―お義父様
と、背後から、か細い声がかけられる。
振り返れば、色白の美しい女が顔を覗かせていた。ダニーの妻シンシアだ。まだ妊娠四ヶ月で、ゆったりとした服を着ていることもあり、その腹は目立たない。
美人薄命―というわけではないが、これまで、シンシアは気を抜けばふっと消えてしまいそうな儚い雰囲気をまとっていた。だが、妊娠して以来、少しずつ生命力に満ちてきているように思える。やはり母は強し、ということか―
どうかしたかの?
お客様みたいです
シンシアの知らせに、ベネットは顔をしかめた。
ベネットはあまり、この手の来訪者が好きではない。シンシアが『お客様』と呼ぶからには身内ではなく、定期的に村を訪ねてくる行商人でもない。その『客』とやらは何かしら『用事』があってこの村にやってくる。そしてその『用事』は、往々にして厄介事だ。
客人かのぅ……ジェシカや、おじいちゃんは、ちょっとお客さんの相手をしてくるからね。おとなしくしてるんじゃぞ
ん~~……わかった
存外、聞き分けのいいジェシカは、こてんと首を傾げてから、頷いた。その様子がまた可愛らしく、ベネットはニコニコと笑う。
シンシア、のどかわいた~!
はいはい。じゃあ、お茶でも淹れましょうね
そんな二人の声を背後に、玄関へと向かうベネットは好々爺然とした、よそ行きの表情を貼り付ける。誰が来たんだ、などと思いながら外に出ると―
―やあ。久しいな、村長
待ち受けていたのは。
……ケイ殿
ベネットにとって、深い因縁がある異邦の青年だった。
†††
村長宅のリビングに、村の主だった面々が集っている。
村長のベネット。その次男、クローネン。狩人のマンデル。そしてケイだ。
いやはや、お久しぶりですなケイ殿……
席についたベネットが、ニコニコとにこやかに笑いながら言う。
そうだな……半年ほどにもなるか
長かったような、あっという間だったような。この村を訪れた転移直後のことを思い出し、ケイも感慨深く思う。
(イグナーツの報復がなくてよかった……)
イグナーツ盗賊団の構成員を二人、仕留めきれずに逃したこと。あのまま逃げ帰ったのか、それとも野垂れ死んだのか―定かではないが、タアフ村が無事だったことは確かだ。当時、タアフ村より自分たちの身の安全を取ったことに関して、罪悪感がないと言えば嘘になるが、後悔もしていない。
ただ、せめて罪滅ぼしとして、今回は村側に花を持たせられれば、とは思う。
ところで、ダニー殿は?
リビングの面々に、次期村長たる男の顔がないことに気づき、ケイは素朴な疑問を投げかける。ベネットがビクッとしたような気がした。
あ、ああ……倅は今、ちょうどサティナに買い出しに出ておりまして……
おお、そうだったのか
自分はサティナから来たというのに、入れ違いのようで少し可笑しくもある。
まあ、ダニーはアイリーンへのセクハラ疑惑もあり、会っても気まずいだけなのでこの場にいなくて良かったかもしれない。
……などとケイはのんきに考えていたが、ケイがダニーに言及した時点で、タアフ村の面々は充分に気まずそうであった。
最初、この村に訪れたときは、右も左もわからず苦労していたところ、助けていただいて感謝している。お陰様で、今はアイリーンも俺も元気でやっているよ。改めてありがとう
なんのなんの。お礼を申し上げなければならぬのは手前の方です、孫娘を救っていただいただけではなく、今でも大変お世話になっているようで……
ベネットが深々と頭を下げる。
―孫娘、と言われてすぐにはわからなかった。
しかし思い出す。ベネットの娘、キスカ。そしてキスカの子がリリー。
(そういや祖父と孫の関係なのか……)
ベネットとは転移直後の数日しか付き合いがなく、逆にリリーは誘拐事件に魔術の弟子にと深い関わりがあるので、ベネットとリリーが頭の中で結びついていなかった。ケイにとっては、ベネットの孫というより木工職人モンタンの娘、という印象が強いこともある。
リリーは……元気にしているよ。一時期は、落ち込んでいたが……
事件のトラウマか、はたまた麻薬への依存症か―精神的に不安定で、しきりに蜂蜜飴を求めていたリリーだが、近ごろは魔術の修行に打ち込んでいることもあり、かなり改善の傾向が見られている。
以前のように、明るく笑ってくれることも増えてきた。
最近、リリーは精霊語の勉強を始めたんだ。彼女はとても物覚えがいい。精霊と契約さえできれば、将来は立派な魔術師になるだろう。俺が保証する
現在、ケイとアイリーンが二人がかりであれこれ教えている。それになんといっても、将来的には”黒猫(チョンリーコット)“による魔力鍛錬も解禁する予定だ。魔術は才能よりも、知識と鍛錬が物を言う世界。その鍛錬の部分を安全かつ堅実にこなせるのだから、成長は確約されたようなものだ。
そうですか……あの子が、魔術師に……
ベネットは、あまり実感が湧かない、と言わんばかりの表情で頷いている。その隣のクローネンに至っては、別世界の話を聞くような顔でポケーッとしていた。
実のところ、ワシはリリーが赤子のころ、一度顔を合わせたのみでしてな。あの子が今どんな風に成長したのか、いまいちピンとこんのです
ああ……なるほど。そうそう気軽に行き来はできないしな
ケイのように騎馬をぶっ飛ばしても、数時間はかかる道のりだ。ベネットに騎乗の心得があるかはしらないが、村には農耕馬が一頭しかいなかったし、基本的に移動は徒歩になるだろう。
あの距離を歩くのは骨だな、と思い返しながら、ケイは頭をかく。
すまない、気が利かなかったな。キスカの手紙の一つでも配達できればよかったんだが、俺も急いで来たもので―
―お茶をお持ちしました
と、リビングの扉がノックされ、ポットと木製のコップを載せたトレイを手に、色白の麗人―シンシアが姿を現す。
おっと
腕組みをして黙っていたマンデルが、素早く席を立った。
身重(みおも)のご婦人のお手をわずらわせるのは、しのびない
そう言って、紳士的にシンシアからトレイを受け取るマンデル。
……
しかしシンシアは礼のひとつも言わず、サッと顔を背けてリビングを出ていってしまった。目すら合わせないとは、随分冷たい対応だ。あのシンシアという女性、かなり礼儀正しい人物であったと記憶しているが、あんな人だっただろうか……? と疑問に思うケイをよそに、マンデルは気にした風もなく、各人の前にコップを置き、茶を注いでいった。