てて弓を引き絞る。

お前には『正直に真実を話すチャンス』をくれてやっただろう

そんな……

ケイの目を見て、そこに一切の希望がないことを悟ったのだろう、モリセットは唇をわななかせる。死神の足音が、すぐそこまで迫っていた。

そんなッ……あんまりだ……!

憎々しげなモリセットの呟きに、ケイは表情を険しくする。

……もはや、抵抗するすべを失った相手だ。

本当に殺すのか? と心の中で。

そんな風に、ささやく声が。

だが、逃がすのは論外だし、手当をしなければどうせ死ぬ。

そして手当をしてやる時間も義理もない。

ならば。

―そもそも、こいつは俺を、俺たちを殺そうとしたのだ。

そう、自分に言い聞かせ。

ためらいを振り払った。

心を鬼にした。それを自らに強いる。

……許すわけにはいかない。死ね

快音。

モリセットが最期に見たのは、自身に迫る銀色の光。

そして弓を構えるケイの背後に、なぜか、羽衣をまとった少女の姿を幻視した。

ひどく無邪気で、それでいて妖しい笑顔を浮かべる少女の姿を。

瞬間、水音を立て視界が真っ赤に染まり、意識が弾け飛んだ。

どちゃり、と地に崩れ落ちるモリセットを背に、ケイは急いでミカヅキの元へと走る。

全く身じろぎしない、褐色の毛並みのバウザーホース。その傍らに膝を突き、名前を呼んで首元に手を当てたケイは、しばしの沈黙のあと クソッ と毒づいて下唇を噛んだ。

ミカヅキの身体に、生命の鼓動はなかった。

抜け殻のようになったミカヅキ。目を閉じたまま、口から少量の血の泡を吐いて、息絶えている。

ミカヅキの胴に刺さった矢を見たときから薄々思ってはいたが、例え毒矢でなくとも、これはもう助からなかったかも知れない。狙い澄ましたかのように、腎臓と肝臓のある位置がやられていた。ポーションが数瓶はないと、とてもではないが治療しきれなかったであろう。

……痛かったろうな。ごめん

たてがみを撫で、語りかける。遺体を目の前にして、今更のようにじくじくと罪悪感が湧いて出てくるが、ケイには乗騎の死を悼む時間がなかった。

村の方角を見やる。

立ち上がろうとして、ふらついた。体が妙に重いことに気付く。

肉体的にも、精神的にも、ケイは限界寸前まで疲弊していた。当然かもしれない。異世界で、人生で初めてだらけのことに直面し、とうとう殺人にまで手を染めてしまった。

(……いや、だが、これはおかしい)

ただ疲れたにしては―妙な感覚がある。まるで、バケツに開いた穴から少しずつ水が漏れ出ていくような、そんな感覚が。

そこで、はっと気付いた。

(まさか……毒か?)

ケイ自身、盗賊たちとの戦闘で少なからず負傷している。思い出すのは短剣使い、無意識のうちにケイは首の傷に手を伸ばした。

奇襲や暗器のナイフなど、あのような搦め手を使う男が、毒の使用を避けるとは考えにくい。傷はそれほど深くないので、毒も微量しか盛られなかったのだろう。念のため、ポーチのケースから、赤色の丸薬を取り出して飲み込んだ。

……ぅぇ

たしかに、酷い味だった。ポーションなど比較にならないほど。吐き気を催したが、若干、身体が軽くなったような気もした。思い込み(プラシーボ)効果に過ぎないかも知れないが……。

……さて、

改めて村の方角を向き、ケイは考える。ここからタアフの村までは、ミカヅキをトップスピードで走らせて十分弱かかった。人の足ではどれほど時間を食うか―自分が村に戻るまで、アイリーンがもつか。

厳しいな……

ふぅ、と小さく溜息をついたケイは、そっと右手を首元に伸ばす。こうなれば、最終手段を使うしかない。ごそごそと首の周囲をまさぐり、篭手越しに細いチェーンを探り当て、ケイは胸元からネックレスを引きずり出す。

銀のチェーンの先には、薄緑色に透き通った、親指の爪ほどもある大粒のエメラルド。

それだけでひと財産になるような、最高級の品だ。ケイは右手にぶら下げたそれを眺め、ミカヅキの遺体に視線を移した。

……ミカヅキがいるんだから、お前も来てるんだろ

頼むぞ、と祈るような呟き。

Mi dedicas al vi tiun katalizilo.

囁くように”宣之言(スクリプト)“を唱え、そっとエメラルドに口づける。

直後。

くすくすくす、と。

押し殺したような、小さな笑い声が聴こえた。

何処から、とも言えない。

くすくす、くすくす、と。

草原の葉を揺らす風の音とともに。

ケイの周りを、あらゆる方向から、取り囲むように。

― Kei ―

耳元。

― Vi estas vere agrabla ―

耳朶を蕩かすような、甘えた囁き。

ピキッ、と小さな音が響いた。

手元。ぶら下げたチェーンの先、エメラルドに無数の傷が走っている。