『百人単位の魔術師、か……』
個々の力量はゲームの廃人より劣るだろうが、その数は質を補って余りある。極めて強力に統率された兵団がどれほどの威力を発揮するか、冷静に考えれば、ケイたちもおぼろげに推察することはできた。
―案外、いけるか?
魔術師がどのような精霊と契約しているか、また使用される魔道具がどの系統のものかにも依るが、一般的な契約精霊である”妖精”の眠りの術も、百人単位で重ねがけした場合は飛竜の抵抗(レジスト)を十分に打ち破れるのでは、などと考えるうちに、ケイも少しばかり前向きになってきた。希望的観測の感は否めなかったが。
『主役はあくまで兵団だから、ケイくんの出番は……正直、自分から前に出ない限りないんじゃないかなぁ。単騎で”森大蜥蜴”を二頭相手取るよりは、よほど安全だと私は思うけどね』
ホランドの遠慮ない物言いに、思わず苦笑する。
『そういう意味だと、ケイくんより、お友達の”流浪の魔術師”殿の方が危ない立場なんじゃないか。……彼はまず間違いなく、サティナの軍団に組み込まれるだろうから。最前線だよ』
そう言って、ホランドは物憂げに小さくため息をつく。
『あ~……』
ケイは、同郷の日系人の顔を思い浮かべた。サティナの領主のもとで厄介になっている彼は、なるほど、お誂え向きなことに氷の魔術師だ。飛竜狩りにも引っ張り出されるに違いない―困り顔が目に浮かぶようだった。
―結局、アイリーンは納得したとは言い難かったが、ケイたちは少しばかり気を取り直して商会を辞した。
『……なあに、心配いらないさ。アイリーン』
帰り道、ケイはあえて気楽な調子で言う。
『いざとなったら……俺たちには切り札がある』
トン、と胸元を叩いた。
服の下、首からチェーンで吊り下げているのは―飾り気のない指輪。
『本当にヤバくなったら、この”ランプの精”にお願いするよ』
一つだけ、何でも願いを叶えてくれるという、“魔の森”の大悪魔に。
『だから、大丈夫だ。俺(・)は(・)絶(・)対(・)に(・)生(・)き(・)て(・)帰(・)る(・)』
アイリーンの手を引きながら、ケイはニッと笑ってみせた。
『…………うん』
アイリーンも小さく笑ってうなずく。
それでも彼女の手は、可哀想なほどに震えて、冷たくなっていた―
†††
あの日の指先を思い出しながら、ケイはアイリーンの手を握りしめる。
あれから、またたく間に時間が過ぎ去っていった。それでいて、頼りないロウソクの火が、ジリジリと芯を焦がしていくかのように、気が気でない一ヶ月だった。
ほんの僅かでも、ぬくもりを与えられただろうか。残せて行けるだろうか。
それを確かめるより先に、冬の到来を告げる風が熱を奪っていく。
カァン、カァンと遠くで鐘が鳴る。
出陣のときが近いことを知らせる鐘の音が。
商会の使用人が、厩からサスケを連れてきた。 今日も寒いね とばかりに鼻を寄せてくるサスケを撫で、鞍に荷物を載せる。矢筒。携帯食料。飲水の革袋。寝床にもなる毛皮、などなど……。
……行かなきゃ、な
無言のアイリーンとともに道を行く。
左手でサスケの手綱を引き、右手はアイリーンとつないだまま。指と指を絡めて、しっかりと握りしめる。恋人つなぎと呼ぶには、それはあまりに切ないものだった。
昨夜は、別れを惜しんで語り明かした。
それでもまだまだ語り足りなく感じる。
なのに、今は言葉が出てこない。
傍らのうつむきがちなアイリーンを見るに―彼女もどうやら、同じだった。
飛竜狩りに馳せ参じるんだってな! 頑張れよ!
武勇伝、楽しみにしてるぞー!
無事に帰ってこいよ、英雄!
道端で、顔見知りとなった町の住民たちが声をかけてくる。
ケイは少し硬い笑顔で、それに応えた。
ケイさん……どうか、ご無事で
お兄ちゃん、気をつけて、ね!
木工職人のモンタンと妻のキスカ、その娘リリーも、街の正門にケイを見送りに来ていた。
ありがとう。……行ってくるよ
モンタンと握手を交わし、リリーの頭を撫でてから、改めて向き直る。
アイリーン。
世界で一番、愛しい人。
言葉もなく、二人は抱きしめ合い、口づけを交わした。
思えば―この世界に来てからは、いつも一緒だった。
片時も離れずにいたい。その気持ちは今も変わらない。
互いが、互いのいない日々を想像できない。
それなのに、
ケイは行く。
アイリーン
その頬に手を添えて、名前を呼んだ。
……行ってくるよ。必ず無事で戻る
アイリーンは、愛しげにケイの手に頬ずりして、頷いた。
……待ってる。絶対に待ってるから
ケイの緊張をほぐすように、微笑みを浮かべて。
……これほど、離れがたく感じたことはない。
だが、ケイは手を離した。
ブルルッ、といななくサスケに、颯爽とまたがる。
これ以上の迷いを振り払うように。
横腹をポンと軽く蹴ると、忠実な俊馬は滑るように駆け出した。
サティナの城門を抜けると―視界が一気にひらける。
朝焼けを浴びて輝く草原が、風にそよいで波打っていた。
そこに、公国の赤い旗がはためく。
おびただしい数の軍勢が、展開している。
ドン、ドンと太鼓が打ち鳴らされ、高らかにラッパの音が響いた。
巨獣が目覚めるかのごとく、軍勢は緩やかに動き出す。
ケ―イ!!
背後から、かすかな叫び声。
弾かれたように振り返れば、アイリーンが手を振っていた。
ケイの目は、二人の距離を物ともせず、しかと捉える。
青い瞳から溢れ出した涙が、風に散らされていく。
わななく唇から漏れる言葉は、もはや意味をなさない。
だが―これ以上ないほど、気持ちは伝わってきた。
せめて、己の心も届くように。
必ず戻る
ぐっと手を掲げてみせ、ケイは前へ向き直った。
公国の歴史に刻まれる、飛竜狩りが―
ここに、始まった。
飛竜狩り編、開幕。
102. 合流
(これほどの人数が行軍してるところは、初めて見たかもしれないな)
パッカパッカとサスケを駆けさせながら、ケイは胸の内でひとりごちた。
ゲーム内でもイベントや傭兵団(クラン)同士の戦争で大勢のプレイヤーが集まることはあったが、どんなに多くても千人がせいぜいだった。
対して、眼前に集結した軍勢は万単位だ。統一された装備で隊列をなし、歩みを進めるさまは相当な威圧感がある。街道沿いには近隣住民が見物に出ていて、お祭り騒ぎの様相を呈していた。
飛竜狩りに出陣する公国軍―きっとこの光景は絵画として残され、後世に語り継がれていくのだろうな、とケイは他人事のように思う。