さて……ケリをつけようか
腰から長矢を引き抜く。
つがえる。引き絞る。放つ。
何千、何万回と繰り返した動作。
カァンッ! という高らかな快音が均衡を打ち破り、再び、死力を尽くす闘いが始まった。
†††
みんな! 無事か!
汗だくになったアイリーンは、マンデルたちの元へ駆けつけた。
尻尾の薙ぎ払いにやられ、全員、土まみれのひどい格好だ。
無事だ、……おれは、どうにか
俺もだ! しかし、クソッ、ほとんど何もできていない!
言葉少なにマンデル、歯噛みするロドルフォ。
アッシは、情けねえ話、ですが、ちと骨をやっちまいまして……
キリアンが胸を押さえながら、苦しげに呻く。どうやら薙ぎ払いで飛ばされた石塊か何かが直撃してしまったらしい。
しかし……これ以上、おれたちは何をすればいいんだ
マンデルは無力感に苛まれているようだった。
その視線の先では、サスケを駆るケイが二頭の竜に追いかけ回されている。ケイは”氷の矢”や長矢で脚部に集中砲火を浴びせ、“森大蜥蜴”たちの機動力を削り取りながら、挟み撃ちにされないよう巧みに立ち回っているようだ。
雄の方は、たぶん時間の問題だ。そのうち力尽きると思う。問題は雌の方だな、額に槍がぶっ刺さったのはかなりキ(・)く(・)だろうが、致命傷にはほど遠い
アイリーンは、ケイの危機にジリジリとした焦燥感を覚えながらも、冷静に言葉を紡ぐ。
で、だ。オレに考えがある
すぐに援護に向かわず、こちらに戻ってきたのは、そのためだ。
キリアンの旦那、例の毒はまだあるか?
へ? そりゃ、ありやすが……
痛みで顔をしかめながら、キリアンが腰のポーチから小さな壺を取り出す。厳重に布でくるんでいたお陰か、衝撃で割れずに済んだようだ。
よし。ありったけくれ
これが目当てだった。率直に求める。
あの雌トカゲをブッ殺す
アイリーンの目は、完全に据わっていた。
97. 果敢
アイリーンは、しゃらりとサーベルを抜き放つ。
そしてキリアンから受け取った毒壺を傾け、どろどろとした黒い毒を全て鞘の中に流し込んだ。
コイツを、
ぱちん、とサーベルを鞘に戻し、しゃかしゃかと振り回すアイリーン。毒液を刃によく馴染ませる。
―アイツの目ン玉にブチ込んでやる
アイリーンの得物はサーベルと投げナイフだ。こんなちっぽけな武器で”森大蜥蜴”に致命傷を与えるには、それこそ眼球のような弱点を狙うしかない。無論、暴れる”森大蜥蜴”に接近戦を挑むなど、無謀以外の何物でもないが―
目を狙う、か……俺もやる、やってやるぜ
唸るようにしてロドルフォも言う。
ちらっと横目で見やるのは、村の方だ。自分たちが必死で戦っているというのに、物陰からこちらを覗き見る野次馬の姿がちらほらあった。なまじケイたちが善戦していたために、好奇心が恐怖を上回ってしまったらしい。
それは固唾を呑んで見守る村人たちであったり、探索者たちであったり、伝説を見逃すまいと目を血走らせたホアキンであったり。正直、村の未来がかかっている住民たちは仕方ないとしても、物見遊山な探索者たちの目は煩わしく感じられた。
―なぜ煩わしく感じられるのか?
決まっている。大して何もできていないからだ。
衆目にさらされる無力な自分が、我慢ならないのだ。
このまま引き下がれるかってんだ……!
ロドルフォは歯噛みする。自他ともに認める自信家で(・)あ(・)っ(・)た(・)ロドルフォは今、その自尊心を著しく傷つけられていた。
本当に何もできていない。
栄誉を求め意気揚々と参加した”森大蜥蜴”討伐だが、蓋を開けてみればペチペチと遠巻きに矢を射掛けただけ。魔法の矢はケイからの貰い物、自らの矢は”森大蜥蜴”の強靭な皮膚に歯が立たず弾き返された。
無力感に苛まれているのはマンデルも同じだが、彼はまだ、ケイに頼られている。ケイから魔法の矢のキラーパスを受けて、それでも慌てることなく命中させしっかりと仕事をこなしている。
だがロドルフォには何もなかった―弓の腕前が信用ならないからだ。ケイはロドルフォを頼らなかった。弓の命中率の低さは自覚しているものの、それでも、やはり屈辱ではあった。
加えて、ゴーダンの蛮勇だ。突進する”森大蜥蜴”の前に立ちふさがり、見事、額の弱点に槍でぶち抜いた―まるで英雄譚の一節ではないか。
それにひきかえ、自分は……。
この大物狩りの舞台で、主役を張ろうなどとは思っていない。だがせめて名のある脇役にはなりたい。そのためには、多少の無茶もしよう。ここで退いては男がすたるというものだ。
ロドルフォはまだ、己の可能性を信じていた。
それに命を賭す価値があるとも。
……おれもやろう
と、重々しく、マンデルも頷いた。
それは一種の義務感から出た言葉だった。ケイを助けねば―タアフ村まで助力を請いに来た、彼の期待に応えねばという思い。マンデルはロドルフォほど楽天的ではなく、死の香りを感じ取っていた。家で帰りを待つ娘たちの顔が脳裏をよぎる。
それでも。
それでもなお、ケイの力にならねば―と。
そんな気持ちに駆られていた。
助かるぜ
ニヤッとアイリーンは笑みを浮かべる。しかし、二頭の”森大蜥蜴”を翻弄しながらも、疲労の色が濃いケイとサスケを見やり、すぐに顔を引き締めた。
アッシも、お力になれりゃよかったんですが……
胸のあたりを押さえながら、苦しげに呻くキリアン。“森大蜥蜴”の尻尾の薙ぎ払いで石か何かが飛んできたようで、重傷ではないが思うようには動けないらしい。
せいぜい、クロスボウで射掛けることぐらいしか
無理はしなくていいさ、オレたちのために祈っといてくれ。……じゃあ二人とも、覚悟はいいか? 行くぞ!
アイリーンは、マンデルとロドルフォを連れて駆け出した。
死地へと、恐れを見せることもなく。
はぁ~……
その後ろ姿を見送って、キリアンは細く長く息を吐いた。
―もともとは、ただ”森大蜥蜴”をひと目見たい、それだけだった。
伝説の怪物の姿を拝んでみたい。そう思って討伐に参加した。
故郷を捨て、身寄りもなく、そこそこ歳を食っている。
特にやりたいこともないし、悲しむ人もいない。
ここが人生の終着点になってもいいか。
最期に一花咲かせてみよう。
そんな風に考えて。
だが、“森大蜥蜴”の薙ぎ払いが眼前をかすめたとき、心の底から思った。
『死にたくない』と。
自分で考えていたより、生に執着があることに気づいた。
気づいてしまった。
そこで心がぽっきりと折れた。
それでも、尻尾を巻いて今すぐに逃げ出さないのは、討伐組の中でおそらく一番の年長で、あまりにもみっともないからだ。キリアンをこの場に押し留めているのは、なけなしの意地だけだった。