・怪物を殺しに行く
・力を貸してほしい
要はこれだけなのだ。思っていたより自分は言葉を飾っていたらしい、と気づいたケイは、思わず苦笑しそうになったが、この場面で笑うとあらぬ誤解を与えかねないので、真剣(シリアス)な表情の維持に努めた。
巫山戯(ふざけ)ているわけではない、決して。
だが、苦境に陥ると、人は時として笑いたくなる。不思議なことに。
…………
マンデルは、腕組みしたまま黙って考え込んでいた。
お父さん……
どうするの……?
背後から、娘たちがおずおずと声をかけてくる。動揺、困惑、そして恐れ。父親が危険極まりない冒(・)険(・)に連れ出されようとしている。心配するのも当然だ―娘たちがケイを見る目にも、怯えの色が浮かんでいた。
自分が平和な家庭を乱す疫病神に思えてきて、ケイは罪悪感に苛まれると同時に、断られたらスパッと諦めよう、と改めて決意した。
正直なところ
やがて、マンデルが口を開く。
力になりたいのは、やまやまだ。……しかしおれが、 深部(アビス) の怪物相手に、何かできるとは思わない
見てくれ、と手に取ったのは、使い込まれた短弓(ショートボウ)だ。
おれの相棒だ。……取り回しはいいが大した威力はない。普通の野獣、それこそ猪でも、当たりどころが悪ければ矢が刺さらないような代物(しろもの)だ
ことん、と机の上に置かれる短弓。優美な曲線を描くリムは艷やかな光沢を帯びており、日頃からマンデルが丁寧に、そして愛着をもって手入れしていることが窺い知れた。いい弓だ、とケイは思う。
しかしこのマンデルの口ぶり。 自分では力になれない ―つまりはオブラートに包んだ不承諾(おことわり)だと解釈したケイは、 そうか…… と諦めようとした。
だが
マンデルは言葉を続ける。
そんなこと、ケイは百も承知のはずだ。……おれの短弓では威力が不足していることくらい、わかっているだろう? そ(・)の(・)上(・)で(・)、頼んできた
ずい、とマンデルは身を乗り出す。
おれに、何をさせたいんだ? ……教えてくれ、ケイ
その目にあるのは―面白がるような光。
マンデルは、知っている。
自分は決して英雄の器ではないと。
だが、眼前の青年、ケイは違う。凶悪極まりないイグナーツ盗賊団の一味を単身で撃破し、 深部 の怪物・森の王者”大熊(グランドゥルス)“を一矢で仕留め、武闘大会の射的部門でも文句なしの優勝を果たした英雄だ。さらには風の精霊と契約しており、魔術にも造詣が深い。
そんな傑物が―自分に助太刀を頼みに来た。
それだけでも身に余る光栄だが、 なぜ という疑問が先立つ。今しがた語った 自分では力になれない という言葉は、悔しいが、偽らざる思いだ。地を駆ける竜、暴威の化身、 深部 の怪物―もはや天災とさえ呼ばれる”森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“を相手に、自分がいったい何をできるというのか?
―いや、もしかすると。
―『何か』が、できるのか?
―こんな自分にも?
マンデルは、胸の内に、めらっと小さな炎が灯るのを感じた。
ケイの人間性はよくわかっている。自分に声をかけてきたのは、決して囮や肉壁をさせるためではないはずだ。『狩人のマンデル』に、『何か』を求めているのだ。 深部 の怪物と、戦うために―
忘れてはならない。
このマンデルという男。
一見、冷静沈着で落ち着き払っているが。
武闘大会でケイと弓の腕前を競う程度には―
誉(ほま)れを求めている。
果たしてケイは、マンデルの期待に応えた。
……“森大蜥蜴”は恐るべき怪物だが、弱点がある
机の上で手を組み、ケイはおもむろに切り出した。
“森大蜥蜴”の成体は、小さくても10メートルを超える。村長の屋敷がそのまま這いずり回るようなものだ。それでいて動きは素早く、突進を食らえば人間なんてひとたまりもない。さらには鼻先に、生物の熱を感じ取る器官まで備えている。そのお陰で、たとえ暗がりの中でも、獲物の位置を正確に察知できるんだ
……弱点に聞こえないのだが?
裏を返せば、それを潰せばヤツは大幅に弱体化する
ケイは組んでいた手を解いて、とんとん、と指で机を叩いた。
本質的に、ヤツは『でかいトカゲ』だ。ゆえに寒さに弱い
“森大蜥蜴”は昼行性の変温動物だ。 深部(アビス) の怪物だけあって、多少の気温の変動ではビクともしないが、それでも体温を急激に下げられれば劇的に動きが鈍くなる。
そして俺は、サティナに氷の魔術師の友人がいる。彼に魔法の矢―対象を凍てつかせる”氷の矢”を、可能な限り注文しておいた
魔法の矢、と聞いて、マンデルが目を見開く。
今頃、アイリーンの依頼を受けたコウが、大急ぎで水色の宝石(ブルートパーズ)に魔力を込めているだろう。魔力が尽きるギリギリまで可能な限り作ってくれ、と無茶な注文を出したが、あのコウのことだ。十数本は確保してくれるはず、とケイは踏んでいる。
ヤツが姿を現したら、しこたま氷の矢を撃ち込んで体温を下げる。動きが鈍くなれば、弱点を射抜きやすい。ここで重要なのは、短時間でできるだけ多くの氷の矢を、体の各所に打ち込むことだ。しかし俺が一人で射るには限界がある―
ここまで語れば、わかるだろう。
多人数で、多方面からの射撃。必要なのは矢を命中させる確かな腕前と、化け物の前でもビビらないクソ度胸。そして俺が知る限り、それをできるのは―あんたしかいない、マンデル
―だから、手伝ってほしい。
ケイにまっすぐ見つめられ、マンデルの身体に力がみなぎった。目を見開き、知らず識らずのうちに拳を握りしめ、口元には獰猛な笑みが浮かぶ。
―俺でよければ
! ありがとう!
……と、言いたいところだが
ふにゃっと体から力を抜いて、マンデルが椅子の背に身を預ける。思わぬ肩透かしを食らったケイは、ズルッと滑り転けそうになった。
だ、だめなのか?
おれとしては俄然、加勢したい。……だがおれは、この村の狩人だ。おれの一存で村を留守にするわけにはいかない
許可が必要だ―とマンデルは言う。
誰の許可か?
言うまでもない。村長だ。
わかった。つまり了解が取れればいいわけだな?
そういうことだ。……早速、行くか
そそくさと席を立つ二人だったが、 待って! と悲鳴のような声。
いやだよ! やめてよ、お父さん!
声を上げたのは、マンデルの娘の一人―意外にも、そのうち年下の、気の弱そうな方だった。上の娘が ちょっと、ソフィア― と慌てて押し留めようとするも、それを振り払い涙目で叫ぶ。
ぜったい危ないよ! 行かないで!!
ソフィア。……案ずることはない、ケイは公国一の狩人だ。“大熊”と不意に遭遇しても、たったの一矢で仕留めた男だぞ? ましてや今回は、魔法の矢まで用意して狩りに赴くんだ。滅多なことは起きないよ