常に上り調子の人生なんてない。そうだろう? 今は不満があったり苦しかったりするかもしれないが、これを乗り越えたら幸せな家庭が待っている。
せいぜい、飛竜狩りをそつなく終えて、辺境の都市ガロンでお土産を買い込んで、サティナまで凱旋しようじゃないか。そして、そのときには、ちょっとお腹が大きくなっているであろうアイリーンに、ただいまのキスをする。
その日を夢見て頑張ろう。
もうちょっと狩るか
まず目の前のことからコツコツと。血抜きしたウサギを鞍にくくりつけたケイは、少しでも夕食を賑やかなものにするべく、再びサスケにまたがった。
―それから狩りを終えて義勇隊に戻ると、隊長の正規軍人フェルテンが待ち構えていた。
おお、ようやく戻ったか
ケイの姿を認め、あからさまにホッとした様子のフェルテン。
何か用事が?
聞いて驚け。なぜか参謀本部からお前に呼び出しがあった
その言葉に、ケイはマンデルや義勇隊の面々と顔を見合わせた。
俺……何かやっちゃいました?
知らん
恐る恐る尋ねるケイに、にべもなく答えるフェルテン。
まあ、呼び出しというか、面会というか。アレだ、お前は公国一の狩人だからな。俺たち有象無象とは違って、お偉いさんも何ぞ話を聞きたがっているのかもしれん
皮肉げに口をへの字に曲げて、フェルテンは鼻を鳴らした。
とにかく、これが召喚状だ。昼飯休憩時に出頭しろとのことだ
ケイの手に書類を押し付けたフェルテンは、 確かに渡したぞー とひらひら手を振りながら去っていった。
……どうしよう?
そりゃあ、ケイ。……出頭するしかない
マンデルが、羽飾りのついた帽子を目深にかぶり直しながら、肩をすくめて言う。
お偉いさん相手とか、俺、何を話せばいいのかわかんないんだが
安心しろ、ケイ。……おれもわからない
マンデル……
呼び出しを受けたのはケイだぞ。……おれではない
つっと目を逸らすマンデル。ケイは助けを求めて周囲を見回したが、皆、白々しく 今日は冷えるなー 骨身にしみる寒さですねー などと雑談していて、こちらを見向きもしない。
…………
孤立無援であることを悟ったケイは、手の中の召喚状に視線を落とし、手負いの獣ような唸り声を上げるしかなかった。
†††
そのまま昼休憩になってしまったので、手早くビスケットと干し肉だけを詰め込み、ケイは参謀本部がある天幕へ赴いた。
長く伸びた軍隊の中間あたりには貴族や軍の高官が多く、馬車や色とりどりの天幕が展開されている。行軍中だというのに、メイド付きでティーセットを広げてお茶を楽しむお偉いさんの姿まで散見された。
まるで別世界だ―自分がここにいることの違和感がすごい。
そして、召喚状を持ってきたはいいが、具体的にどの天幕に顔を出せばいいのかがわからない。
あの、悪いんだが
通りすがりの、比較的人が良さそうな軍人に声をかける。
なんだ
呼び出しを受けたんだが―
召喚状を見せると、その軍人はケイと書面を二度見して、狐につままれたような顔をした。
お前が? これを? ……すごいお偉いさんに用があるんだな
俺には用がないんだが
ああ……なるほど。まあ、そういうこともあるか
何やら察したらしい軍人は、同情の色を浮かべる。
案内してやろう。くれぐれも失礼のないようにしろよ―他ならぬお前自身のためにな
『召喚状で呼ばれてきた。俺の名はケイイチ=ノガワだ』……こんな感じか?
その場で仰々しく一礼しながら言ってみせると、軍人は、食料庫ですっかりカビに覆われたチーズでも見つけてしまったような、何とも言えない表情を浮かべた。
もうちょっと、こう、言い方があるだろ。……『本日はお招きに預かり光栄至極、狩人の○○、参上仕りました』くらいは言え
ケイは英語の細かいニュアンスがよくわからなかったが、少なくとも自分の脳みそでひねり出した直訳より、よっぽど気の利いた言い方であることはわかった。
『本日はお招きに預かり光栄至極、狩人のケイイチ=ノガワ、参上仕りました』
よし、それでいい。……多分な
助かったよ、ありがとう。見ての通り異邦人でな、言葉の違いに苦労してるんだ
なぁに、まだよく喋れてる方さ。ほれ、ここがお前の目的地だ
数ある中でも、指折りに良質な布地の天幕を顎で示して、軍人が言った。
あっ! そうだ、お前に礼儀作法を教えたのが俺だってことは言うなよ。万が一、失礼があった場合は責任を取り切れんからな……
軍人が真面目くさった口調で釘を刺してくる。
俺は田舎者だからな
ケイも空とぼけた調子で応じた。
誰(・)に(・)作法を教わったかなんて、もうすっかり忘れてしまったよ。俺のマナーの先生は、恩知らずな生徒だと怒るかもしれないな
安心しろ。きっとお(・)前(・)の(・)先(・)生(・)は、そんなことで腹を立てるほど狭量な奴じゃないさ……多分な
ケイと軍人は顔を見合わせて、ニヤッと笑ってから別れた。
さて。
天幕だ。
入り口には物々しく、槍を携えた警備兵の姿まである。どうにも気が重い……
警備兵に召喚状を渡すと、 拝見します と受け取ったひとりが、天幕の中に引っ込んだ。
ケイチ=ノガワが出頭したようです
よし
ガシャンガシャンと金属鎧の音が近づいてきた。
来たか
ヌッ、と天幕の薄暗闇から、ガタイのいいフル装備の騎士が姿を現した。目的地はまだ遠い行軍のさなかだというのに、この重装備……薔薇の花や蔓、駆ける馬などの装飾が施されたかなり高級な鎧であり、身分の高さを窺わせる。
入れ、ケイチ=ノガワ
クイと手招きする騎士。バイザーを下ろしているせいでその顔は見えない。しかしこのつっけんどんな、堅苦しい声……どこかで聞いたことがあるような……
こちらに御座(おわ)すは、飛竜討伐軍の総指揮官アウレリウス公子―
―まさか公子その人がいるのか!? と目を剥きそうになるケイだったが、
―の、後見人たる公国宰相ヴァルター=べルクマン=シュムデーラー閣下だ
なんだ公子じゃないのか……
(いや、公国宰相!?)
やっぱり大物じゃないか!! と目を剥くケイ。
くれぐれも失礼のないように。いいか。くれぐれも失礼のないように……!
ズイと顔を寄せて、念押しする騎士。ケイとて決して無礼を働きたいわけではないが、それにしてもそんな人物が自分に何の用だというのか。
あと、兜の下から響いてくる、真面目が服を着ているようなこの声……やはり聞き覚えがあるような……
モヤモヤした気持ちを抱えつつも、目線を下げて天幕に入ったケイは、中で椅子に腰掛けて待ち受けるお偉いさん―宰相閣下の靴を視界の端っこに収めて、その場に跪いた。