(アイリーンはどうした……!?)
ケイもまた、愛する彼女の姿がないことに、心臓を冷たい手で掴まれたような感覚に襲われる。しかしよくよく見れば、雌竜を背後から必死で追いかけるアイリーンの姿があった。
無事だ。アイリーンは無事だ。
しかし安心している暇はない。一度、“森大蜥蜴”の注意が別のものに強く向いてしまえば、アイリーンはその敵意(ヘイト)を奪い返す手段を持たない。
―逃げろッ!
ケイは叫んだ。このままではマンデルたちが背後から襲われる。雌竜の接近に気づいた彼らも、泡を食って距離を取ろうとしているが、間に合わない。自分が前に出て引きつけるしかない。だが雄竜はどうする。深手は負わせたが、まだ絶命するほどではない―
グロロロ……ルロロロォァアアアアアッッ!
ケイたちの動揺を感じ取ったか。あるいは、相方の声に勇気づけられたか。
雄竜もまた、戦意を取り戻す。満身創痍の身体に、再び怒りと狂気を宿す。
グロガアァァァアアアアア―ッッ!
その巨体を振り回し、尻尾を薙ぎ払った。
地表がめくれ上がり、土砂が撒き散らされる。
土や砂だけならいいが、地中の石ころも凄まじい勢いで弾き飛ばされていた。マンデルたちの叫びがかすかに聞こえ、ケイの視界にもズッと黒い影が差す。
まず―ッ
土に紛れて、木の切り株が飛んできていた。
咄嗟に矢を放つ。ビシィッ、と命中した矢が衝撃のあまり砕け、切り株の軌道も僅かに逸れる。風の唸りを耳元に感じながら、間一髪のところで回避した。
マンデル―ッ! 無事か―ッ!?
ぱらぱらと降り注ぐ土砂を振り払い、サスケを駆けさせながらケイは叫ぶ。
なんとか……!
返事があった。土煙が晴れてみればごっそりと辺り一帯が掘り返されている。苦労して掘った落とし穴も、丸ごとえぐられるか土で埋め戻されるかのどちらかで、最早何の役にも立たない。
ロロロロ……という唸り声が響いた。
ぞわっ、と背筋に悪寒が走る。
サスケ!
ぐいっ、と手綱を引く。サスケがまるでカモシカのように跳ねる。
ガチンッ、という死神の鎌の音が背後から聞こえた。あるいは地獄の門が閉じる音か。生臭い息を感じるほどの至近、いつの間にか距離を詰めていた雄竜が噛みつこうとしていたのだ。
ロロロ……ッッ!
真っ黒な目、視線と視線がぶつかり合う。
馬鹿め
惜しかったな、という称賛と、よくぞここまで近づいたな、という歓喜が混じり合い、ケイはそんな言葉を吐いた。
Dodge this(避けてみろ)
この距離。流石に外さない。
目にも留まらぬ一撃は”森大蜥蜴”の専売特許ではない。素早く”竜鱗通し”を構えたケイは、快音、いとも容易く左目を射抜いた。
グルガアアアアァァ―ッ!
激痛と視覚の喪失に、絶叫した雄竜が闇雲に暴れ回る。これだけ矢を射てようやく抜いたか、という疲労感。折角なら”氷の矢”をブチ込んでやればよかった、と今さらのように思ったが、時既に遅し。
いい加減、くたばれ……ッッ!
首元や胴体に、長矢をブチ込む。ここまで連続して”竜鱗通し”を使ったのは馬賊と戦って以来だ、腕の筋肉が引きつったような感覚がある。早くケリをつけなければ、そろそろ雌竜もこちらに来るはず。
―は?
そう思って、チラッと視線を向けたケイは、唖然とすることになった。
伴侶の危機に怒り狂い、猛進する雌竜。
その進行方向に、立ちはだかる者がいたからだ。
右手に携える投槍器(アトラトル)―
何をやっている、ゴーダン!?
臨戦態勢で投槍を構えているのは、ゴーダンだった。
風の精霊よッ! ご照覧あれッ!
地響きを立てて迫る巨竜を前に、ゴーダンは叫ぶ。
俺の槍は―!
投槍器(アトラトル)を握る手に力を込める。
狙いを違わず―!
全身をバネにして、持てる力を全て注ぎ込む。
突き刺さるんだぁ―ッッ!
投じた。
真正面から、唸りを上げて槍は飛ぶ。
激しく首を振り、突き進む竜めがけて。
それは芸術的なまでに美しい放物線を描き―
“森大蜥蜴”の額。
『第三の目』と呼ばれる、最も脆い部分を貫いた。
―ルロロロロァァァァァァッッ!
ビクンッ、と体を震わせ雌竜が絶叫した。
わずかにたたらを踏み、速度が減じる。
そして突進の方向も少しだけ逸れた。
ゴーダンッ!
だからケイが間に合った。
自らがもたらした一撃に茫然自失していたゴーダンを、襲歩(ギャロップ)の勢いもそのままに、馬上から蹴り飛ばす。
グがっ
悲鳴にもならない声を上げ、吹っ飛ばされて地面を転がるゴーダン。その目と鼻の先を雌竜の巨体が過ぎ去っていく。まるで列車が通過したかのような風圧、あのまま突進を食らっていればゴーダンは挽き肉になっていただろう。
すまん、許せ!
しかし騎馬の突撃の勢いで蹴り飛ばされれば、無傷では済まされない。衝撃と痛みでゴーダンは悶え苦しんでいる。ケイも、ゴーダンがせめてもう少し小柄なら、馬上に引き上げるなり引きずって走るなり、もっとやりようもあったのだが。
流石に大柄すぎて、このような手段を取るしかなかった。
立てるか!?
ど、どうにか……
村の方に逃げろ! もう槍は使い切っただろ!
まさしく奇跡的な一撃だったが、あれが最後の槍のはずだ。
わ、わかった……
よろよろと立ち上がったゴーダンが、頼りない足取りで村の方へ逃げていく。
ゴーダン! 見事な一撃だった! あとは俺に任せろ!!
その背中に声をかけると、チラッと振り返ったゴーダンは、この上なく誇らしげな顔をしていた。
微笑み返してから、ケイは改めて、二頭の巨竜に向き直る。
ちょうど、頭を振って額の槍を振り落とそうとする雌竜に、満身創痍の雄竜が寄り添うところだった。
舌を伸ばし、額に突き刺さった槍をどうにか抜き取る雄竜。
毒の痛みが酷いのか、雄竜に頭を擦り付けながらぶるぶると体を震わせる雌竜。
二頭の、憎悪のこもった視線が、ケイに突き刺さった。
ぶるるっ、とサスケが鼻を鳴らす。
ケイも、背中にじっとりと嫌な汗が滲んでいた。
それほどまでに、凄まじいプレッシャーを感じる。
もはやケイとサスケ以外、眼中にないといった雰囲気だ。
槍はゴーダンの仕業なんだがな……
そう呟くも、通じるはずもなく。
横目で見れば、ゴーダンは無事に村の方へと逃げおおせたようだ。ゴーダンが目をつけられるよりかは、まだ自分に敵意(ヘイト)が向いている方がいい。ずっとマシだ。