もともと、アイリーンはリスクを全て承知で付いてきてくれたのだ―この期に及んであれこれ言い募るのは、野暮というもの。
……ありがとう
ケイにできるのは、心から感謝の念を伝えることだけだった。
おかげで、助かった
なぁに、お安い御用さ
なんでもないことのように軽く言ってのけて、ニカッと笑うアイリーン。傷だらけで、へとへとで、それでも笑顔が眩しくて―愛おしい。
ありがとう。本当に……
無事で良かった―
抱きしめる。こんな華奢な体で”森大蜥蜴”を屠ったとは、にわかには信じ難い。
いや~、今回は流石に疲れたぜ
無理もない、大活躍だったからな
こつん、とアイリーンがケイの胸板に額をぶつけてくる。
あの跳躍は見事だったよ
へへ、だろ? 人生でも屈指の大ジャンプさ
まさか、あれで仕留めてしまうとは思わなかった
そのあと吹っ飛ばされて死にかけたけどな
アイリーンがケイの腰に手を回し、ギュッと抱きしめ返してくる。
あの魔術はナイスアシストだったぜ、ケイ。おかげで頭から落ちずに済んだ
いやあ、実はもうちょっとで失敗(ファンブル)するところだったんだ。噛まずに呪文を唱えられてよかった
はははっ、そいつぁ助かったな
おどけてケイが答えると、アイリーンはからからと笑った。互いが互いに、幼子をあやすように、抱きしめあったままゆらゆらと体を揺らしている。体温と鼓動がじんわり伝わってきて、鉛のようだった疲労感が心地よいものに変わっていく。
するっ、とアイリーンがケイの腰に回していた手をほどいた。代わりに、ケイの頬を撫でる。慈しむように。ぬくもりを確かめるように。
……ん
そっと―。
…………
これほどまでに、互いの吐息を熱く感じたことはなかった。
……ふふ
顔が離れてから、アイリーンがぺろりと唇を舐める。怪我がなければ、ケイはその身体を、強く強く抱きしめていただろう。
……お~い
……どこだ~
と、木立の外から、皆の声。
おっと。ほら、英雄様をお呼びだぜ
パッと体を離したアイリーンが、肘で小突いてくる。
ああ……そうだな
微笑んだケイは、不意に、アイリーンを優しく抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
あっ、おい……
もうひとりの英雄様も連れて行かないとな。……万全じゃないんだ、せめてこれぐらいさせてくれ
ん……まあ、そういうことなら、くるしゅうないぞ
腕の中でふんぞり返るアイリーンは、相変わらず羽のように軽い。
うおおおお! ケイだーッ!!
“正義の魔女”も無事だーッ!
木立から姿を現したケイとアイリーンに、集まっていた村人たちが沸き立つ。ケイは笑顔で、アイリーンはぶんぶんと手を振って声援に応えた。
“大熊殺し”ーッ! ありがとおおおおう!!
馬っ鹿、もう”大熊殺し”じゃなくて”地竜殺し”だろ!
それもそうだな! じゃあ”正義の魔女”はどうすんだ?
そりゃお前―“地竜殺しの魔女”だよ!
うおおおお! “地竜殺し”ーッ!
“地竜殺しの正義の魔女”ーッ!
やんややんや。
もう何がなんだかわかんねえな
大興奮の男たちを前に、アイリーンが苦笑している。ヴァーク村の住民がこれほど喜んでいるのは、それこそ”大熊(グランドゥルス)“の一件以来か。
ケイーッ! お前はッ! お前という奴はーッ!
そのヴァーク村の村長、ハの字眉がチャームポイントのエリドアが、号泣しながら駆け寄ってくる。
お前という奴は……ッ! 本っ当に……大した奴だ……ッ! ありがとう……村を救ってくれて、ありがとう……ッッ!
ケイの肩をバシバシ叩きながら、泣きに泣いている。“大熊”襲来を乗り越え、村の発展を目指して頑張っていたら、今度は 深部(アビス) の境界線が迫ってきて、終いには”森大蜥蜴”が出現。村を預かる者として、そのプレッシャーは並々ならぬものがあったことだろう。
これで村は救われた。怪物は討ち取られ、村人に被害はなく、避難していた女子供たちも戻ってこられる。エリドアの男泣きも無理はなかった―たとえ、今回の一件が一時しのぎにすぎないとしても。
まあ、なんとか被害もなく済んでよかった。落とし穴が役に立ったぞ、手伝ってくれた皆もありがとう!
ケイがそう言うと、 うおおおお! と男たちが拳を天に突き上げて応える。奇声を発しながら飛び跳ねる者、その場で小躍りする者、精霊に感謝の祈りを捧げる者、喜びようもそれぞれだ。
おっかなびっくり”森大蜥蜴”の死骸に近づく者たちもおり、恐る恐るつついたり、青緑の皮を撫でたりする人々を、ケイは微笑ましげに見守っていた―
―ん!?
が、その中に不審な連中を見つけ、顔色を変える。みすぼらしい格好の、探索者の端くれと思しき男たちが、死骸のそばに屈み込んでコソコソと―
おい、お前ら! 何をやっている!
ケイが駆け寄ると、 げっ という顔をした探索者たちが一目散に逃げ出した。
あっ! アイツら皮剥ぎ取ってやがる!
アイリーンも気づいて、ケイの腕からぴょんと飛び降りる。
逃がすか!
幸い、マンデルが回収してくれた矢が何本かあった。カヒュンッ! と”竜鱗通し”にしては控えめな音を立て、逃走する探索者―いや、『コソ泥』たちの足元に矢が突き立つ。
止まれェ―ッ! 次は当てる!
ケイの怒号に震え上がったコソ泥たちが、両手を上げて立ち止まる。握っているのは青緑の皮の切れ端だった。
貴様ら……何のつもりだ……
のしのしと歩み寄り、唸るようにして問うたケイに、顔を見合わせたコソ泥たちは媚びるような笑みを浮かべ、
そ、その……記念品に、と思って……
―記念で他人の獲物の皮を剥ぐ奴がいるか馬鹿野郎!
反射的に、答えた奴にゲンコツを落としそうになったが、頭がかち割れたら事(こと)なのでケイは自重した。
……っふぅー。気持ちはわかるが、それを許すわけにはいかん
オレたちが命がけで倒したんだ、何もしてねえヤツが『記念品』をご所望とは少々虫が良すぎねえか? それにお前ら、見たところ穴掘りさえ手伝ってねーだろ
アイリーンの指摘に、ぐうの音も出ずに黙るコソ泥たち。
よくわかったな、コイツらが人足じゃないって
人足なら給料受け取ってから事に及ぶと思ってな
なるほど、それもそうだ
思わず感心してしまったケイだが、気を取り直して、再び憤怒の形相を作る。
それで……貴様ら
ハ、ハイ