グルルオオァァ―ッ!?
再び頭頂部を襲った激痛に、雌竜が思わず仰け反る。振り落とされそうになりながらも、ぐりぐりと刃をねじ込むアイリーン。無尽蔵の生命力を持つ”森大蜥蜴”も脳を破壊されれば流石に倒れる、ここで仕留めるのだ、と―
が、限界は唐突に訪れた。
あっ
バキン、という鈍い音。
サーベルが根本から、へし折れた。
DEMONDAL から持ち込んだとはいえ量産品、しかも本来は『斬る』ための武器だ。全体重をかけた刺突だの、硬い骨を抉るだの、度重なる酷使に耐えられなかった―
身を支えるすべを失い、空中へ投げ出されるアイリーン。咄嗟に手を伸ばし、何か固いものを掴んだ。ケイが雌竜の顔面に撃ち込んだ矢―それを支えにして、かろうじてぶら下がる。
至近。
“森大蜥蜴”の横顔。
雌竜と目が合う。
アイリーンの姿を認めた瞳孔が、ギュンッと収縮する。
― オ マ エ カ ―
そう言わんばかりに。牙を剥き出しにして。
次の瞬間、稲妻のように首を巡らせ、半身を食い千切られる。
そんな確信。
考えるよりも先に身体が動いた。
左手に握ったサーベルの鞘。
それを鞘口から雌竜の目に突き入れた。
ゴガッ―
鞘の中の猛毒が逆流し、眼球が内側から焼かれる。これまでと比にならない激痛、雌竜は悲鳴さえ上げられずに痙攣した。
こいつァ効くぜ―
身体を支えていた矢から手を離し、アイリーンはひらりと宙に舞う。
ここでケリをつける。
―NINJA舐めんな!
目から突き出た鞘の尻に、回し蹴りを叩き込んだ。
ぐりゅん、と鞘が柔らかい組織を突き抜けていく。怖気が走るような感触だった。鞘の本体が、完全に、雌竜の頭部に埋没して見えなくなった。
―!!
形容しがたい断末魔の叫びを上げ、めちゃくちゃに暴れ回る雌竜。この一撃はおそらく脳まで届いた。さらに毒まで流し込まれたとなれば。
殺った、という確信があった。
だが喜ぶ暇もなく、アイリーンの視界が青緑色で埋め尽くされる。
ガツン、と衝撃があり、瞼の裏で星が散った。
がっ―!?
暴れる雌竜の頭部がアイリーンを直撃したのだ。牙が当たらなかったのが不幸中の幸いだが、そのまま吹っ飛ばされてしまう。
―なっ、に。が―
一瞬、気を失ったらしい。前後不覚。ひゅうひゅうと耳元で風が唸る。奇妙な浮遊感を覚えたアイリーンは、パッと目を見開いてから、愕然とした。
嘘だろ
天地が、逆転していた。―違う。ほぼ真上に吹っ飛ばされて、驚くような高度にいた。『身体軽量化』の紋章を刻んでいるアイリーンはとにかく体重が軽い。だから巨体の頭突きを受けて、こんな高さまで―
いや、今はそんなことはどうでもいい。
どうやって着地する。このままじゃ頭から落ちる。
受け身? 取れるか? 数秒の間に何とか―体勢を―
Siv !
落ちていくアイリーンを見上げながら、ケイは叫んだ。
Vi helpos ŝin !
皮のマントを外し、宙に放り投げる。風が渦を巻く。一同は、羽衣をまとった乙女の姿を幻視した。
― Vi estas tiel rapida, huh ? ―
あどけない、それでいて妖艶な囁きが聴こえたかと思うと、突風がケイのマントをさらっていく。ばたばたとはためいて飛んでいくマント―それは上空のアイリーンにまとわりつき、落下の軌道をわずかに逸らした。
ぬわーっ!
森の方へと落ちていったアイリーンは、そのまま木立に突っ込み、バキバキと枝を折る音を響かせながら姿を消した。多少怪我はするかもしれないが、地面に叩きつけられるよりはマシなはずだ―
ぐぅッ―
馬上で揺られながらケイはうめく。えげつないほど魔力を持っていかれたからだ。咄嗟の術の行使、触媒を取り出す暇も、きちんと呪文を唱える余裕もなかった。精霊(シーヴ)に全て丸投げ、この程度で済んだのはむしろ手心があったと考えるべきか。
グルルルオアアアァ―ッ!
それをよそに、満身創痍の雄竜が悲痛な叫びを上げて、痙攣する雌竜に駆け寄っていく。鼻先を雌竜の顔に押し当てて揺するも、反応はない。
相方が事切れたことを悟った雄竜は、ぴたりと動きを止める。
グロロロロ……と地響きのような唸り声。
振り返る雄竜。残された片目が爛々と光っている。
ゴガアアァァァ―ッ!!
咆哮し、土煙を巻き上げながら突進してくる。激情に駆られ、全身の傷から噴水のように血煙を噴き上げていた。
これが最後の突進だ。ケイは悟った。
残り少なくなった矢を放ちながら、サスケを走らせる。追跡してくる敵へ矢を浴びせかける引き撃ち戦法、弓騎兵の真骨頂。
(―速い!)
が、徐々に距離が詰められる。足場が悪い。直線勝負でも不整地ではサスケより”森大蜥蜴”に軍配が上がるようだった。この勢い―下手に方向転換すれば、足が緩んだところを飛びかかりや薙ぎ払いで狩られてしまう。
刺し違えてでも貴様は殺す、とそんな気迫が伝わってくる。
(今を凌げば、奴は力尽きるはず)
とにかく時間を稼がねば、そう考えながら矢筒に手を伸ばすケイ。
しかしその手が空を切った。
クソッ、矢が……!
とうとう尽きた。
腰の矢筒も、鞍に備え付けた矢筒も、いつの間にか空っぽになっていた。
竜の鱗さえ貫く弓を持っていても、矢がなければ弓使いは無力―
―うおおおお!!!
と、雄叫びが響いた。
村の方を見れば、逃げたはずのゴーダンが槍を構えていた。投槍ではなく、普通の短槍のようだが、無理やり投槍器(アトラトル)にセットしている。どこかで新しく調達してきたのか。
おおおおおおおおッ!
遠投。ビュゴォッと重い風切り音を響かせ、弧を描いた短槍が雄竜の足の付け根に突き刺さる。
わずかに―ほんのわずかに、突進の勢いが鈍った。
その隙に、ぐいと手綱を引く。
サスケが急激に方向転換し、雄竜を振り切る。追随しきれず木立に突っ込んだ雄竜は、それでも木々を薙ぎ倒しながら無理やり追いかけてきた。
喰らいやがれ―!
その横っ面にロドルフォが仕掛ける。無事な右目の周囲に、矢の雨が降り注ぐ。
ゴガァッ!
ケイとサスケしか眼中になかった雄竜も、流石に鬱陶しかったのかロドルフォを睨んで吠えかかった。が、その瞬間、開いた口にロドルフォが連射していた矢が一本、ひょいと入り込んでしまう。
ゴゲッ
そのまま喉に刺さったか、素っ頓狂な鳴き声を上げて目を白黒させる雄竜。思わずその足が止まる。
ケイは、雄竜を中心に弧を描くようにサスケを駆けさせながら、歯噛みする。絶好のチャンスだが、矢がないことには―