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マンデル、どうかしたのか?

いや……

心配するケイに、マンデルは渋面を作った。

これだけの距離を駆けるのは初めてなんだ。……股が痛くなってきた

顔を見合わせたケイとアイリーンは、 あー…… と事情を察する。

乗馬とは、特殊技能だ。

馬への指示の出し方はもちろん、馬上で揺られ続けるため特殊な筋肉を使う。衝撃を受ける腰や太腿、尻なんかも、慣れがなければ痛みで悲鳴を上げ始める。

ケイとアイリーンは、ゲーム時代から乗馬に親しんでいた上、『完成された肉体(アバター)』を引き継いでいるのでその手の苦しみとは無縁だ。だが、こうして実際に苦しんでいる人間を前にすると、ずる(チート)しているような感覚に襲われてしまう。

……かなり痛むのか?

ま(・)だ(・)、それほどではない。……だがこのペースで進むとどうなるかわからん

マンデルは意地を張るでもなく、正直に申告した。

少し、不安だ。……今は平気だが、開拓村に着く頃には足腰立たなくなっていました―では笑えないからな。絶対に無理はできない

強がることなく話しているのは、そういうわけだ。

忘れてはならない。ヴァーク村へたどり着くことが目的ではなく、そこで”森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“と戦える状態にあることが重要なのだ。

せっかく騎馬で移動できるというのに、足手まといになるようでは本末転倒だ、とマンデルが嘆息する。

馬まで用意してもらったのに、この体たらく。……自分で自分が情けない

……仕方ない、こればかりは慣れの問題だ

マンデルを責める気にはとてもなれず、ケイも慰めの言葉をかける。ゲーム由来の肉体で苦労していない自分が言うと、どこか薄っぺらく感じられた。

最悪の場合、おれを置いて先に行くことも視野に入れてほしい……

痛恨の極みの表情で、絞り出すように言うマンデル。確かに、ここでマンデルに合わせてペースを落としては、ここまで急いできた意味がない。

そっか……じゃあ、これ使ってみてくれよ

何やら腰のポシェットをゴソゴソと探ったアイリーンが、金属製の小さなケースを取り出した。

これは?

軟膏だ。―『アビスの先駆け』を使った傷薬

声を潜めて、囁くようにアイリーン。

これもまた、レシピを覚えていたアイリーンが試行錯誤して調合した品だ。体力回復薬とは違い、傷を癒やす治療薬になっている。もちろんその効能は、高等魔法薬(ハイポーション)とは比べるべくもないささやかなものだが……塗れば効果を発揮するので、少なくともゲロマズフレーバーは味わわずに済む。

太腿に塗れば、かなり痛みが引くはずだ。痛み止めじゃなくて治療薬だから、乗馬の揺れにも適応できるかも

アイリーンに押し付けられるようにして軟膏を受け取ったマンデルは、おっかなびっくりといった様子でケースを撫でた。

これは貴重なものでは? ……戦いに取っておくべきだろう

いや、正直あまり意味がない

首を振って否定したのはケイだ。

“森大蜥蜴”相手に戦うなら、その程度の傷薬が活躍できる場面がないのさ。無傷で生き残るか、即死するかの二択だ

淡々と、『事実』として語るケイに、マンデルがごくりと唾を飲み込んだ。

そうか。……わかった、使わせてもらおう

頷いたマンデルがその場でいそいそとズボンを脱ぎ始めたので、アイリーンが慌ててそっぽを向く。困ったような顔で ワイルドだぜ…… と口を動かすアイリーンを見て、ケイは思わず笑ってしまった。

……しかし、マンデルはどうして馬に乗れるんだ?

太腿に軟膏を塗り込む姿を見ていて、ケイはふと疑問に思う。

マンデルは、狩人だ。それも森のそばの田舎村の住人だ。主に森の中で活動する彼は、本来馬に乗る必要があまりない。そんな彼がなぜ、そしていかに乗馬の技術を身に着けたのか、不思議だった。

ああ……

入念に局部にも塗っていたマンデルは、その手を止めて、遠い目をする。質問しておいて何だが、ズボンは早く穿いてほしい。

昔、習ったんだ。……草原の民からな

マンデルの答えは意外なものだった。 草原の民から? とオウム返しにするケイとアイリーン。公国の平原の民と、草原の民は仲が悪かったのでは―

昔は、普通に交流があったんだよ。……10年前の”戦役”、草原の民の反乱が起きるまでは……

その口調は、懐かしむような、寂しがるような。

タアフの、おれくらいの歳のヤツはみんなそうだ。……昔、村に物々交換にやってくる部族がいた。気さくで、優しい連中だったよ。村にやってくるたび、当時ガキだったおれたちに、手取り足取り乗馬を教えてくれたんだ……

じっと自分の手を―弓を引き慣れ、あざになった指先を―見つめながら、ぽつぽつと呟くようにマンデルは言った。

だが、“戦役”で争うことになった。……仲が良かった部族とも刃を交えた。彼らは今、草原の奥地に引きこもっていて、滅多に姿を現さない。村との交流も完全に途絶えてしまった……

ため息交じりに語り、マンデルは再び軟膏を塗り始めた。

そう、だったのか……

転移当初、草原の民と誤認されかけていたケイに、マンデルは公平な態度で接してくれた。そしてケイが草原の民ではないことを見抜き、様々な助言もくれた。

マンデル自身は、“戦役”で徴兵され、平兵士から十人長に昇格するほど活躍していたらしい。その胸中がどれだけ複雑だったことか―

ふむ。……なるほど、この軟膏はよく効くな……!

ぺちぺち、と太腿を叩いたマンデルが、感心したように言う。

ありがとう。……かなり楽になった。このままのペースでも大丈夫そうだ

礼を言いながら、軟膏のケースをアイリーンに返すマンデル。散々局部に軟膏を塗り込んだ手で、そのまま。

あ……いいよ、そのケースは持っておいてくれ、まだ使うだろ?

む、そうか。……わかった、じゃあそろそろ行こう。おれのせいで休みすぎた

マンデルが立ち上がり、荷物袋に軟膏を仕舞ってから、ひょいと灰毛馬に跨る。

もう痛がる様子はなかった。軟膏の効き目は確からしい。

そうだな。行こうぜ

ちょっと待ってくれ、サスケに馬具を付け直す

手早く準備を整え、ケイたちは再び出発した。

それから、以前のペースで進んでも、マンデルは 少し痛む 程度で平気なようだった。むしろスズカの疲労具合の方が心配だったほどだ。

休むことなく駆け続け、日が暮れる前には、シュナペイア湖に面するユーリアの町に到着した。

相変わらず、清らかな湖とは対照的に、猥雑な雰囲気で満ちた町だ。行商人やその護衛、彼らを相手にする物売りや芸人、娼婦などで賑わっている。前回、ここを訪れたときは領主の館に呼び出され、アイリーンが 夫に黙って愛人にならないか? などと誘われたりしたものだ。ケイの面前で。