ケ―イ!
マンデルの声。
見れば、雌竜の身体によじ登ったマンデルが、弓を構えている。
つがえられているのは―血塗れの矢。
青い矢羽。ケイが雌竜に撃ち込んだ長矢の一本だった。ケイの矢が尽きたことを察したマンデルは、まだ使える矢を探していたらしい。
これを使え!!
曲射。マンデルの弓から放たれた長矢が、風に乗って飛ぶ。時間がやけにゆっくりと流れているように感じた。極限の集中状態。空中でわずかにしなる矢が、はためく矢羽が、その羽毛の一本一本までもが、はっきりと視えた。
手を伸ばす。
握り込む。
ビゥンッ、と伝わる振動。
ケイの手の中に、青い矢羽の、必殺の一矢があった。
“竜鱗通し”を構える。矢をつがえる。
―引き絞る。
駆けるサスケの揺れも、風の流れも、全てが計算され尽くしているように感じた。
世界が止まっているようだった―マンデルの声援も、ゴーダンの雄叫びも、サスケの息遣いも、あらゆる音を置き去りにしてケイは静寂の中にいた。
標的を睨む。頭を巡らせてこちらを見やる、満身創痍の”森大蜥蜴”を。
視線が交錯する。『奴』が次にどう動くか―
なぜか、手に取るようにわかった。
放つ。
カァンッ! と快音。
周囲の音が押し寄せるようにして、世界があるべき速度に戻った。矢が突き進む。ただならぬ気配を察して、本能的に避けようと頭を動かす雄竜。
その額に、吸い込まれるように、矢が着弾した。
カツーンと硬質な音が響き渡る。数少ない弱点―『第三の目』。矢は砕けずに、深く深く突き刺さった。
―
雄竜が仰け反る。ほとんど後ろ脚で立ち上がるようにして。
天を睨んだ右目の端から、涙のように赤い血が溢れ出した。
巨体が傾く。
地響きを上げて、倒れ伏す。
そしてそのまま、二度と再び、動くことはなかった。
98. 始末
前回のあらすじ
森大蜥蜴 グエーッ!
ズ、ズン、と地響きを立てて倒れ伏す”森大蜥蜴”。
―やったか!?
矢筒に手を伸ばした格好のまま、ロドルフォが叫んだ。
ケイは速やかに距離を取り、伏して動かぬ雄竜を睨む。
……死んだ、のか?
半信半疑。すぐさま駆け寄ってきたマンデルが、追加で何本か矢を手渡してきた。油断なく”竜鱗通し”を構え、いつでも矢を放てるよう待機する。
それでも、動かない。
どうやら仕留めたらしい―そんな実感が、じわじわと染み込んできた。
終わった……?
傍らのマンデルが茫然と呟く。
……ああ
ふぅ、と溜息をついて、ケイは”竜鱗通し”を下ろした。
俺たちの、勝ちだ……!
ケイの宣言に、マンデルが声もなく脱力して、その場に座り込んだ。
やった……やったのか! ―やったんだぁ!!
ロドルフォが喜色満面で跳び上がる。
その叫び声に、うおおおお―ッ! と村の方からも歓声が上がった。
固唾を飲んで見守っていた村の住民たちが互いに抱き合って喜んでいる。野次馬の探索者たちも大興奮で、一部の吟遊詩人(ホアキン)に至っては涙を流しながら天に感謝の祈りを捧げていた。
片膝をつき、苦しげに肩で息をしていたゴーダンは、そのまま力尽きたように大の字になって地べたに寝転がった。キリアンはどこか皮肉げな笑みを浮かべ、首を振りながら何事か呟いている。元気にはしゃいでいるのはロドルフォくらいのもので、他はケイも含め疲労困憊といった様子だ。
やったぞォ―!
うおおおおお!
英雄だああ!
ひとしきり喜んだ村人たちが、今度はズドドドと大挙して押し寄せてきた。ケイはサスケから飛び降りて彼らを迎え入れ―ることなく、木立へと急ぐ。
アイリーン!!
吹っ飛ばされたまま、姿を見せないアイリーンが心配でならなかったのだ。
アイリーン! どこだー! アイリーン!!!
……こっちだよ~
頭上から声。
振り仰げば、木の枝にアイリーンがブラーンと引っかかっていた。
アイリーン!! 大丈夫か!? 降りられないのか!?
いや、だいじょうぶ……でもちょっと痛くてさ
なんだって!? 怪我したのか!? アイリーン!!
そんなに叫ばなくても。よっ、と
勢いをつけて飛び降りたアイリーンは、しかし着地すると同時に イテテ と呻いて尻もちをついた。
アイリーン! 大丈夫かっっ!?
へへっ……体の節々が痛えや
苦笑いするアイリーン。ケイのマントに包まれていたおかげで、擦り傷などはないようだが、服の下は痣だらけだろう。
これを
ケイはすぐさま腰のポーチから高等魔法薬(ハイポーション)を取り出した。もう在庫がほとんどない貴重な薬だ―とろみのある青い液体の入った小瓶。受け取ったアイリーンは、少しためらってから、グイッと中身を煽った。
―ヴぉェッ、まっっっっず! ……うぇっ、まっず……。トイレの消臭剤を炭酸で割っても、もうちょいマシな味がするぜ……
気持ちはわかるぞ
うんうん、と頷くケイ。ついでに、アイリーンの髪の毛に芋けんぴのような木の枝がくっついていたので、取り払っておく。
あ~……けど、やっぱ効くなぁ~
痛みが引いてきたらしく、表情を緩めたアイリーンは、三分の一ほど飲んでから瓶を返してきた。
サンキュ。これくらいでいいや
いいのか?
だいぶ良くなった。致命傷でもなし、ここは節約しとこう
ひょいと立ち上がるアイリーンだが、 おっとと と早速フラついている。
……本当に大丈夫か?
咄嗟にその体を支えながら、ケイは心配げに尋ねた。ハイポーションが貴重なのは確かだが、それを惜しんで後遺症が残ったりするようでは本末転倒だ。気を遣わずに一気飲みしてほしかった―いや、今からでも口に突っ込むべきか?
……おい、待て、待て待て
瓶を片手ににじり寄るケイを、アイリーンは慌てて押し留めた。
だいじょーぶだって! まだちょっと痛えけど、死ぬほどじゃない。……別に強がって言ってるわけじゃないぞ? 優先順位の問題だ
そう言って、ケイが持つ小瓶を指で弾く。キン、と澄んだ音がした。
オレは今、確かに万全じゃないが、寝とけばそのうち治る。それに対しこれぐらいのポーションを残しておけば、理論上腸(はらわた)が飛び出るような怪我でも治せる。……少なくとも生命力(HP)的には、な。どれだけ安静にしても、飛び出た腸は戻らない。だから『今』ポーションは飲み干すべきじゃない、そうだろ?
すっ、と優しく、ケイの手を押し戻す。
……そうだな
瞑目したケイは、頷いて、ポーションをしまった。
本音を言えば―やはり飲んで欲しくはある。ケイの無茶に付き合った結果、負傷してしまったのだから。だが、アイリーンの言葉は尤もだったし、本人にそのつもりがない以上、いくら心苦しく思ってもそれはケイの独りよがりにすぎない。